午前1時にオランダ人のお客様が泣きながら自転車でチェックインした話。
『フランス人は服を10着しか持たない』なる本を読んで(正確にはタイトルしか読んでいない。)物を持たないシンプルな生活に憧れ、断捨離を決行し、結果、妻から誕生日プレゼントで貰った服まで捨てていたことに気付いた専務佐藤です。
妻の断捨離の対象が私にならないように願う。そんなスリリングな毎日を日々過ごしております。
当館、おおぎ荘は山のなかにポツンとある一軒宿でして最寄り駅まで車で40分はかかります。
そんな立地条件ですのでお泊まりのお客様は、ほとんどがマイカーやレンタカーなどのお車でいらっしゃってくださいます。あとバイクですね。もちろん最寄りのバス停への御送迎も承っております。
3〜4年前だったかな。12月の寒い時期でした。
ロッペン様(仮名)から1名お一人様プランで宿泊のご予約をいただきました。
インターネット予約だったんですが予約情報を見たら、お名前は海外の方なんですがお住まいのご住所は東京なんですね。
当館の予約画面の備考欄には『送迎を希望される方は、お申し付けください。』と書いてあるのですがその欄には『自分で行きます。』と書いてあったので、あー、この方は日本語ができる方かな〜。レンタカーで来るかな〜。と思っていました。
ちょっと話はズレますが当館のチェックイン時間は午後3時からになってまして、一応のチェックイン最終時間は6時までになっています。
ただ、渋滞だったり不測の事態だったりで遅くなる事もあるでしょうから、お電話さえいただければ柔軟に対応致します。ってスタイルです。
いやもうホントに、お客様が「間に合わなーい!!」って焦って急いで事故に遭われるぐらいだったら、2時間でも3時間でも全然余裕でお待ちします。
で、このロッペンさん(仮名)。6時を過ぎても現れなかったんですよね。
「ありゃ!連絡無いし、これはもしかして無断キャンセルかなー。」
って事で、ロッペン様の予約情報の連絡先に電話してみたんです。
03から始まる東京の御自宅の電話番号でした。
無断キャンセル臭いんで電話に出ることは無いかと思っていましたが、一応ダメ元で電話をしてみました。
プルルル…プルルル…プルル…ガチャッ!
けっこう早めのコールで電話に出られました。出ないと思ってた私はちょっと焦りながら、
「あっ!もしもし、こちら熊本の旅館おおぎ荘と申します。」
電話先の声は女性だった。
「Hello.peraperaperapera?」
私「あっ間違えました。I'm sorry!」
ガチャッ。
…。
電話番号間違えたかなーと思ってもう一度、お客様情報の電話番号を見てゆっくりダイヤルを押しました。
プルルル…プル…ガチャッ!
さっきより早く電話を取られました。
私「もしもし、こちら熊本の旅館おお…」
電話先「Hello.peraperapera?」
私「すいません!間違えました。I'msorry。」
ガチャッ。
…。
ここで確信したんですね私。
「これロッペンちだ。」って。
だって名前ロッペンだもん。03で東京に電話かけててちょっと忘れてたけどロッペンはロッペンだもん。今、電話出たのロッペンの母ちゃんかもしれないし、はたまたロッペンのワイフかもしれない。旦那をサイフと呼んでいるワイフかもしれない。
いやいや。ちょっと待て。こうなると予約確認している宿からの電話という図式では無く、2回連続で電話を取ったらすぐに切られる悪質な熊本からのイタズラ電話という図式が出来上がっているのではないか。
ハッ!東京在住の海外の方ということは下手したらどこぞの国の大使という可能性も無きにしもあらず。
まさか捉え方次第では国際問題に発展するのでは。
大使館を通じて厳重に抗議をしました。というニュースでよく聞くフレーズはこういった些細なすれ違いから始まるのでは…。
いろんな思いが重なり、私は電話の前で頭を抱えていた。
すると宿に電話がかかって来た。
ディスプレイに表示された電話番号はさっき俺が電話していた03から始まる、2分程前から見覚えのある10桁の数字。
そう。
ロッペンちだ。
もう電話取るの超こえーの!
