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戦略的な選挙の何が問題なのか(追記→公開)

※2024.12.3公開

兵庫県知事選挙において当選した候補の選挙戦略として、PR会社による選挙広報があり、いくつかの点で話題となっています。
政治と広報をかじった者として少し考察をしてました。
今回の騒動について、選挙広報の手段が明かされることが、なぜここまで話題となったのかという背景や大衆心理についての考察となります。

公選法に関すること、コンプライアンスに関することには触れていません。
兵庫県知事や特定の候補者、具体的な政策に関する内容には触れていません。
センシティブな内容も含むので有料にしました。


選挙にも広報戦略はある

広報(Public Relations)の本質は、組織や企業と公衆との間の相互理解を促進し、長期的な信頼関係を構築することにあります。

広報分野の本質的な活動は、単なる数値目標の達成ではなく「理解の深化」と「信頼関係の構築」にあります。短期的な成果よりも、長期的な関係性(リレーション)の構築を重視します。

ただし、定量化が難しいパターンもあるので、マーケティング指標に引きずられがちになることも多いです。また、クライアント等への説明の際にマーケティング指標の方が理解しやすいため、PRや広報担当者レベルにおいても”戦略的に”使われる場合もあるかもしれません。

マーケティングのKPI:
インプレッション数
フォロワー数
エンゲージメント率
コンバージョン率

広報活動のKPI:
パブリシティ効果
メディアリリースの到達度
オウンドメディアへの訪問数と回遊率
企業メッセージの理解度
ステークホルダーとの関係性指標

KPIの例

一方で、現代のマーケティングでは、インプレッション数やエンゲージメント率といった定量的な指標が重視されます。これらの指標は確かに測定が容易で、効果の可視化に優れています。しかし、これらの指標依存が、政治的な文脈ではコミュニケーションの質を低下させる危険性もあります。

数字上のKPIのみを重視するならば、過度にセンセーショナルな言葉を使用したり、論争を煽るような投稿を行うことで、エンゲージメント数を上昇させることができます。しかし、この手法を政治的議論に用いると、議論を矮小化し、政策論争を感情的な対立に変質させてしまう恐れもあります。

選挙活動における広報戦略は、候補者のビジョンや政策を「知ってもらう」ことが前提として用いられるのがあるべき姿です。ただし、ここで注目すべきは、その手段が単なる情報伝達を超えて、有権者の行動を誘導する可能性がある点です。

また、このような広報戦略をプランニングしていく選挙参謀という存在があります。
参謀というと、闇の世界の住人みたいな印象かもしれませんが、選挙ブレーン、選挙プランナー、選挙コンサルタントなど呼び名は様々です。特に地方選挙の場合、地元の後援会長だったり、秘書であることも多いですが、多くの場合表舞台には出てきません。

プロパガンダと選挙広報の違い

プロパガンダとは本来PRの概念の一つとして扱われる者ですが、日本においては「大衆の扇動」を意味するネガティブなイメージがついています。

ここでは狭義の"プロパガンダ"(大衆の扇動)という意味で語句を使います。

選挙広報がプロパガンダと混同される背景には、歴史的な文脈があります。
プロパガンダは、大衆の行動や感情を操作することを目的とし、一方的に特定のイデオロギーや政策を押し付ける手法です。ナチス・ドイツのゲッペルスによる宣伝活動はあまりにも有名ですし、現代の権威主義体制下でも情報操作が行われています。
これらのイメージにより、プロパガンダという言葉に対して過剰に反応してしまう風潮があるのではないでしょうか。

「宣伝効果のほとんどは人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない」

アドルフ・ヒトラー

選挙広報が政策論を飛び越えて、有権者の感情や無意識を操作する方向に傾くと、それはプロパガンダに近づいてしまいます。

今回の兵庫県知事選挙におけるPR会社の手法が、これらを無視したプロパガンダそのものだとは思いませんが、先般の記事の内容から読み取れる「広報戦略による誘導」は、有権者の判断プロセスをバイパスさせているとも感じました。
「プロパガンダ的」だと指摘される理由も、こうした懸念が表面化したからではないでしょうか。

今回の騒動について

今回、PR会社の当事者としての記事が出てしまったことにより、

  • PR戦略の側面を表に出し過ぎたため、民衆の行動を誘導する機能が目立ちプロパガンダ的な見え方をした。

  • 政治・選挙という分野の特殊性。徹底的な公正性を求められ、成果だけではなくプロセスが厳しく見られる。

  • 「プロパガンダ」という言葉が持つセンセーショナルな響きが議論を加速させた。

という現象であったと思います。

具体的な、公職選挙法等のコンプライアンス的な部分は知識としては分かりますが、大方で騒がれているのはその部分ではない気がしています。

SNS時代の選挙広報

まず初めに、私はSNSを使った選挙広報については、どちらかと言えば肯定的な立場です。
広報手段が増えるのは、政策論を活発化することに繋がりますが、他方で扇動の手段となりうるのも事実です。遡れば、テレビによって選挙活動が発展したことと同様の動きでしょう。

SNSは選挙広報の手法を大きく変えました。
有権者として意識しなければいけない点は、アルゴリズムによる最適化ではないでしょうか。
有権者の興味や関心に応じた情報を的確に配信できる一方で、特定の情報が過度に強調されるリスクもあります。有権者の情報取捨を、受動的な方向に加速しうる機能だと懸念されます。

また、前述の通り有権者の理性的な判断プロセスをバイパスし、感情的な反応や無意識的な選好に基づく投票行動が促進する可能性もあります。

選挙システムの欠陥

近年の選挙において、このような戦略的なマーケティング手法が有効に機能してしまっているという構造的な欠陥があります。

民主主義の根幹である選挙制度が、マーケティング的な手法による操作に対して脆弱であるという事実は、けっこう深刻な問題だと思います。
政策の内容や実現可能性よりも、イメージや印象が投票行動を左右するという現実は、多くの有権者にとってプラスにはならないと思います。

メディアと大衆の循環関係

この問題の責任は、選挙戦略を立案・実行する側だけにあるわけではありません。センセーショナルな話題に飛びつく大衆と、それを増幅するメディアの存在も、この問題の本質的な部分を構成しています。

メディアは視聴率や閲覧数を獲得するため、候補者のパーソナルな情報に注目したり、より刺激的なニュースを求めます。
そして大衆は、複雑な政策議論よりも、単純化された対立構図や候補者の人間性など、感情的な話題に関心を示します。
さらに、これらがSNS上でエンゲージメントとしてアルゴリズムに反映されるという循環が生み出されています。
この相互作用により、選挙の機運は盛り上がるように見えますが、政治的なコミュニケーションの質は低下させてしまいます。

余談:プラトンとポリュビオス

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