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行動できない原因は、ずっと「自分に向き合っている」から。
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この絵はとても時間がかかっている。
でも、あと少しで描き終わりそうなところまできた。
途中はもうこの絵はボツにしようかと思っていた。
でも、少しずつ描き続けてみたら急にこの絵もありと思えてきた。
描くことは、僕にとっては楽しいものだ。
楽しいからやっている。
でも、同時にしんどいものでもある。
描いてるときは楽しい。
描き始めてしまえば、その間は楽しいし、面白い。
でも、次にまた描き始めるのがしんどい。
なかなか描き始められない。
「上手く描けないんじゃないか」
「描いてる絵を台無しにしてしまうんじゃないか」
「描き上げても大した絵にならないんじゃないか」
「絵を描く以外に大事なことがあるんじゃないか」
いろいろ考えすぎて、腰が重くなってしまう。
それで、絵を描かない日が続くと、
それはそれで自己嫌悪になる。
「絵を描かずに、時間を無駄にしてしまった」
「また行動を起こせなかった」
「自分はダメなやつだ」
まさに負のスパイラル。
こうなると、絵を描くことはしんどいものになる。
ここから脱出するために、
なぜ絵が描けないのか、
何が不安なのか、
なぜ不安に思うのか、
など、いろいろな問いを立てて、
自分に向き合ってみたこともある。
それによって自己理解は少しは進んだが、
重い腰はそこまで軽くはならなかった。
でも、これはそもそもの問題の立て方を間違えていた。
絵を描き始めることのしんどさは、
こんな風に自分と向き合ってしまうのが原因だった。
向き合うべきは「絵」のほうだ。
「絵」に向き合えば描き始められる。
「自分の気持ち」なんかとずっと向き合っているから、いつまでも絵に向かっていかない。僕の場合ずっと不安と向き合っていた。でも不安はだいたいが妄想だ。そんな妄想の不安の中に「描きたい」はない。「描きたい」は絵の方にある。絵の方に向かわなくてどうやって描きたい気持ちになるのか。
自分のことなんか放っておいて、さっさと絵に向かえばいい。
これはおそらく絵を描くことに限らず、
行動すること全般に言えること。
いつまでも手付かずのこと、
先送りしていることがあったら、
自分と向き合うのはそこそこにして、
早く行動そのものに向き合ったらいい。
気づいたら行動しているはずだ。
実はずっと最近、絵が描けてなかったのが、
この気づきのおかげで、今日はさっと描き始めることができた。
ずっと描き途中になってたこの絵もやっと終わりが見えてきて、
この絵の最後を見届けられそうで、どんな絵になるのか、楽しみになってきた。
途中はどこにいくのだか分からず、ボツにしようかと思ってた絵だけど、諦めず続けたら、ちゃんと辿り着くものですね。
手ごたえを感じています。