雑談は好きですか?
私の経験として、気軽におしゃべりすることが好きな子は多かったと思いますし、多分現在も同じだと思います。
教師として、といった狭い範囲ではなく、ふだん仲良い人とでも、新しく出会った方とでも、気軽に楽しく雑談できると人生の楽しみが大きく増えます。
今回は、「雑談するということ」について自分の考えを述べてみようと思います。
「ぼくは『三倍の法則』を大切にしているんだよ」
私が教員2年目の頃、算数教育の師匠と仰いでいたM先生がボソッと語ってくださいました。
(約三十数年前のことですから一字一句正確に覚えてはいませんが。)
この言葉を初めて聞いたのは、いつものように子どもが帰った後、放課後のM先生の教室に遊びに(気軽に雑談しに)行った時のことでした。
その時の「えっ?何それ?」と不思議に思ったことは良く覚えています。
『三倍の法則』・・・? 私は今まで聞いたことが無かったその法則に興味を持ちました。
そのM先生と、その日の子どもの様子や授業について「雑談」をしているときに、私は次のような質問をしたように記憶しています。
「M先生は子どもと歳が離れているのに、どうしていつもいろいろな子と仲良くおしゃべりができるんですか?」
今考えれば、何ととんちんかんな質問でしょうか?
その先生が何歳であるかということと、子どもと仲良くおしゃべりすることとは何の関係もありません。
しかし当時の私はM先生がいわゆる大ベテランで、しかも子どもと同じ目線での楽しくおしゃべりをする姿が不思議でした。
ですからその当時の私にとって、その質問は自然な流れでした。
そのM先生は次のように説明してくださいました。
法則の意味
「サトシ君、僕は子どもに何か指導しようと思えば、普段からその子(たち)への指導の言葉の3倍以上は普通のおしゃべりをしておこうと考えているんだよ。
教科の内容を教えたり、その子をほめたり叱ったり、何か大切なことを指導しようと思っていても、普段の会話、おしゃべり、つまり「雑談」が十分でないと、その子が自分の指導をきちんと受け止めてくれるかどうかは分からないんだよ。
自分自身と子ども(たち)に、日頃の何気ないコミュニケーションが足りていれば、授業であっても、突発的な出来事があっても、自分の話をきちんと聞いてくれたり、自分の思いを話してくれたり、また自分の指導を受け入れてくれたりする、と考えているんだ。」
私は、「なるほど!」と納得しました。その頃の私も、若いということもあり、子どもとのおしゃべりは多かったと思います。
でも、M先生は何気なくおしゃべりをしているように見えて、実はそのなかでいろいろなことを考えながら「雑談」をされていたのです。
それは、次のようなことだったと記憶しています。
単におしゃべりをするだけではない。その中から子ども理解、子どもの人間関係・親子関係の把握、得意不得意、家庭環境、地域環境、好み、苦手、普段からの思考パターン、人間関係づくりのヒント、など、物凄い量と質の情報を得ることができる。
聴く姿勢・共感する姿勢・前向きに関係を創ろうとする姿勢、理解しようとする姿勢、距離を縮める姿勢、などが子どもたちに伝わるように心がけると、子どもたちも心を開いてくれる。
教員の中には、「子どもとあまり距離が近くなりすぎると、子どもが先生の存在を友達のように勘違いをして、指導が入らなくなったり教師側も指導が甘くなったりするから良くない。」といった考えの方も多く見てきました。
しかし、教師と子どもとの関係といっても、人間同士に変わりはありません。
お互いの考えていることや感じ方について知り合うことは、人間関係をつくる上でとても大切であり、有効である、と思っています。
指導をしたり、叱ったり、ほめたりすることが、子どもに伝わり、有効になるのは、しっかり「雑談」をして、普通の会話が自然とできる人間関係ができているときである、と思っています。
このテーマに関しては、いろいろな意見があるかもしれません。
私も「雑談が全てだ」とも思っていません。
また、雑談には相手があることでもあり、相手の性格や人柄を抜きに、ただ「おしゃべり、雑談」をすれば人間関係ができるわけでもありません。(現に、雑談が苦手な子だってたくさんいましたから。)
しかし、「いつでもどこでも、状況に応じて誰とでも、気軽にリズムよくおしゃべりができる」、「いろいろな状況で、軽やかな会話でメンバーと打ち解けるのが得意」であれば、大切な関係の人であればあるほど、一緒に過ごすことが楽しくなります。
また、雑談が苦手な子にでも、配慮しながらの声かけは本当に大切なことです。
実は、そのスキルも磨いていくことさえも楽しみになります。
私はこれまで、M先生の言葉、「三倍の法則」を自分の実力向上の一つのテーマとして、日々の生活、仕事を進めてきました。
今振りかえれば子どもだけでなく、保護者、同僚、友人たちとのおしゃべり、雑談のなかで、本当に豊かで大切なことをいっぱい学んだように思います。
そういう視点で「雑談」を考えると、日々の何気ない言葉のやり取りが、かけがえのない宝物のように感じるのです。