ゲンコツの手(エッセイ)
僕の母は、とても幼い頃に這い這いで掘り炬燵に潜り込んでしまい、炭で火傷をして左手の指を失ったそうだ。それでも、指のないゲンコツの手で、車の運転でも家事でも、日常生活はほぼ問題なくこなしてしまうので、母がれっきとした手帳を持つ身体障害者だということは、つい忘れてしまいそうになる。明るく世話焼きな性格で、人望が厚く、友達が多い方ではないかと思う。
子供の頃は、指がないことでずいぶんいじめられたらしい。祖母から聞いた。母がいじめられると、祖母がいじめっ子たちを叱ったという昔話をよく聞かされたものだ。
昔話と言えば、母は僕の幼少期について、よく嬉しそうに自慢話をした。
「お前は誰にでも大きな声であいさつをして、みんなが『いい子だねえ』と褒めてくれた。本当に叱ることがない、いい子だった」
確かに僕は母に叱られた記憶がほとんどない。唯一、中学校の一時期を除けば、だ。
僕が通っていた中学校は、市内の5つの小学校が集まる県下随一のマンモス校だった。入学して仲良くなった同じクラスの2人の友達は街中の小学校から来ていた。彼らは、僕が通っていた山の中にある小学校の友達とは一味違っていた。
まず、ファッションセンスがいい。休日に一緒に遊んだりすると、僕の服装がいかにダサいかは歴然としていた。そして、遊び方が違う。僕らのように公園で缶蹴りをしたりはしない。彼らはショッピングセンターをうろつき、ゲームセンターで遊ぶ。遊ぶお小遣いだってちゃんと親からもらっているのだ。僕の両親は自営業で、働き詰めだった。決して生活は楽ではなかった。
彼らの家に遊びに行くと見たこともないお菓子が出てくる。彼らがうちに遊びに来る時には、母はりんごを焼いたものだとか、もらいもののみかんだとか、そういった類のものを持って来るから、僕はいつも冷や汗をかいた。
僕の部屋の壁にはたくさんのキーホルダーが飾ってあった。それらは、忙しい中でも両親が連れて行ってくれた旅先の各地で買ってもらったものだった。鉄臭くて手に重たい。各地の名所をかたどっていて、地名が記されている。サービスエリアや土産物店でよく売っていた。そのコレクションを眺める時間は楽しくて、自分のベッドの周りの壁に画鋲で何十個も吊るしていた。ある時、遊びに来た友達がそれらをダサいと馬鹿にしたのが頭にきてケンカをした。彼らを家から追い出した後、キーホルダーを壁から剥がしてダンボール箱にしまった。
その頃、服といえば母が買って来たものを着ていた。僕が何かのキャラクターがワンポイントに入っている服を気に入っているのを知っていて、母は同じシリーズのものを買ってきてくれた。友達とショッピングセンターを歩いている時に、そのキャラクターの入った新しい服が並んでいて、僕は足を止めた。
「これいいよね」
つい口から出た言葉にするどい一言が返って来た。
「ダッサ!」
胸をえぐられるような痛みを感じながら、母の顔を思い浮かべていた。
ショッピングセンターやゲームセンターに行っても、僕はちっとも楽しくなかった。ゲームセンターに行くのは校則で禁止されていたから、いつもヒヤヒヤしていた。母にもそんな遊びをしているとは決して言えなかった。
近くの公園で遊んでいたのと違って、街中まで出かけるようになると、帰宅が遅くなる。今と違ってスマホなどないから、連絡もできずに帰りが遅くなると、母は目を釣り上げて怒った。
「暗くなる前に帰って来なさいと言っているでしょ!」
しかし、彼らにしてみれば、親の言うことを素直に聞くことがダサいのだ。僕は、母から言われている門限の話などおくびにも出せなかった。
