人の話は最低限聞いてるふりはしたほうがいい
私が最近気づいたこととして人の話は最低限聞いているふりだけでもした方がいいということです。
流石に一対一で面と向かって話している時にあからさまに人の話を無視する人は少ないでしょうが、会議やミーティングにおいて他人が話している際によそ見したり、手をいじっている方がいらっしゃりました。
確かに日本の会議なんかは非生産的なことも多く私も大っ嫌いですが、そう思っていてもいざ私が話しているときにそういったことをされるとダメージを受けます。
その際に気がついたのが、話している側からすると結構そういった態度を取られていることが見えるということと、そういった態度を取られた方の話を聞きたくなくなることでした。
これについては私自身身に覚えがあり、小学生の時に入学式で私は新担任が話している最中に欠伸をしてしまったことがありました。
新担任からはツッコミを入れられ、同席していた母は気まずい思いをしていたようでした。
当時の私としては、何か主張したいわけではなく、ただただ眠かったのであくびをしてしまったわけでございますが、一般常識からすればかなり失礼なことをしていたと思います。
中学に入った直後くらいまで私は欠伸とはいかないまでも、消しカスを丸めたりと、集中力がないことはともかく、外見を取り繕うともしていませんでした。
そして私は社会人となり私自身が話させていただく機会も増えたのですが、いざ自分がやられてみると結構気になることがわかりました。
例えばお金をもらって講演しているとかならば、そういった行為をされてもまあお金は頂いたし、私の話がつまらなかったのかな、と思ったりもできるのでしょう。
しかし私は一介の事務職なので話すことといえば殆どが意思疎通、意見交換です。したがって私としては聞いていただく必要がありますし、また私も相手の話を聞かないといけないのです。
その時に私が話している際に手をいじったりしている人が話す時になると、話を聞かねえやつの話を聞かなきゃならないんだよと心の中でマイナスな感情が滲み出てきたことに気づきました。
この時に逆も然りだなと私に衝撃が走りました。
人に話を聞いて欲しければまず自分が人の話を聞かねばならない、ある意味等価交換といっても過言ではないのかと。
それ以来私は、とにかく話している人の方にへそを向けて、頷く、目を見るといったことを心がける様にしました。
するとなんとなくですがチーム内での私の人望が上がったというか、誰に話してもいい様なことであれば私のところへ優先的に来ていただけることが増えたなと感じました。
そして話かけていただく機会が増えると、自然と私の話を振るチャンスも増えましたし、聞いていただいている実感も感じられる様になりました。
逆に学生時代に私がいじめられていても教師が助けてくれなかったのは、私が教師の話を聞いていなかったことも要因の一つだったのではないかと、少しだけ思いました。
自分の話を聞いてくれ無かったからと見捨てたり、いじめたり無視するのは論外ですが、少なくとも人の話を聞いてあげるのは自分にとってプラスになると理解できました。
そして、相手の話を常に100%理解することは不可能ですが、最低限話を聞いているフリをする。
少なくともそっぽ向いたり手をいじったりとあからさまに聞いていないと捉えられる様な行為をすることは無意味どころかマイナスな行為なんだなと知ることができました。