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11/10、11/11-12「寺家ふるさとのengawa円坐」のご案内

日本人の存在感覚に根差した口承即興舞台「きくみるはなす円(縁)坐舞台」を実践する「有無ノ一坐」坐長の橋本久仁彦さんをお呼びし、円坐を開きます。

円坐では、集まった皆様が文字通り丸くなって坐ります。決まった目的やテーマなどはなく、話したくなった方が話したい話をし、特に無ければ黙っていてよい場です。

語られた言葉は、円坐守人が辿ります。辿られた言葉は、ともにする場と心に刻まれ、私たちの奥にある「生きている」という実感を揺らします。

円坐は、始まってみるまで何が起きるか分かりません。どんな人が集まり、どんなことが語られるのか。言葉を交わし、沈黙を響かせ、存在が触れ合う時、そこに立ち上がる私たちの人間関係がそのまま一つの舞台、物語、永遠に心に刻まれる時間となっていきます。

お互いの真剣な眼差しに照らされ、日常の中でぼんやりしていた自分と他者の輪郭がはっきりとします。

私にとって円坐は、鮮やかに世界が躍動し始め、人生がいきいきと深呼吸をし始めるような体験です。

巡り巡り縁重なり集う皆様との出会いを、心より楽しみにしています。どうぞご参加くださいませ。

《寺家ふるさとのengawa円坐》

日時:
①2023年11月10日(金)10:00〜16:30
②2023年11月11日(土)〜12日(日)通い

1日目 10:00集合、10:15会場へ移動
   10:30〜17:30 円坐
2日目 10:00〜17:00 円坐
※途中1時間のお昼休憩を取ります。
※お昼ごはんをご持参ください。近隣にお弁当購入できるお店がありませんので、バス乗車前に駅などでご購入下さい。
※乳幼児がいます。

会場: 「里のengawa」の「はなれ」「いろり庵」
〒227-0031 神奈川県横浜市青葉区寺家町337 https://satonoengawa.com/

【東急田園都市線】
①青葉台駅よりバス(青30【循環】寺家町行)で「寺家町」下車徒歩4分
②青葉台駅よりバス(青31 鴨志田団地行)で「鴨志田団地」(終点)下車徒歩8分

【小田急線】
③柿生駅よりバス(柿25 [循環]柿生駅北口行)で「寺家町」下車徒歩4分

定員:  各12名
参加費:  ①11,000円 ②22,000円

お申込み:  下記フォームよりお申込みください。
      https://forms.gle/H4swZJ1vb97fDHXJ6

円坐守人: 橋本久仁彦
世話人: 中尾聡志、中尾絢子
元気モリモリ人: 咲遥、藍奏

お問合せ:  ordinaryworld0420@gmail.com(中尾)


〈橋本久仁彦さんプロフィール〉
1958年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱したパーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を10年間実践する。その後アメリカやインドを遊学し、人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する有機的な組織作りと、エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けている。平成2年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。平成13年12月に龍谷大学を退職、プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、コンテンポラリーダンスなど、フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を積み重ねるも、10年間の活動を終え、その看板を下ろす。現在は、日本人の存在感覚に根差した口承即興舞台「きくみるはなす円(縁)坐舞台」を実践する「有無ノ一坐」坐長。

教師やカウンセラーとして生涯手掛けてきたミニカウンセリングは、位相を進めて「未二カウンセリング(未二観」となり、円坐は同じく「円空坐」となり、縁坐舞台も「縁起の坐舞台」と成って様式が整い、近年輪郭が明らかになった「影舞」と合わせて、生死・顕幽の境を超えて不生不滅の景色を展望する四つの終の仕事となった。仲間も変遷し、この頃は生死を共にする有縁の仲間(一味)と連れ立って、毎日がこの世の名残りの道行である。

高野山大学スピリチュアルケアコース講師。円坐舞台守人。影舞人。


〈円坐とは〉
円坐とは、円坐守人の呼び掛けの言葉に呼応して、定められた場所と刻限に寄り合った坐衆(参加者)が、ただ円に坐り成り行き(道往き)を共にすることです。円坐守人は、円坐の呼び掛け人であり、円坐の坐衆の一人でもあります。

円坐守人の役目は、円坐の場所と刻限の決定(結界)を尊重し、「円坐」という出来事(アラハレ)に目を見張り、話し手の言葉(事の端)に耳を澄ませ、円坐守人として自らに約束した「聞く」という道を果敢に辿り、刻限まで円坐(坐衆)と共に在ることです。

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