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Yシャツ生地のブラウス
初noteは、父のエピソードを投稿したので、母について書いてみようと思って書いていたのですが、なかなかまとまらず下書きに寝かしっ放しになっていました。読みにくいところあったらすみませんが、どうぞお付き合い下さい〜🥰
母は、手先がとても器用な人で、若い頃は洋裁の勉強をしていました。結婚後は着物をよく着る環境で、姑に習ったり和裁の本を読みながら、和裁も習得した程です。後期高齢者になった現在は、着なくなった着物をほどいては自分用のワンピースに作り替えています。昔の着物ですから生地がよいし、体のサイズに合っていることもあるのか、とても素敵で、母のセンスのよさには常々感心しています。
母のその器用さ、センスのよさは、私達が子供の頃から発揮されていて、保育園の園バッグやリュックサックは母の手作りでした。当時は、キルティングやデニム地のバッグもいいんだけど、お友達のビニール素材のキャラクターものバッグをちょっと羨ましく思ったこともありました。
また、ピアノの発表会のワンピースも母の手作りでした。お友達はヒラヒラでカラフルなワンピースを着て発表会に出ていましたが、私たち姉妹のワンピースは、大きめの襟にデザイン性はあったものの、色は黒や紺で全体的に形もシンプル…。園バッグ同様、子ども心にはカラフルなヒラヒラワンピースいいな〜…と正直思っていました。でも今思い返すと、母の作ったワンピースは品があって、いいとこのお嬢様ぽくて、とても素敵だったな〜と思うのです。
そして極めつけは…、小学校の制服のブラウスです。私達姉妹の制服の白いブラウスは、よくよく見ると細かい織り柄が入った生地であることがたまにありました。これは母が、父の紳士ものYシャツをリメイクし、娘の制服のブラウスを作っていたからです…。学校の制服すら手作りしていたなんて…。
当時は、舅がめちゃくちゃ厳しくて、父の給料は全部舅(父からすると実父親)に一度渡していたそうで、嫁である母が自由に使えるお金は殆どなかったようです。手作りの背景には、単純に“買えなかった”ということもあったのです。紳士もんYシャツ生地のブラウスなんて……。当時の母の心の内を思うと、ほんと涙がチョチョ切れます…。(今度、当時の気持ちを聞いてみようと思います…。)
三姉妹の末っ子の私の持ちものは、ほぼ全てのものがお下がりで(ランドセルもお下がりでした!一番上の姉が6学年差なので、その6年間使ったランドセルを真ん中の姉が使い、真ん中の姉が2年使ったランドセルを私が使いました…。)、体操服は穴が空いていることもありました。しかしそれも、分からないくらいキレイに繕ってくれていたので、他の子の既製品や新品を羨ましく思うことはあったけれど、私は母の手作りやリメイクの服を着ていることに、惨めさや恥ずかしさを感じたことは一度もありませんでした。縫製もきれいで手作りには見えない完成度であったし、そして母のセンスも良かったからだな〜とほんと感謝と尊敬しかありません。
私も母の血を薄〜く継いで、手芸程度だったらミシン作業も嫌いではなくて、息子らの小学校入学時には、手提げバッグやランチョンマットくらいは作りました。しかし母と違い、心底好きではないのでしょうね。手提げバッグ、ランチョンマット以来、ミシンで何かを作ることはしていません。それでも息子らは毎日、私の作った手提げバッグやランチョンマットと共に学校生活を送っています。そう考えると、無意識のうちに母の愛を送っているし、受け取ってくれているのかな、と思ってみたり…。そして我が身を振り返り、母の手作りしたものに身を包んでいた私は、母の愛の中で育っていたのだな〜と今更ながら思うのです。