スゲー剣幕で英語で怒られたらどうしようってちょっとガタガタ震えながら電話取りました。
私「はい、おおぎ荘でございます。(震え声)」
電話先「あのー、先程お電話いただいたんですけど…。」
私(あれっ?日本語?)
私「あっ、えっ、あ、あのーロッペン様の御自宅でしょうか?」
電話先「あっ、はいそうです。私、ロッペンさんの奥さんの友達なんですけどここにたまたま遊びに来ててロッペンさんの奥さんから日本語で電話かかって来てちょっと電話出てくれと頼まれたんです。どうかされたんでしょうか?」
私「あっ、そうだったんですね!何回も電話して申し訳ありませんでした!いやーご予約の確認の電話だったんですけどもイタズラ電話だと思われたらどうしようかと思ってました。本当にすいませんでした。」
電話先「あっ、そうだったんですね。伝えておきます。」
私「はい、ありがとうございます。お伝えください。」
日本語、そして怒られなかった事にホッとした私は丁重に謝って電話を切った。
電話を切った後に、気づいた。
いや何も解決してねー。
一番聞きたかった、ロッペンさんは今日来るのかという事を1ミリも触れてねー。
だって今の電話、ロッペンさんの奥さんのお友達と挨拶しただけだもん。
またもや私は電話の前で頭を抱えていた。
(もうこれ何か昔テレビで見た今井記者みたいなしつこさじゃない俺?)
って思いながらリダイヤルボタンを押した。
私「本当に何度もお電話申し訳ございません。本日ご予約いただいておりますロッペン様がまだお着きになられてないのでお電話差し上げたところでした。」
電話先「そうだったんですね。奥さんが今確認してみるとの事です。」
私「かしこまりました。ありがとうございます。」
電話先「あっ、奥さんが言うには、あと40キロほどで着くそうです。」
私「かしこまりました。本当に何度もすいません。」
電話先「いえいえ。奥様が遅くなってごめんなさいだそうです。」
私「気になさらないでください。とお伝えください。あと40キロほどならあと1時間くらいで着くかと思いますんでお待ちしております。」
そうして電話を切り、私は安堵していた。
ロッペン様は当館に向かっている。無断キャンセルを疑っていた自分が恥ずかしくなった。ロッペンさんごめんよ。
あと40キロほどならば車で1時間くらいだ。8時前には着くだろう。
そうこうしているうちに1時間をゆうに過ぎ、時計は9時を迎えようとしていた。
(おい、どうしたんだロッペン!途中で何かあったのか?まさか事故にでもあったのか?)
私は、もう本当に申し訳無いと思いながらもまたもや東京のロッペン様の御自宅に電話した。奥さんの友達がまだいる事を祈って。
プルル…プルル…ガチャ!
電話先「Hello!」
私は秒で絶望した。
そう。電話に出たのは…
ワイフですねー!(村西監督風)
もう私は開き直って英単語を並べた。
「アイム オオギソウ。クマモト ジャパニーズ ホテル。ソーリー。レイトタイム コール ソーリー。」
電話先「oh! just a moment please.」
電話先「お電話変わりました。奥さんの友人です。どうされました。」
私は安堵した。心から安堵した。奥さんの友達は帰っていなかった。ホントに助かった。
私「遅くにすいません。ロッペン様がまだお着きになられないので、再びお電話差し上げたところでした。何かあったのかと思って。」
電話先「今、奥様が電話していますんで、ちょっと待ってください。あっ、今、まだ向かってるそうです。えっ?えっと…あの…自転車で向かってるそうです。」
私「あっそうなんですね。かしこまりました。ありがとうございます。」ガチャッ。
良かった。来てくれてるんだ。ロッペン様は事故に遭ってなど無かった。そんな事考えてしまっていた自分を恥じた。
自転車で12月の寒空の下、山奥に向かって来ている。
ん?あれ?