ある時、僕ら男3人と、彼らが誘った女の子3人で遊びに出かけた。同じ小学校で仲の良かった男女5人は楽しく会話をしながら歩いている。その輪から数メートル後ろを僕は一人で歩いた。女の子がいて調子に乗ったのか、彼らはいつもの行き慣れたショッピングセンターを通り過ぎて、校則で行くことが禁じられている学区外までずんずんと進んでいく。僕は焦りながらも彼らを追うしかなかった。行き着いたのは、遠くの別のショッピングセンターだった。とんでもなく遠くまで来てしまった。先生に見つかったらどうしよう。外は日がかなり傾いている。こんなところから暗くなる前に家に帰り着くのは到底無理だ。母の釣り上がった目が僕を狼狽させた。僕はなりふり構わず家の方角に向かって駆け出した。後ろから呼び止める声が聞こえる。今さら振り向けなかった。ずいぶん走ったが、空は暗くなっていく。僕は公衆電話を見つけて家に電話をかけた。
「今どこにいるの!」
電話口から母の怒声が聞こえる。迎えに来てくれた車のドアを開ける時、母の顔を見れなかった。翌日、学校に行くと友達2人から白い目を向けられた。
「女の子たちみんな笑ってたよ。かっこわるー!」
それから僕はあからさまに仲間外れにされるようになった。彼らは2人だけで行動するようになり、他のクラスの少し目立った子たちと遊ぶようになっていった。
その悪ガキ連中は時々帰り道に一緒になることがあった。そんな時は決まって僕の家にやって来た。両親の帰りが遅いことを知っているからだ。彼らは勝手に家の中に上がってくる。目当てはお菓子やカップヌードルだった。母が僕や妹がお腹を空かせないように買い置きしてくれているものだ。彼らは我が物顔に戸棚からそれらを出してきては食べあさる。やめてくれ、やめてくれ!お母さんに知られたらどうしよう。彼らが帰ると、僕は証拠を残さないようにきれいにそれらのゴミを片付けた。そして、自分の部屋に閉じこもって壁をひたすら拳でたたいた。
彼らの行為はエスカレートしていった。ある時、みんなが集まるからと、放課後にガキ大将の家に呼び出された。行ってみると、悪ガキの面々が集まって何やら楽しそうに過ごしている。タバコを吸っている子もいる。
「脱色剤がどれだけ効くか試してみようと思ってさ」
意味が分からないでいると、僕は何人かに取り押さえられた。
「やめて!やめて!」
必死にふりほどこうとするが、できない。頭がひんやりとした。何かを髪の毛に塗りたくられた。どっと笑い声が起こる。
それから、どうやってその部屋を出たのか覚えていない。泣きじゃくりながら坂道を登って、家までの道のりを速足で歩いた。本当に金髪になったらどうしよう。学校に行けない。お母さんに何て言えばいいんだ。家に帰り着くと、急いでシャワーで髪の毛を何度も洗った。
翌朝、恐る恐る鏡を覗くと、髪の色に変化はないようだった。それでも、時間が経って色が抜けてきやしないかと心配で仕方なかった。母に美容院へ行きたいとお金をもらい、丸刈りにしてもらった。僕の頭を見た母は、血相を変えて怒鳴った。
「あんた、どうしてそんな頭にするの!誰かにいじめられてるんじゃないの?!」
「何でもないよ!」
思わず強い口調で言い返すと、母は部屋から出て行った。
どうして怒られなきゃいけないんだ!頭の血管が破裂するんじゃないかと思った瞬間、僕の拳は壁を思い切り殴っていた。壁に穴が空いた。我にかえると、今度は血の気が引いていった。僕のゲンコツの大きさに空いた穴をしばらく見つめた。そしてカレンダーで隠した。
3年生になると、僕は生徒会の役員になり、他の役員の子たちと仲良くなった。恰好の逃げ場を得たと、授業以外のほとんどの時間を生徒会室で過ごすようになった。放課後も役員の仕事を口実に遅くまで生徒会室にいたため、夕方に悪ガキたちの襲来を受けることもなくなった。中学を卒業すると、彼らとは完全に関係が途絶えた。
高校2年生の時に、イギリスにボランティア留学をした。僕は心身に障害がある同年代の子供たちが通う学校に住み込みで働き、生活の介助や授業のお手伝いをした。自由に体を動かせなかったり、片足がなかったり、話すことができない子供たちが暮らしながら学んでいた。彼らは一様に明るく、瞳が輝いていた。
僕は指のない母を思い、手紙を書いた。
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