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種蒔き①
はじめまして。徒然なるままに、考えていること、感じていることを書いていこうと思います。どこかで誰かが共感してくださったり、フッと口角を上げてくださったら本望です。
子どもの頃のお手伝いで、郵便局のポストに葉書を入れに行く、ということがよくありました。職業柄、お礼状を書くことが多かった父の手伝いでした。
父の文字は、クセはあるけれど達筆で、青いインクで書かれた文字は、いかにも“大人のお礼状”でした。“大人のお礼状”でありながら、崩しすぎず、捻りすぎてもない文字、文章は、小学生の私でも読めたし、理解ができないほどの難解な言い回しもなかったように思います。私は、父の葉書を読みながら、徒歩数分の簡易郵便局のポストまで葉書を入れに行くのが好きでした。
父の葉書から、“時候の挨拶”というものを知りました。今その時、庭で咲いている花のこと、感じている香りや肌感、それをそのまま書けばよい、ということを学びました。
お酒や果物など食品を頂戴してのお礼状を書く場合、お礼状が遅くなると食べた感想を書かねばならなくなるから、頂いたらなる早で【今夜、早速頂戴いたします】とお礼状を書く、そうすると楽しみにしている、嬉しかった気持ちも伝わる、味の感想で悩むこともない、という話をしてくれたこともあります。ナ・ル・ホ・ド!
結びの句、【まずは一葉御礼まで】(“一筆”でなく、葉書だから“一葉”とか??)の言い回しや、贈り物をした際、【ご笑味下さい】(“ご賞味”でなくへり下った意味合いで??“ご笑味”?)なんて言い回しも父の葉書で知りました。(日本語として、手紙ルールとして、正しいかはおいといて。)
今から思えば、この葉書をポストに入れるお手伝いは『種蒔き』だったんだな〜と感じてます。ものの数分、100メートルほどの距離お手伝いでしたが、大人の文章、手紙の書き方、時候の挨拶、結びの句…、いろんな種が蒔かれていました。
学生時代、国語が得意だった!ということはないけれど、実はここ最近、私、文章書くことは嫌いじゃないのかも!と思えてきています。もしかしたら40年の時を経て、父が蒔いてくれた種が今!芽を出しているのかも!もしそうなら、芽を伸ばし、葉や茎も育て、いつか花が咲くように、育てていきたいと思うのです。
その手始めとして、初めてnoteを書いてみました。稚拙な文章をお読み下さって、ありがとうございました。次回は、私自身が親として、子どもに蒔いている種をご紹介したいと思います。