小説「モモコ」第4章〜雉谷の過去〜 【14話】
「なあ、雉谷君」
彼はいつも唐突に質問をぶつけてきた。
「《自分は何のために生まれたのか?》って考えたこと、一度はあるだろう?」
「また急に変なこと言い出したわね。ないわよ、そんな面倒なこと」
「でもさ、《自分は何のために生きるのか?》なら考えたことあるはずだよ。そうだろう?」
同僚の犬養ハジメ。彼は本当に変わった男だったわ。常に何か突拍子もない疑問を見つけては、思案に耽っているようだった。私たちが一つの世界を見ているときに、彼はその二つ目、三つ目の世界を見ているような男。
私はその頃、関東郊外の某研究所で医療研究者として従事し始めたところだった。地方の医療大学から論文一本で研究者街道を駆け上った私のようなアウトローとは違って、犬養君は大学卒業後もずっと生物学研究を続けている根っからのサイエンティストだった。
「私が生きている意味? そういう途方もないテーマを考えてみたことは私だってあったけど、もう過ぎたのよ、そういう時期は」
私は面倒臭がりつつも、また始まった、と笑っていたわ。
「そもそも生きるのに理由が必要かしら?」
「そう、さすがだよ!」
彼が望んでいる回答はだいたい検討がつくの。だから私が望み通りに答えてあげて、彼はいつも無邪気に喜んでいた。
「その通りなんだ。生きることに、理由もなければ目的もない。生命に目的なんてものはないんだよ。種の存続が生命の目的だという人もいるかもしれない。でもそれは、生命を生物種として見たときの話だ。生命の本質を考えるには、一度生物学から離れなければならないんだ」
犬養君は私が研究所にやってくるずっと前からそこに勤めていた。すぐに彼と私はよく一緒に研究をするようになった。専門分野も似通っていたから、同じ研究テーマを追いかけ始めたの。簡単に言うと、CRISPER-Cas9を応用したゲノム編集から数歩先の遺伝子工学なんだけど、そうね、ここでは説明を省くわ。
それと、言っておくけど男女の関係とかじゃないわよ。彼には奥さんだっていたんだから。
「生物種として考えると、生命は遺伝子を介して次の種へ繋がっていく終わりのない存在だ。しかし、例えば僕や雉谷君のような、たった一つの生命の歴史を考えるとき、そこには始まりと終わりしかない。生まれたときに始まり、死ぬときに終わる」
彼は誰よりも賢い頭脳を持ちながら、頭の中は子供じみた発想でいっぱいだった。いつだって、中二病じみた突拍子もないことを考えていたわ。
「僕らは、始まりから終わりに向かって生きるだけなんだ。どうしてだろう? 仮に、僕がいまここで死んだって人類が滅びるなんてことはあり得ないのに!」
ふつうならドン引きよね、こんな変人(笑)。
でも彼はいつもこんな感じだった。それでも不思議と、周りの人間からは慕われていたわ。
さっき犬養君は結婚しているって言ったけど、彼の奥さんは、私が研究所に来てすぐに亡くなってしまったの。
同級生同士で在学中に学生結婚した二人には、結婚して八年経ってもなかなか子供ができなかった。二人が三十歳になった年、ようやく待望の生命を授かったらしいわ。
でも、その出産が原因で母親は死んでしまった。
最愛の妻を失った犬養君が、待ち望んだ我が子を腕に抱きながらいったい何を思ったのか、とても想像すらできない。
そうよ、ルンバ。そうやって生まれたのが、あなたなの。
あなたは犬養ハジメの息子、犬養ヒトシ。
待って。
最後まで聞いて。
質問にはあとで答えるわ。
話の要点はここではないの。重要なのはあなたと私が少なからず知り合いだったことじゃないわ。
一番知らなきゃいけないのは、あなたと、あなたの妹のことよ。
〜つづく〜