みんなほめられたい
人は誰でも、ほめられると嬉しいものです。
何年か前にテレビを観ていた時のことです。
ある超ベテラン俳優が、授賞式である賞を受賞しました。
その時、司会の方がインタビューで、
「おめでとうございます。○○さんは、もう何回も賞を受賞されていますね。今のお気持ちをお聞かせください。」とマイクを向けたところ
「ああ、嬉しいですねえ。賞は何回いただいても嬉しいですよ。こんな年齢になっても、ほめられたら本当に嬉しいねえ。」と満面の笑みでインタビューに応えていました。
この場面、今でもはっきりと覚えています。
そうですよね。
何歳になっても、どんな些細なことでもほめられたらうれしいものです。
当然私も同じです。
ということは、
人は誰でもほめられたい、と心では思っているのだろうと言えますよね。
もちろん、ほめられる状況が無ければ人はほめられません。
人がほめられる状況とは、大きく分けて2つあります。
ここでは、親が子どもをほめる場合について考えてみます。
自然な状況でのほめる
1つ目は、日常の中で子どもが自ら進んでお手伝いをした時とか
兄弟に優しく親切に接した時、とか自分から進んで宿題をしたり
次の日の準備をしたりできた時、とかのような場合です。
これは、親としても自然発生的に我が子をほめてあげたくなりますね。
もちろん、ほめられた子どもは嬉しくなり、いい気持ちになり、次も同じような状況があれば、また頑張って行動してほめられたい、と思うようになることでしょう。
未来を見据えたほめる
2つ目は、ある目標や頑張らなければ達成できないことに向かって努力し、乗り越えて達成した時に、親が子どもをほめてあげる、というような場面です。これは一つ目の場合とは違い、自然発生的な状況ではありません。
この場合のほめるは、子どもの意思と頑張り、努力が必要となってきます。
なので、子どもによっては状況次第で上手く気持ちを乗せていってあげないと、逆効果になることもあります。
しかし長期的に見て、学力や運動能力を高めていくには、二つ目の「子どもをほめる」が大切になってきます。
冒頭で述べた超ベテラン俳優も、自然発生的な状況で褒められたのではなく、長年の積み上げた実力のうえに、作品での演技が世間一般に広く認められて「ほめられた」のです。
2つのほめる
子どもの場合、特に小学校低学年時にはこの二つの場面の「ほめる」を大切に考えてあげてほしいと思います。
子どもの自己肯定感、自己有用感、優しく人を思いやる心、人と仲良くしようとする態度、家族を大切にする心情などは、1つ目の日常の中での自然発生的な場面を捉えての「ほめる」がとても大切になってきます。
人間として最も大切な基本中の基本だと考えます。
さらに、頑張る心、挑戦する気持ち、失敗した時に踏みとどまる心、そして地力、実力、自信、など強くしなやかな心を育てるには、2つ目の「ほめる」が必要になってくるのだと思います。
目標に向かって、粘り強く、工夫を重ねて積み上げて、自分の実力や地力をつけることは、その子どもの時々の発達段階に応じて育ててあげていただきたい、と思います。
そして、今までよりも、ほんの少しでも「子ども自身が新しいことへ挑戦し、前進する姿」を見せた時、大いにほめてあげてください。
けれども、子どもにとっては少しの前進もきついことがあります。
その時には、温かく長い目で見守っていきましょう。
とにかく先は長いですから。
まとめ
近視眼的ではなく遠い未来を見据えて、一つ一つ課題を設定し、ゆっくりではあるけれど一つ一つ確実に乗り越えていく・・・
こんなイメージを描いてください。
子どもだから、歩みはゆっくりが大切だし、急がせると後ろ向きになってしまいます。
できそうなことから一つ一つ進んでいきましょう。
1.「自然な状況での子どもを温かく見守る目」のほめる
2.「未来を見据えて、子ども自身が自分を鍛え磨く方向」でのほめる
この2つの「ほめる」が豊かにある家庭では、子どもが安心して自分を伸ばしていける、と考えています。
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年が明けて、心が痛むことが立て続けに起こっています。
まずは被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。
年の始め、ぜひ自分のことをほめていただきたいです。
子育てに奮闘するお父さんお母さん、
預かっているお子さんを見守る先生方、
日々を生きているあなた自身をほめてもらえたらなと
思います。