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第39回:エネルギー問題を先輩に尋ねたら少子高齢化につながったという話

「価値が4〜5種類あるもんだから、違う価値同士の比較が難しいんだよ」

先輩はそう言ってコーヒーを飲んだ。5年ぶり近い先輩は、少しあごひげを生やしていた。

工学部時代、一緒に水車を作ったり子どもたちに科学を教えたりしていた先輩だ。僕らはエネルギー科学科専攻だった。エネルギーと聞くと太陽光発電とかを連想するかもしれないが、もともとは原子力技術がメインの専攻だったので、量子工学系の研究室が多かった。核燃料廃棄物の処分方法の研究をしてる友達とか、空気電池の電極材料の研究をしてる友達とか、とにかく、エネルギーに関わることを広く扱っていた。先輩とは研究室は違ったけれど、水車を作るサークルで一緒だった。

そんな先輩とは学部を卒業して以来まったく会っていない。久しぶりの先輩は、新卒で入った大手のエネルギー関連の会社で今も働いていた。たまたまFacebookでやりとりしたのを機に、福岡に戻られる日曜の朝にカフェで会うことになったのだ。

僕は大学院で文転してエネルギー分野からは離れてしまったし、ベンチャー企業でしか働いたものしかないものだから、大学の専攻から地続きでエネルギー分野に進み、誰もが知る大手企業で働いている先輩の話は非常に面白かったのだが、今回僕が一番聞きたかったのは別のところにあった。

エネルギー問題の解決方法はわかったのか?

大学でエネルギーを学び、最先端に近い大手エネ会社で働いて7年。その7年で得た知見と経験をもとに、先輩はいまどんな回答をするのか知りたかった。

日本も、海外も、どこもうまくいっていない

先輩の結論は、「結論は出てない」だった。

要は模索中ということ。誰もエネルギー問題の解決の道筋が見えていないだ。そしてこれは、よく好事例として引き合いに出されるドイツとかでさえ同じだという。日本も海外も、どこもうまくいっていない、という共通認識は重要な視点だ。ドイツや北欧の事例を輸入すればいい、といった安易な思考に陥ってしまうと本質的な問題が見えなくなる。

ただ、先輩が教えてくれたキーワードに「制度」「技術」があったので、ここからは、先輩の話をもとに僕の意見として書いてみたい。

電力市場は、官製市場。制度のアプローチ

FIT(フィード・イン・タリフ。和訳:固定価格買取制度)をどこよりも早く取り入れたドイツも、高騰する再エネ賦課金に市民負担が上がる、市場競争原理が働かず質の低い電力が増える等、問題を抱えた結果、いま新しくFIP(フィード・イン・プレミアム)を実験中とのこと。FIPは日本も取り入れましょうということで、経産省が今年6月に方針を発表してますので詳細はそちらを。

FIPの流れだけを見ると、「やはり、市場原理に任せるほうがいいじゃないか」と思ってしまいそうだけど、実際そうでもない。

アメリカの大停電の事例がわかりやすいと教えてもらった。電力自由化のせいで安定供給ができなくなったのだ。

「制度が追い付いていない」と、先輩は何度も言っていた。完全に市場原理に任せてしまうと、安かろう悪かろうで値下げ競争になり、電力をまともに供給できなくなってしまう。かなり前に話題になった牛丼屋の値下げ競合を思い出した。

市場任せにしきれないのは、電力が生活インフラだからだ。社会保障の議論に近いなと僕は感じた。要するに、電力とは実は、官製市場なのだ。官製市場である以上、制度のアップデートは常に求められるのだが、それがなかなか追いついていないというのが大きな問題。

これは、程度は違えど、今僕がいる福祉の業界にとても似ているなと感じた。介護も障害福祉も、利用料の9割を国が負担する官製市場だ。制度が変わったことでよりより福祉サービスが提供できるようになることもあれば、そのせいで潰れてしまう福祉事業所だってある。一方で、悪質な経営をしている本来潰れるべき事業所が、ゾンビのごとく生き残れてしまうことだってある。

エネルギー問題も、福祉が抱える問題(少子高齢化)も、どちらも共通しているのは2点。それが「社会問題」と呼ばれる人類史上未解決の課題であるということと、その解決のためには、市場性だけでは不十分で、国が関わる必要のある官製市場だということだ。

もちろん2つの問題は、規模も違えば関わるスタークホルダーもバラバラだ。ただ、人々の暮らしの基底になるインフラである以上、「制度」が関わる。先輩は「制度をどうにかするには政治からのアプローチしかない」と言っていた。

