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シャルトルブルー

 パリのモンパルナス駅から一時間ほどでシャルトルに着く。私が訪ねた日は土曜だったこともあって、列車は行楽客でごった返していた。フランスで列車が満員になることはほぼなかったが、この時ばかりは車両の連結部近くで一時間を過ごす羽目になった。
 駅を降りて街なかの気持ちのいい通りでランチを摂ると、この日の目的地へと向かった。世界遺産としても知られるシャルトル大聖堂である。シャルトルはこじんまりとした街で、駅からは大聖堂へも街なかへも、歩いて5分くらいで行ける。
 それまで雲が拡がっていたが、大聖堂に着くと青空が覗くようになる。ファサードを前にした時は、さすがに感激した。写真などで見てきたあの姿かたちが、いま目の前にあるからである。雲の浮かぶ青々とした空の中に、それは画然と描いている。左右の非対称な塔が、何とも言えない味わいを出していた。
 中に入ると、堂内は粛然としていた。座席では一同が起立し、奥には装い鮮やかな新郎新婦が神父の前に立っている。神父がお決まりの誓いの文句を告げる。とんでもない場面に出くわしてしまったが、ヨーロッパの教会ではよくあることである。世界遺産であれ何であれ、休日の教会には色々とイベントは付きもので、行きの列車同様、そういえば今日は休日だったと思い知ったまでである。
 ひとまず退散すると、私は裏手に入って行った。そこには旧制高校の校舎のように趣きある二階建ての館があり、美術館になっていた。中は中世からバロック、バルビゾンと続き、近代絵画ではヴラマンクが印象に遺ったが、長居はせずそこを辞した。
 美術館の裏には、よく整えられた庭園があり、その向こうは傾斜の大きな斜面になっていて、下を川が流れている。私は川辺まで下りてみた。そこで見た川辺の光景が、シャルトルでの思わぬ副産物となったのである。
 川は透き通っていて、藻が浮いている。川幅は30mあるかどうかの、小川と言ってもいい大きさである。ところどころに石造りの橋がアーチを描いていて、いい雰囲気を出している。水に浮かぶ小舟、岸に並ぶ家々の三角屋根の列、間々を埋める樹々、そして綿をちぎったような雲が浮かぶ青い空。
 シスレーの絵を観ているようだった。シスレーがここにキャンバスを置いたことはないはずだが、目の前の光景は絵にある詩情そのものだった。唯一の違いはシスレーの描いたセーヌ河畔に較べると、スケールが小さいことである。しかしその分、よりピトレスクな、構成する事物が凝縮した世界が拡がっていた。そんな景色に目を奪われ、心を洗われながら、私は川伝いに次なる目的地へと向かって行った。
 目的地は思っていたよりも遠かった。川辺の美しい情景を過ぎると、大きな交差点に出て、そこからは郊外の通りを進んで行く。そして一本路地を入った何でもない住宅街の中に、それはあった。
 ピカシェットの家と言った。といっても、偉人が建てた類いのものではない。モザイク模様のその小さな家は、墓場の掃除人をしていた男の、30年以上に亘る生活の結晶だった。妻を喜ばすために、壁や通路、家具に至るまで、建物すべてを、仕事で集めた皿や瓶の破片を集めて制作したという。日々コツコツ30余年。集められた破片は440万個というから驚きである。
 奥の庭まで通路は続き、部屋には家具や調度品の数々がモザイク模様に彩られている。それらで描かれた壁もある。イスラム建築やガウディの作品などに見られるモザイクタイルのようだが、こちらは一人の男がことごとく拾い集めて出来た作品だった。
 大聖堂で知られる町、シャルトル。その住宅街の一角に、とある無名の芸術家の人生の結晶が、静かに照らされていた。
 再び大聖堂に戻る。時刻は午後六時半。夕方のいい時間帯で、南西面のファサードは白く輝いている。左右の非対称の塔の形も壁面の凸凹も、くっきりと鮮やかだった。背景の空はどこまでも青い。
 空の青に比例して、中の空間にも青い光が差し込んでいた。ステンドグラスは青々と輝き、その青白い光線の角度と加減は、昼時にはない美しさで辺りを包む。祭壇も装飾も彫刻も、一日で一番いい時を迎えて、一層と活き活きしている。
 私は祭壇の前に立った。ステンドグラスから降る光は、次第に青みがかって行く。「シャルトルブルー」と言われる、美しい時間を迎えた。私はしばらくの間、時が経つのも忘れて、青い空間の中に身を任せていた。

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