自転車って言った?
えっ、チャリ?
ウソ?チャリ?
私は今井記者ばりにまたもやリダイヤルボタンを押した。
私「すいません。自転車で来られてるんですか?」
電話先「だそうです。私も車かなと思ってたんですけど…。」
私「今日はかなり寒いですし、田舎で街灯もあまり無いので、私がお車でお迎えに行きますって伝えてもらえませんか?場所さえ伝えていただければそこに行きますんで!」
電話先「それが今電話しているんですけど、圏外らしくて繋がらないみたいで奥さんがGPSで探してます。」
…もう…探し方がスパイ映画みたいになってる。
私は、居ても立っても居られず、宿周辺2キロ程を軽トラックに乗って探してみた。しかしそれらしき人はいなかった。
しばらく探して宿に帰ると、母女将がロッペン様の御自宅から電話を受けたとの事。
なんでも
「ロッペンさんと電話が繋がって、今、阿蘇の山中を走っていると。あと少しだから自力で行くと。どうしても完走すると。心配いらないぜと。」
………。
ロッペンが鉄の意思!!!
不思議な物でこうなるとロッペンさんに会った事も無いけど、何か早く会いたくなって。気付けば12時を過ぎて日も変わっていて。
まだかまだかと宿の外に出て待ってた。
すると別の20代の男性の御宿泊のお客様が「眠れなくて、星空を見に来た。」と外に出ていた。
「お兄さんは何してるの?」って聞かれたからこうこうこういう理由で外で待ってます。って伝えたらそのお客様も「へー、凄ーい!」って言って一緒に待ち構える事になり。
寒空の下、お客様と私ガタガタ震えながら。
あの時ばかりは会いたくて震える西野カナの心境が少し分かった気がした。
しばらくすると遠くの方から、ヘッドライトの光がゆっくりと近づいてきているのが見えた。もう自転車は漕いでいない。歩いて押している。
「キタ!ロッペンだ!」
私とお客様は嬉しくなり、二人で「良かったー!」と良く分からぬ握手をした。
あっ、ロッペン様の自宅に電話しなきゃと思って「お着きになりました。」と電話したら、電話口の向こうで「ワー!!!」と歓喜の声が上がっていた。ふと時計を見ると1時に差し掛かろうとしていた。
ロッペンめ、どんだけ愛されてんだこのヤロー!と思って改めてお出迎えしたら、ロッペン様はちょっとこっちが引くぐらい泣いていた。いやまあ一緒に出迎えたお客様はちょっと引いてた。
「来た時にハイタッチしましょうよ!」ってハイテンションで言ってたお客様が、ハイタッチ忘れるぐらい引いてた。
ロッペン様は身長190センチ程ある方で、そんな大きな男性がガタガタ震えながら体を小ちゃくして駐車場で声を上げて泣いている。
「怖かった。」「寒かった。」「死ぬかと思った。」
オランダ語だと思うが何となく雰囲気でそんな事言ってるのは理解できた。
深夜1時の山奥でなんとも言えないカオスな空気に包まれた。
ふと見たらさっきまでいたお客様は、もうお部屋に帰っていた。
オランダ国籍のパスポートを提示され、チェックイン手続きを無言で済ませお部屋に案内すると用意していた布団に倒れ込んだ。
私は「おやすみなさい。」とそそくさと部屋を後にした。
翌朝、朝食を済ませたロッペン様は
「今日は大分に行く!地獄温泉だ!」
と意気揚々と自転車を漕いで出発した。
地獄温泉か。多分今日も着く前に地獄見るんだろうなあと思いながら私は全力で手を振った。手を振りながら、
「宿に着くのが、遅くなりそうな時は電話した方がいいですよーーー!」
と私は叫んだ。
ロッペン様は自転車を漕ぎながら振り向く事なく右手の親指を上に突き立てた。
多分、言ってる意味分かっていない。