アフターコロナは、農、漁、猟の価値がもっと高くなるかも??
コロナ騒動、色々と疲弊材料が多いですね。
でも、皆必死で頑張っていると思うので、早く光が見えてくることを願うばかりです。
ストレスや緊張で多くの人の心も不安定になっているのか、次から次へと出てくる政策や行政アクションに対し、めちゃくちゃ怒っている人の意見も沢山見かけますが、これって主に、「このままだと食べていけなくなるんじゃないか??、今までの生活ができなくなるんじゃないか??、自分たちが感染しちゃったらどうしよう」、みたいな不安感とか恐怖感みたいなものと、「より良い方向に舵を切りたい」という正義感のようなものから生まれてくる感情がそうさせているのではないかと思っています。
で、そういう怒りがでてくるのもとてもよく理解できますし、社会のシステムに文句を言いたくなる気持ちもわかりますが、そういうコメントの数々を聞くたびに思うことがあります。
それは、やっぱり誰もが混乱している時に、多くの人に対しての最良策を求めてもなかなかうまくいかないことも多いということ です。
今みたいに、助けてほしい人が多くなってしまっている非常事態中ならなおさらで、基本的に多くの人の声はしっかり届いていないのが現状だったりするのだろうと思います。
そうなると、力のない人達やどうにもできない人達は、ただひたすらに吠えるか、自分にあったシステムや政策、救世主が降りてくるのを待つことしかできなってしまうのだと思いますが、そうなってしまうと生き物としてもとても弱い立場に立たされてしまいます。
そんな時に誰かが助けてくれるのならいいですが、残念ながらなかなかそうもいかないことも多いのだろうと思います。
結局の所、有事の時って、自分たちの身を自分たちで守ることができるサバイブ力があるかないか で大きく明暗が別れるのだろうと思います。
有事の時であるばあるほど、救済の手を待ってる場合じゃないことも多いと思いますので、おそらくなかなか助けにきてもらえないだろう ということは前提に考えたほうがいいような気がしています。
災害時と同じ理屈ですね。
まずは自分たちの身を自分たちで守るための行動を ってやつが超重要なのだろうと思います。
で、そんなことを考えていった結果、人の本当の自由って、お金があることでもなく、権力があることでもなく、時間があることでもなく、自分の決断と行動で生きていく力を高められることと、食料や飲み水の確保システムを自分の近くに持てているか?? ということに尽きるのではないか??
そんな根本的な理屈にたどりつきます。
それは過去の歴史を見ていてもあきらかですし、現に僕がいまもわりと余裕でいられるのは、仮に多くの社会システムがクラッシュしたとしても、「しばらく生きていくだけだったらまぁ困らないだろう」という気持ちが、そうさせているんだと思います。
食べ物は買いに行かなくても売るほどありますし、人に会わなくても、生きていくだけだったらしばらくなんとでもなりそうですしね。
とはいえ、そういう生活が誰しもにとって良いものではないでしょうから難しい所ではありますが、少なくとも僕は今の騒動を受けて、「農生活ってやっぱ底力強いな~」って感じています。
それは漁や猟が近くでできる人も同じなのだろうと思います。
僕が今も都市サラリーマン生活を続けていたら、おそらくこの感覚は持てていないだろうと思います。
東日本大震災後をきっかけに一次産業に目を向けた人が結構いたと記憶していますが、コロナ後の世界にも、一定数の人がサバイブ力に磨きをかけるため、農、漁、猟的な生活に目をむけるようになるのかな??、と、何となく思っています。
農で言えば、今、日本の地方には畑なんて余りまくっていますし、都市にいなくても仕事ができる仕組みもどんどん出てきていますから、一家に基本1菜園みたいな流れが自然発生的にでてきても面白いかもしれませんね。
国民の有事の際の底力アップという観点でも、SDGs的にみても良いことも多いような気もしますしね。
というか、個々にそういう余暇がサクサク作れる時代になると良いなと本当に思う。
多分多くの人は 余暇不足&遊びたりてない と思うので、そういう生活を趣味的に取り入れる時間すらつくりづらい。
まずはそこを何とかできる仕組みが早く生み出せるといいなー…。