同時に「さすがに自分が政治の道にいくイメージは湧かない」とも言っていた。そうなると、もう一つのアプローチは「技術」だ。

蓄電池のブレイクスルーが待たれる。「技術」のアプローチ

「技術的なブレイクスルーはどこにありますか」という僕の質問に、先輩は「蓄電池だね」と答えた。僕は目を丸くしてびっくりしてしまった。

なぜなら、5年前に僕がエネルギー科学科を卒業するとき、僕の中で出た結論と変わらなかったからだ。エネルギー問題解決のためにいま最も重要なのは高機能の蓄電池が生まれることだ、というのが、僕の4年間の結論だった。発電や送電も大事なんだけど、何よりキーは蓄電だ。それが技術化した時、それを社会実装する立場で働くことがずっと僕の野望でもある。

とはいえ、その自分の結論に僕は疑いの目も向けていた。時の流れで、あっという間に状況は変わるはずだ、と。

だが、先輩の答えは、5年前の僕と一緒だった。蓄電技術が重要だと言われてから少なくとも5年の間、技術的ブレイクスルーはなかったことになる。

これに僕が驚いてしまうのは、おそらくIT畑で育ったからだと思う。インターネットの技術は日々凄まじい勢いで成長する。今主流の技術でも、5年も経てばレガシーと扱われることもしょっちゅうだ。ここに、エネルギーや電気という技術のタイムスパンの違いを感じる。

ただそれでも、技術は着実に前進している。今年の夏、ずっと電池研究をしてる友達と久々に会ったとき、一歩一歩進んでいることを実感させてもらった。専門的な内容をプレゼンされて話の半分も理解できなかったが、失いかけた工学の記憶を頼りに聞いた、友人の語る電池の今は、ちゃんと前に進んでいた。もう今となっては何も思い出せないが笑

経済価値と環境価値を比較できるか?

「電気には今いろんな価値がある」と先輩は言った。その価値の比較換算をどうするかに、僕らまだ完全な答えを出せていない。

例えば、みんな大好きな(?)太陽光発電は、もちろん環境に優しい。二酸化炭素を出さないし、自然のエネルギーを利用するから廃棄物も出ない。ただし、昼と夜、晴れと雨、北半球と南半球など、いろんな要素で発電量がころころ変わる。また、発電効率はまだ決して高くはないから、事業としては儲からない。だから、FITが導入されている。

つまり、太陽光発電は、環境価値は高いが、電力を安定供給するというインフラ的な価値は低く、儲かるかという経済価値も低いと言える。

一方で火力発電は、二酸化炭素をガンガン出すが、電力の安定供給は実現させる。また、発電効率も高いので、事業として成り立つ。

つまり、火力発電は、環境価値は低いが、インフラ的な価値は高く、経済的価値も高いと言える。

今は例として3つの価値をあげたが、実際にはまだ他にもあって、全部で4〜5個の価値があるという。その詳細までを先輩に聞くのを忘れてたので今はわからないが、おそらく、石油などの政治的・地政学的な価値や、SDGsなどで広がるブランド的な価値もあるだろう。今度ちゃんと聞いてみよう。

この異なる価値の比較換算の議論は、社会問題を考えるときにいつも出てくるテーマのように思える。そしてこれは、従来の資本主義ではきっと解決し得ない。

ちなみに僕の大学院の修論テーマは、経済的価値・社会的価値・協働的価値の3つの価値をテーマにクラウドファンディングを議論するものだった。価値の議論は、今後の世界をより良くするために重要なテーマだと思うので、また改めて考えてみたい。

工場のシニア技術者がいなくなる日本

先輩の話は他にも色々あったが、一番驚いたのは、少子高齢化がエネルギー問題にも大きな影響を及ぼしてるという話だった。

少子高齢化を分解すると、少子化による若者の減少、高齢化による介護問題、勤労世代の減少となるが、特にこの勤労世代の減少が影響する。

日本のものづくりの現場では、機械化やICT化が進んだとはいえ、技術の軸には未だ職人的な技術者の存在があるという。また、30代、40代の中間の世代がサービス業に多く流れたために、工場の現場に後継がいないそうだ。高齢者の退職がもたらすのは介護の社会保障費の増大だけでなく、二次産業を支える勤労世代の激減でもあるのだと、初めて実感した。

社会問題は繋がっている

エネルギー問題の解決方法について先輩に尋ねるだけのつもりが、いま僕が向き合っている少子高齢化問題にまで繋がり、いま世界が直面してる問題はバラバラではなく、すべて地続きに起きてる現象なのだと改めて理解できた。そんな課題直面中に現代で何ができるか?を考えるのは本当に途方も無いのだけれど、それ以上にこんな冒険は他にないとも思わずにいられない。まずは僕の立場から、一歩一歩前進させたい。



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