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「北川 暁」という人物紹介
どうも、北川 暁です。
ここでは簡単に自己紹介をしたいと思います。
名前に関してはこちらを参照ください。
まずは出自ですが、生まれも育ちも大阪で、親の方針により中高一貫の私立学校に進学しました。
今思えばここが人生のターニングポイントだったように思えます。
本当は地元の公立中学に行きたかったのですが、強制的に私立に入れられたため、現在地元の友達はひとりもいません。
親への「反骨心」や「不信感」がこの時生まれ、自分の思うように生きたいと強く思ったのです。
高校卒業後の進路決めの際にもひと悶着あったのですが、中学進学時の経験を活かし、「大学を卒業さえすればあとは何をしてもいい」という確約を取り付けました。
人生初「取引」でした。
ところがここで、「大学卒業」を約束してしまったからには「大学入学」が絶対条件となってしまいました。
そもそも大学に進学するつもりがなく受験の知識が皆無だったため、当時の担任に受験先を選んでいただきました。
結果的にこれが功を奏します。
担任から勧められた学校は「神戸市外国語大学」でした。
正直聞いたこともない名前でしたが、「日本一小さい公立大学」というキャッチフレーズがなぜか引っかかり、「外国語ならやっておいて損はない」ということで手打ち。
3ヶ月後、無事合格しました。
大学入学を機に親元を離れ、神戸にてひとり暮らしを始めました。
専攻語学は「スペイン語」、部活は「ダンス部」と「軽音部」を兼部、アルバイトは常に2~3箇所を掛け持ちと、貧乏暇なしな生活っぷりでした。
これらが今のスペックの基盤を形成したことは間違いないでしょう。
3回生終了時に休学し、なぜかアメリカに留学し英語を習得。
帰国後スペイン留学帰りのクラスメイト達に触発され最終学年時はスペイン語を猛勉強し、無事習得。
「会社勤めはしない」と決めていたので、周りの就活の時期に合わせて進路を模索し、「モデル」の道を選択しました。
卒業後はそのまま神戸に住んでいましたが、バイト先のフレンチレストランで「店長」を任されモデルどころではなくなってしまったので、1年掛かりで全てを清算し帰阪。
最初の1年はさすがにほとんどモデルの仕事は取れなかったので、貯金を食いつぶしながら在宅で「翻訳業」を営んでいました。
2年目以降はモデルの仕事だけでやっていけるようになり、「個人事業主」の仲間入りを果たしました。
現在は、これまでの経験を掛け合わせ、「モデル」、「芝居」、「ダンス」、「講師」、「翻訳」と活動の幅を広げることができています。
中学入学以降の経験が何ひとつ無駄にならず、今の自分の助けになっていると思えるようになりました。
挨拶代わりの自己紹介となりましたが、以後お見知りおきを。
北川 暁