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2009年秋〜2010年の岡田幸文選手で思い出す事

昨日、楽天の石井一久新監督就任が発表された。

コーチ人事の中で驚いたのが岡田幸文一軍外野守備走塁コーチ就任だった。

BC栃木には千葉ロッテから「派遣」という形だったため、

いつかロッテに戻ってくるのではと思っていたが、楽天に先手を取られた形なのだろうか。

そして同時に、『「下剋上」から10年か…」と

年月が経ったことを改めて感じた。

    ※          ※

2009年秋、僕は千葉ロッテ球団サイトの仕事として

鹿児島県薩摩川内で行われていた2軍キャンプを約3週間取材した。

初めてのプロ野球の現場取材。写真、記事(キャンプレポート)、動画で

キャンプ情報を伝えるのが僕の仕事だった。

この時、僕が撮っていて強く惹かれたのが背番号66・岡田幸文選手だった。

キャンプ取材初日の投内連係。ランナーを務めていた岡田選手の走る姿に

何故か僕はとても魅せられてしまった。

そして打撃練習中、ティー打撃を行う岡田選手の

ギラギラした眼にも強く惹かれた。

その後、間違いなく僕は岡田選手を中心に撮っていた。

(もちろん、他の選手もしっかりと撮っていた。念のため)

キャンプ後、撮影したデータを確認した方から

「岡田選手の写真が一番多いですよ」と言われたのは当然だった。

それほどまでに強く惹かれた。

翌春の薩摩川内キャンプの時、確か室内での練習の時だ。

ふと岡田選手がこう言ってきた。

「最近、僕の事撮ってくれないじゃないですか」

その表情はちょっと拗ねた感じに見えた。

選手からこんな言葉を言われるのは初めてだっただけに

ドキッとした反面、「気付いてくれていたのか」と

内心、心の中でガッツポーズをしていた。

この春季キャンプ中、順調に過ごしてきた岡田選手だったが

キャンプ中盤、守備練習中に足首を痛めるアクシデントに襲われた。

翌日から別メニューとなり、「足、大丈夫ですか?」と聞くと

「大丈夫、大丈夫…」と自分に言い聞かせるように答えていた。

後日、ケガをした日の夜に岡田選手の部屋を高橋慶彦二軍監督が訪れ、

「ケガをしたことは仕方ない。待ってるから」と声を掛けられ

「胸が熱くなりましたよ」と言っていたことも印象に残っている。

3月下旬になるとケガも癒え、二軍では「一番・センター」に定着。

一軍昇格に向けて日々奮闘していた。

5月中旬、ファームインタビュー取材後の雑談の中だったと思う。

「そういえば西岡剛選手と同い年なんですよね?」と聞くと

岡田選手は感情を込めてこう話した。

「剛は甲子園にも出てドラフト1位。僕は甲子園にも出ていないし、

大学を中退して育成でプロ入り…。だからこそ一軍でプレーしたいんです」

その眼は薩摩川内キャンプで見た、

ギラギラした眼のような輝きを放っていた。

それから間もなくして一軍では荻野貴司選手、早坂圭介選手がケガで

相次いで戦線を離脱。岡田選手が一軍昇格する。

一軍デビュー戦となった6月2日の巨人戦、

その日僕は高校野球取材で新潟・高田にいた。

取材を終え、JR高田駅の待合室で携帯を開く。

試合結果を見ると岡田選手はプロ初安打に2盗塁と活躍。

誰もいない待合室で思わず小さくガッツポーズをしてしまった。

その後、岡田選手はこのチャンスをモノにし、一軍に定着。

千葉マリンに来るファンのユニフォームも

次第に背番号66のものが目立つようになってきた。

チームはシーズン最終盤「結びの三番」に勝ち3位でCS進出を決めると、

CSでは西武、ソフトバンクと撃破し中日との日本シリーズにコマを進める。

3勝2敗1分で迎えた第7戦、7対7で迎えた延長12回表。

2死2塁と一打勝ち越しの場面で岡田選手が打席に入る。

テレビで試合を見ていて、ふと不思議な感覚に襲われた。

「ちょうど1年前、薩摩川内で泥にまみれながら練習していた選手が

今、日本シリーズの大事な場面で打席に入ろうとしている…」

そして、心の中で叫んだ。「1年前の薩摩川内を思い出せ!」と。

カウント3-1から浅尾投手のストレートを振り抜き、打球は右中間へ。

試合を決める勝ち越しの3ベースとなった。

3塁ベースに到達した岡田選手を見て、試合がまだ決まっていないのに

涙が止まらなくて嗚咽していた。

こんな体験は後にも先にも、この時が初めてだった。

    ※             ※

1997年11月、サッカー日本代表がW杯初出場を決めた

「ジョホールバルの歓喜」という有名な出来事がある。

延長に突入した際、NHK・山本浩アナウンサーの言葉が忘れられない。

「日本代表は私たちにとっては「彼ら」ではありません。

これは私たちそのものです」

薩摩川内で岡田選手に魅せられ、10年近く経って思い出すと

当時の僕は岡田選手を自分と重ねていた部分が間違いなくあった。

初めてのプロ野球取材というチャンスを掴み、次に繋げようとしていた僕。

チームの体制が変わり、一軍入りのチャンスを掴もうとしていた岡田選手。

間違いなく「シンクロ」していた部分はあったと思う。

日本シリーズでの嗚咽は他人事ではなく、自分事のように感じたから…

そう解釈している。

翌2011年、岡田選手は開幕戦からスタメン出場すると、

巨人戦でのファインプレーに代表されるように、その好守で注目を集める。

全試合出場を果たしゴールデングラブ賞を受賞するなど、

チームに無くてはならない存在へと成長していった。

2013年のシーズンオフ、パ・リーグ各球団の代表選手が

茨城県内の小学校を訪問するイベントで僕が撮影を担当した。

ロッテからは岡田選手が参加していた。

小学校に到着して最初の挨拶の時、岡田選手はこう話した。

「今日、みんなに会えると思うと、昨夜は眠れなかったです」

撮っていて「岡田選手らしいなぁ…」と思ってしまった。

そんな岡田選手も2018年限りで現役を引退。

BC栃木のコーチを経て、来年から楽天のユニフォームを着る。

「またいつか、撮ってみたい」

そんな気持ちは心の中で今でも持っている。






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