50代の覚悟 - 学び直しの道を進む理由とは#Day9
「あらまぁ、勉強はじめちゃいましたか」
実は、とうとう母に大学共通テストを2年後に受けてみようかなと話したんです。ちょっと反対されるかなと思っていたら、否定も肯定もせずニコニコ笑っているような声でした。
息子のひとことで始まった受験勉強ですが、そもそもこの歳ではじめてしまったには大きくは三つ理由があります。
今日はそのことと、進捗状況をお話しします。
キッカケについてはこちら↓
挑戦は魅力的なんです
一つ目の理由は、新たな挑戦の魅力です。
母は、わたしが中学生の頃くらいから次々となにかしらの資格を取り始めました。そのときは、まるで理由がわからなくて。
当時の母の年齢をこえてみたら、これまでの人生で培ってきた経験と知識をもとに、未知の領域に挑むことは私にとってかなり刺激となることがわかりました。
自分を再評価し、新たな目標を見つけることが重要だと感じました。
大学受験は、達成に向けて努力するチャンスなのです。
やり直しと成長なんです
二つ目の理由は、学びのやり直しと成長を求めるからです。
50代になってみると、「要領」や「学びの深さ」って何だろうなと考えるようになりました。
例えば「単語」。
すごく違った見えかたがします。
それは「暗記」と思うか「知識」と思うかであったり。
そしてただ知識を増やすだけでなく、自分の視野を広げ新たなアイデアや考え方に触れる機会でもあるんです。
学習につかう文房具だって、noteでこうやって書くことだって面白い。
30数年前にスタバやタリーズがあったら、コーヒー飲みまくってカフェ勉強を堪能していたでしょう。新しい勉強法を見つけた気分です。
エールを送りたいんです
そして三つ目の理由は、若い世代(息子)へのエールを送りたいからです。
私が50代で大学受験に挑戦することで、周囲の人々に「年齢や状況にとらわれず、夢を追いかけることはできる」ということを示したい。
ここ数年、子どもへの過干渉を自覚しては脱力したり気合を入れたりを交互に繰り返していました。
さらには、体調不良からくる仕事でのプレッシャーもどこかに感じて。
その疲れた姿はおそらく息子も家族も見ていました。
文句をタラタラ、行動はイチイチ理由が必要。
なにも家族の戦力になっていない。
あぁカッコ悪い。
でもこれを脱出するのはじぶんしかないよな…と。
そんなモヤモヤ脱皮中ですが、「あんな変なオバチャンでもがんばってるんだから、わたしもやれる!」と感じてもらえたらうれしいなと思っています。
さて、三つの理由をお話ししてきました。単語は9日目です。あっという間です。
500個-2周目に入りました。
慣れてきて、すごくラクになりました。
いままでやっていた間違った覚えかたをやめただけで、すんなり進んでビックリしています。
覚えかたの話しは、こちらに書いています。
【まとめ】ひとはいつからでも学べる
最初に、母がわたしの挑戦に否定も肯定もしなかったけれど笑っていたと話しました。
あるとき、「わたし、家政学部出たけれど教員免許取らなかったな」と話したところ「え?もったいない!わたしは取ったよ」と。
びっくりしました。
母があれやこれやとっていた免許の最終は家庭科の教員免許だったのです!
当時40代だったかな。
わたしは母に勉強しろと言われたことはありません。だから勉強はしなかった。
けれど「勉強らしきこと(課題)」を家事育児を両立しながらやっている母の姿は、よくわからないながらスゴイなと思ってみていたものです。
ようやくいま、合点がいきました。
母もあの頃、おそらく葛藤をどこかに抱えていた年代。そして挑戦した。
だから「あんたもそういう歳になったか」と笑った。
そしてわたしは「ひとはいつからでも学べる」お手本を見て育ってきた。
よしやってみようと動けたのは、その姿が刷り込まれていたんですね。
なんだか孤独な闘いではないなと思えてきました。
がんばります。
昨日は子どもにゴメンって思ったはなしでした↓