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タイムマシンは実在する。だから今を生きよう。
「過程を楽しめ」
なんて、いつか誰かに言われたような気がする言葉。むずがゆいような、こそばゆいような。キザなセリフ。
でも実際その通りだったのだと、今は思う。
「過程を楽しむ」という事こそが、「生きる」という事なのだと。
突然だが、
私はタイムマシンの存在を信じている。
というか、もう私は何度もタイムマシンに乗っている。
この世に本当に実在するタイムマシンは、映画やドラマの中で出てくるような、過去にも未来にも指定した日時に行けるものではなく
想像するよりもごくごくわずかな時間だけ
未来に行けるタイムマシンだ
なんのこっちゃと思う人も多いかもしれないが、私だけではなく、現代人の多くの人がもうタイムマシンに乗っている。
代表的なタイムマシンで言えば、それは品川からも乗れるし、羽田からも乗れる。とても安い料金で乗れてしまう。
そう、新幹線や飛行機など、高速で移動するものは全てタイムマシンなのだ。すごく分かりやすく解説された以下の記事を紹介したい。
【自由研究】キミもタイムマシンに乗っていた!?光と時間のふしぎ
光速に近づけば近づく程時間の流れがゆっくり流れるようになる、といういわゆる相対性理論ってやつですね。
だから実は、新幹線や飛行機に乗るだけでも搭乗者の時間の流れは僅かだが遅くなる。自分の時間がほんの少し遅く流れる事になった結果、結果として、乗り物を降りる時にはちょっとだけ未来に到着しているというもの。
例えば、時速300kmの新幹線で東京から博多まで行くと、時間が約10億分の1秒だけ遅れる。つまり、10億分の1秒だけ未来に行ける。
時速300km程度では10億分の1秒というごく僅かな時間しか未来に行けないので、実感に乏しいわけだが・・・。
仮にもっともっと速い乗り物を開発したとしよう。
光の速度の99%の速さで飛ぶ超高速宇宙船を作れたとすると、時間の流れる速さは約7分の1になる。故に、その宇宙船で宇宙を1年間(宇宙船内で測った時間)旅行して地球に戻ってくると、地球では7倍の7年間が過ぎているので、6年先の未来に行ける、という事になる。
自分にとっては1年
でも自分以外の世界は7年過ぎてる
それはもう、紛れもないタイムスリップだろう。
浦島太郎の気持ちも少しは理解できるかもしれない。
ちょうどそんな現代版リアルタイムマシンを題材にした海外ドラマで、「マニフェスト」というドラマがある。予告編を置いておくので、もし興味がある人がいたら是非見てほしい。
ある飛行機に乗った乗客の全員が、意図せず5年後の未来にタイムスリップしてしまうという物語だ。NETFLIXで見れるのでおススメしておきたい。
前置きが長くなったが、
程度の違いこそあれど、「未来」という一方向に限っては既にタイムマシンが存在しているという事。
あなたは、乗ったら数年後の未来に行けるタイムマシンがあったら乗りたいだろうか?
私は仕事で新幹線や飛行機に乗る機会が多いのだが、その度に、ドラマ「マニフェスト」のように意図せず未来に飛ばされてしまう自分を少し想像してしまう。
結論から言うと、私はタイムスリップなどしたくない。
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愛する娘の成長を見れない人生なんて、私には考えられないからだ。
この子との時間を1分1秒でも無駄にしたくない。成長を見届けたい。
そんな気持ちが、真っ先に出てくる。
飛行機を降りたらひーちゃんがいきなり中学生になってました!!!
なんて事になったら、私は失われたその数年間を想い泣くだろう。。。
立ち直れないかもしれない。
私にとっては人生の「過程」であるその時間が、何よりも愛おしく、大切なものなのだから。
人生とは。
なんて、そんな大層な考えではないが。
人は必ず死ぬ。
人が有限な存在である限り、どんな出会いもその裏に、”別れ”という結論が待っている。
結果や、答えだけを求めるだけの人生ならば、
どんな人生を送ろうと、どんな偉業を成し遂げようと、
最後に待っている結果は「死」だ。どんな人でも。
どんなに偉大なアメリカ大統領も、いつか大統領を引退して、よぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんになって死ぬ。
どんなに偉大なチャンピオンも、いつか引退の時は来て、やっぱりよぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんになって死ぬ。
もしかしたら、よぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんになる前に、その時が来る人もいるかもしれない。
では、「死」という逃れられない事実に帰結するこの人生は、どんな出会いもどんな行いも無意味なのか?
というと、きっとそうではなく、多くの人が
「いや!人生にはきっと意味があるはずだ!」と言うに違いない。(そう信じたいだけかもしれないけどね)
私も、そう信じているうちの1人だ。
人生に本当に意味があるかなんて事は分からないが、
それでも僕らは「幸せになりたい」と願いながら、今もこの時を生きている。
「強くなりたい」と願い
切磋琢磨し、
仲間と出会い、
時に怪我をし、
時に生死を彷徨い、
仲間が先に逝ってしまったり、
闘えなくなってしまったり、
別の道を選んだり
結婚したり、
子供が出来たり、
お互い歳をとったななんて言いながら
肩を並べて酒を飲んだり
泣いたり、
笑ったり。
ほんとうに
泣いたり
笑ったり。
人生のその多くの出来事は「過程」なんだ。
でもその「過程」こそが、何よりも大事で、大切なんだと。
この世に生まれた瞬間に数十年後にタイムスリップして、「答え(数十年後の未来)」だけを見る人生なんて嫌でしょう?(笑)
私はしばらくの間、殴る蹴るとは無縁の生活を送ってきたが、
毎日毎日、ただ強くなる為だけに殴る蹴るしていた日々も無駄ではなかったと思っている。
今は色々なご縁で格闘技の映像ディレクターをやらせてもらっているが、プロ格闘家である事のアドバンテージは大きい。
チャンピオンになったわけでもなく、世間を揺るがすような世紀の一戦が出来たわけでもないが。
それでも、ここまで闘ってきた事にはちゃんと意味があった。
映像屋さんが ”格闘技が分かる” というのは、実はそれだけで希少だったりするのだ。
動画編集をしていた事も、配信をしていた事も。
全部にちゃんと意味があった。
今、自分を支えてくれている人達も、そんな中で出会いがあった人達だ。
出会った頃、数年後にこんな風になってるなんて全然想像できなかったけどね(笑)
周り道したっていいじゃない。
負けたっていい。
失敗したっていい。
その過程にも、きっと意味があるのだから。
答えや結果を求めるだけの人生なんて、つまんないよきっと。
出会いを
道くさを楽しめと。
別に、なるべく新幹線や飛行機に乗るのはやめましょうって話ではないですよ!!(笑)
最近こんな事をぐるぐるぐる考えていて、
ほんのちょっと
今を
この人生を
大切に生きたいなぁと思ったという話でございました。
CARPE DIEM!
今を生きよう!
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