受験燃え尽き症候群からの発熱40度で気づいた大切なこと
僕のささやかな30年の人生において、間違いなくバズーカ級の影響を与えた本というものが、実は3冊ありまして、そのうちの1冊が瀬谷ルミ子さんの「職業は武装解除」です。
大学1年生の頃、受験後の燃え尽き症候群で何一つ身が入らなかったダメダメ人間だった時期、よく大学からの情報でも流れてくる国際協力や海外の話になんとなく目が行って、なんとなく本を買って読みはじめて。
すぐに身悶えたのを覚えています。
情けなくて仕方なかった。
こんな言い方をするのはやっぱりエゴがすぎる気がしますが、本当に正直、その瞬間まで、自分がどれほどまでに恵まれた環境でぬくぬく生きてきたのか、ちゃんと考えたことがなかったのです。
新聞の一面に掲載された、死んだ母の傍らで泣きじゃくる子供の写真を見て、その写真をお菓子を食べながら居間で見ている自分とのギャップに衝撃を受けた、といったのが瀬谷さんの最初の原点だったと記憶してますが(記憶なので違ったらすみません…)
そういう瀬谷さんの語りを読めば読むほどに、大学受験を終えて何も頑張ることがなくなって、ダラダラと大学生活を過ごしている自分が情けなくなりました。このままでいかん、と思い始めた。
そんなこんなで悩んでいたら40度発熱して、1週間後に大学に復帰すると世界は全然何事もなく進んでいて。
自分という人間が世界に及ぼしてる影響の小ささ、考えてるだけじゃ意味がなく行動しか価値がないこと。そういうことを痛感したのを強く覚えてます。
今でこそ、ソーシャルベンチャーと呼ばれる企業で、社会課題を解決することを目的に仕事をしてはいますが、それでもやはり、僕はまだまだ安全圏から戦っている感覚を持ち続けています。
別に紛争地や、生死のかかった現場にいくことだけを尊いことと勘違いしてるわけではないのですが、僕は毎日安全な自宅に戻って、ぬくぬくとエアコンの聞いた部屋でゆっくり過ごしているわけで、やはり、ソーシャル・ビジネスの現地現場に出向いて踏ん張っている人に対して、尊敬の念があります。
ただ、それでいいんです。
そんな気持ちをちゃんと持ちながら、つまり自分たちがやっているソーシャルな事業や活動に酔わずに、戒めを噛み締めながら、
日々の小さな小さな仕事を、社会を少しでもよくすることを目的に、積み重ねていく。
そのモチベーションは、純粋なる愛の力だったり、地元を守りたい志だったり、いろいろあるわけですが、それすら高尚である必要はなくて、
僕みたいに「気に入らん」というエゴでもいいし、
ソーシャルのほうがイケてるよね、というノリでもいいし、
この人といっしょに働きたくて今ここにいる、というエンでもいいのです。
とにもかくにも、「社会を良くすることを目的に働く」人が増えること。それが大事な気がしています。
そんな人を一人でも増やすために、あるいはそんな人の背中をちょっとでも後押しするために、
僕は記事を書いていけたらいいなと思っています。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます! 少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひスキをお願いします!