僕と西武ライオンズ
「いつから西武が好きなの?」とよく聞かれる。めんどくさいときは、地元の球団でもあるから気が付いたらなんとなく、と答える。でも私の記憶にははっきりと、そのきっかけが刻まれている。誰も覚えていない、私だけの記憶。
いまから何十年も前、母親と兄と球場に行った。もちろん誰かがライオンズのファンだったわけではない。当時の球場は、当日でも十分いい席が取れたし、新聞屋さんからチケットがもらえたり、無料優待券があったり、とにかく今のように休日のチケットが取りづらいというようなことはなかった。
妹が生まれる直前だった。父から「あと何日かしたら、おかあさんは病院に入院しなくちゃいけないよ。いい子で待っていられるね」と言われていた。大きなお腹をかかえた母親としては、出産準備でせわしなくなる前の、この男兄弟二人と過ごせるささやかな時間に、西武球場を選んだということなのだと思う。
球場前に着いた時の、あの何ともいえないにおい。お祭りの日のようで、気持ちがそわそわした。応援グッズは、水色のベースボールキャップだけ。ほかに何も持っていない。水筒を首からぶら下げて、チケットを握りしめた。応援団の声が大きくて、少しこわかった。大人たちが大勢集まって、あんなに大きな声を出しているのをはじめてみた。兄に手を引かれながら、球場の中の坂をのぼった。
「何か応援するもの買おっか」と母が言う。今のように、たくさんの応援グッズがあるわけではない。そう思うと、今のグッズは本当に多種多様。応援スタイルも人それぞれ。球場の食べ物もたくさんある。座席の雰囲気は変わらないけれど、そこを彩るファンたちの姿は、ずいぶん変わった。少ない選択肢の中から、兄の手に取ったフラッグをまねて、私も同じものを買ってもらった。
兄の旗には大きく「3」の数字と、それを囲むように「KIYOHARA」とアーチ状に書かれていたと思う。私の旗は、まさに球団旗だった。レオの横顔がなんとも勇ましかった。昔の応援フラッグは、棒の先端に黄色くて丸いボールのようなものが付いていたように思うが、ディテールは記憶のかなたに去ってしまった。捨ててはいないと思うけれど、今はどこにあるんだろう。
試合の内容は、残念ながらほとんど記憶にない。誰が先発だったのか、どんなプレーがあったのか、もっといえばライオンズが勝ったのか負けたのかも記憶にない。野球のルールさえあやしいのだ。もっといえば、野球の内容よりも、隣に座った母との残り少ない時間を、幼い私はなんとなく感じ取っていて、試合のことよりもそのことばかりが頭に浮かんで、とにかく試合が終わらなければいいのに、とばかり考えていた。
記憶にあることは、2つだけ。4番バッターが清原であったこと。そして、その清原がホームランを打ったこと。ホームランは球場の空気を一変させる。野球のわからない私にも、観衆が熱気に包まれるのがわかる。一瞬何が起きたのかわからなかった。でも、兄も母も喜んでいるのが分かった。つられて私も笑顔で旗を振っていた。
そこで小さな事件が起きる。今振り返れば、ささいな兄弟げんか。兄から「清原の旗は自分のだから、おまえは振るなよ」と言われた。一瞬で、気持ちがしゅんとしぼんでいった。「そっか……。」とうつむいて、応援っていうのはそういうものなのかな、と思った。ぎゅうっと母の腕をつかんで、うつむいた。そこで母が一言。「あんたの旗はライオンズの旗なんだから、みんんを応援していいのよ。お兄ちゃんも意地悪言わないの。」
きっかけはこれだけ。私はそれからライオンズをずっと応援している。母も兄も覚えていない、ほんのささいな出来事。
今日は、来場者プレゼントで球団旗の配布があるようだ。たくさんの旗が揺れる中、多くのファンが今日もライオンズを応援している。