エンドロール

毎日通る道に、桜がある。橋を渡るときに見える。河原のその両岸の桜並木。毎年春はなかなかに見応えがある。
まさに昨日がそうだった。そのうえ天気も良い。例年より若干早い気がしたが、ちょうど年度末、節目にはちょうどいい演出だ。いつも以上に人が集まっている。
僕は足を止めるつもりはなかった。毎年見る景色。いつものように通り過ぎる。けれど、いつもより少しだけゆっくり歩いた。今日はもう少し見ていたいような、そんな気分だった。

3月31日、彼女の配信が終わった。
最後の声。最後の姿。

もう4月1日だ。
でも、ここに書くのは本当のこと、正直な話。
そして彼女への感謝の言葉。

彼女がデビューした

Vtuberを見始めて3年。最初は数人しか見ていなかったのに、じわじわと、でも確実に視聴対象が広がってきた。今ではもう生活の一部となっていて、日々の充実には欠かせない存在になっている。僕がこうなった元を辿れば、ボカロPでおなじみのGYARIさんの企画に、そしてその企画でデビューしたVtuberに行きつく。

天野ピカミィ。

昔からボカロ曲をよく聞いていた僕は、GYARIさんのことも知っていた。
ネタ曲を書く人。おしゃれな曲を書く人。曲には自作のイラストを付け、動画も自分で作る。なんでも一人でやってのける。それでいてところどころふざける。多才で面白い人。
そういう認識だ。

そのGYARIさんが、自分が無限にゲーム配信を見たいからといってVtuberの魂を募集したのがことの始まりだ。当時はVtuberをよく分かっていなかった。なんか聞いたことある、ぐらいだった。だが、しかし。
面白そう。
GYARIさんは悪ふざけのような曲を動画を作りながらも、クオリティはしっかりしている。そのGYARIさんの企画だ。面白いに違いない。そうして、募集のときから何となく行く末を追いかけるようになった。

彼女がデビューしたのは3年前。
正直、初配信ではあまりピンと来ていなかった。
「ふーん、こういう感じね」
そのぐらいだった。
でも、そう思いながらも「VOMS Project」としてデビューした彼女ら(デビューは1人の予定だったのに、絞り切れずに3人になった)の配信を、2回3回と追いかけている自分がいた。

端的に言って、ハマったのだ。
彼女らの面白さに。かわいさに。魅力に。
正直、何がどうしてここまで好きになったかは分からない。けれど、それからというものVOMSを発端として、Vtuberという文化が僕の生活を侵食し続ける。これは最初にも言ったとおり。

ピカミィという人

思うに、デビューした3人の中で、ひいてはVtuberの中で、ピカミィはやはり別格だ。(もちろん他2人もかわいくて面白くて魅力的なのは間違いないのだが。)
そもそも募集時に公開されたビジュアルはピカミィだし、最初からVOMSの中心になるのを期待されていたのは想像に難くない。そして、実際にその期待に応える存在になったこと、いや、期待を超える存在になったことは、彼女を見てきた人ならばもう分かっているだろう。それに公式でも「VOMS Projectが想定以上にここまで盛り上がったのはピカミィの功績が大きい」ことは言っている。

彼女は、とても優しい人だ。
字面だけではなんだか薄っぺらく見えてしまう気がする。
が、事実。彼女は優しい。

彼女は「ありがとう」を何度も言う。細かく、些細なことでも「ありがとう」と。他人の10倍は言ってんじゃないかというくらい、本当によく言う。「ありがとう」という言葉もそうだが、彼女の言動からはリスナー全方位への配慮も感じる。

誰しも、この人のここは嫌、と思うことはあるだろう。たとえ好きな人であっても。でも、それ以上に好きな理由があるから、嫌なのも些細なことだから、総じて「好き」に傾く。好きなことが大きいから、ちょっとの嫌なことにも目をつぶれる。
大方の人の「好き」は、そうなんだろう。

しかし、ピカミィは違う。
そもそもネガティブな印象を受けたことはさっぱり無い。それはいつもリスナーを思っているからこそなのだろう。
最後の配信で、初期はリスナーに気を遣いすぎていたと言っていた。確かに初期と今ではその辺、雰囲気が違う。でも、やっぱり今でも全方位への配慮を、温かさを感じられる。むしろ活動を経て気を許した今でもそうだということは、心から人を思い遣っている、ということの表れではないか。
それでいて時折(というかしょっちゅう?)見せるアホっぽいかわいらしさ。一方で、見た目に反して見せるゲスなところ。いつも面白く楽しませてくれるピカミィ。ただただ好きになる理由しかない。
だからこそ、これほどにも彼女が愛されているのだろう。

だからこそ、彼女は別格だった、と僕は思う。

最初の一歩

このNOTEでも使っているsatoshinopika名義のアカウントを使い始めたのは、3年前の5月。ピカミィのデビューから2か月後のこと。
その日、僕は人生初めてのファンアートを投稿した。

昔から音楽が好きで、楽器をやっていた僕。いつか曲を作ろう、公開しようと思っていた。でも、いつまで経っても曲はできない。趣味に〆切があるでもないし、だらだらとそれっぽい作業をするだけ。あるのは気持ちだけで、何年も形にはならなかった。

そんな中、毎日のように眺めていたピカミイ。その声(かわいい)を聞いてふと、ファンアート(というかパロディネタ動画)を作ってみたくなった。ピカミィの声がGYARIさんの曲にハマりそう、と思ったのだ。
ネタっぽいものを思いつくことはこれまでもあった。パロディネタを、こんなのあったら面白いんじゃね?と妄想する。でも、実際に作ったことは無い。

ファンアートというと、第一にイラストが思い浮かぶ。
でも音楽が好きでやってきた僕の場合、やりたいこともできることも、音楽方面だ。曲を打ち込み、配信の音声を切り取り、張り付ける。

絵は描けない。描けないが、描くために買ったペンタブがあった。
曲を作って、サムネを作って、なんなら動画にもして、投稿したい。GYARIさんのように。そう思って、少し前にペンタブを買っていた。これもまた、Vtuber募集の企画を通して刺激を受け続けた結果だ。
描けないなら描けるようになればいいじゃないか、と。

結局、既存曲の一部のコピーして、絵もオリジナルを模した絵で、半ば勢い任せで完成させた。Twitterへも、その勢いに任せて投稿した。

正直、インターネットは怖い世界だと思っていた。知らない人から辛辣な言葉を浴びせられる。容赦なくこき下ろされる。そんな殺伐とした世界だと思っていた。ところが、そんなことはなかった。

投稿直後は何も反応がなかった。
無名の僕が、しかも投稿から数時間。そりゃそうだろう。
ネットは、良くも悪くも、何もないところ。そんな気がした。

でも、一晩明けたら驚いた。
今までに経験のないほど通知が来ていた。いいねやリツイート、褒めの言葉まである。これは僕の作った動画のクオリティが高かったわけではない。むしろ全然。今見ても全編作り直したいぐらい。でも、それをいいと思ってくれた人がこんなにもいた。いや、そんなに深く考えて押したいいねではないかもしれない。だけど、僕が嬉しかったのは事実だ。
そして何より、ピカミィ本人から「いいね」されたことが一番うれしかった。
ネットは、思ったよりも温かいところだった。

案ずるより産むが易し。一歩踏み出してしまえば、二歩目を踏み出しやすい。これ以降、(スローペースだが)製作して投稿するようになった。VOMSの切り抜き、ネタ動画、そしてカバー曲、当初からの目標のオリジナル曲も。(イラストもちょこちょこやったが、こっちの出来は、まあ、さておき。)

外向けの創作活動をしようと思いながら、何年も何年も、二の足を踏みに踏みまくってた僕。その僕の第一歩を踏み出すきっかけをくれたのは、ピカミィだ。
今こうして(ちょっとは)クリエイターらしいことをしているのは、ピカミィのおかげだ。
大げさなようだけど、今の自分があるのは間違いなくピカミィのおかげだ。

3年間ありがとう

初めて声を聞いてから3年も経っていたようだ。そんな実感はあまりない。追えてなかったアーカイブがあったなとか、またあの動画が見たいなとか思うが、今更な話だ。いやはや。何よりも、ピカミィのファンアートを(特に音MADを、曲を)あまり作れなかったのが残念だ。

お前さあ、音楽やってんなら、最後に曲ぐらい作って送れっての!

・・・そう思うけど、今の自分にはまだ実力が足りないみたい。創作の後押しをくれたのはピカミィだってのに。次に会う時はもっとちゃんとしたクリエイターになれているように、もっとがんばらないと。

ピカミィがこれからどんな人生を歩むのかは分からない。分からないけど、幸せになれることを祈ってる。君はこんなにも優しい人だから。君はこんなにも素敵な人だから。

3年間、ありがとう。
ピカミィの未来に、たくさんの幸せがありますように。

P.S.
カラオケ用の音源を送り付けてマジでスマン!
音源が無いとか言ってたのを真に受けて作ったのを今でも反省してる。図々しくていろいろやりにくかったかなぁ、と。最初は特に歌枠を躊躇ってたわけで、困らせてしまったかなぁ、と。
それでもピカミィが丁寧に返信をくれたこと、音源を使って歌ってくれたことは素直に嬉しかった。
素敵な歌を、ありがとう。
楽しい時間を、ありがとう。
本当に、ありがとう。