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ガキの頃の遊び、缶蹴り。


ワテがガキの頃は
近所の女子が
6年生から幼稚園まで
みんなで遊んだ。

鬼ごっこなんかをすると
幼稚園児はとうてい敵わないので
ワテらの地区では「とうふ(豆腐)」と呼ばれ、
みんなに混じって鬼から逃げて走るが
最初に捕まっても次の鬼にはならなくてよいというルールであった。
子供ながらに大変素晴らしいルールを作るものだ。小さい子が一緒に楽しめて、且つ酷い目に遭わない。
大袈裟に言えばSDGsだな。時代を先取りしている。誰一人取り残してない。感心する。

よく「缶蹴り」という遊びをした。
これは全国共通の遊びなのだろうか?
鬼になると悲惨な遊びである。

鬼じゃない子が 
地面に立てられた缶をなるべく遠くに蹴飛ばす。
缶が蹴られた瞬間、
鬼じゃない子は一目散に散り散りに逃げて隠れる。
鬼は急いで遠くに飛んでいった缶を回収する。その際、缶は蹴って蹴って、元の位置まで運び、元の位置に来たら手でまた缶を立てる。足で立てるんだっけ? んなことできるかな? 忘れた。
たしか、缶を立てる位置に、その辺の石で丸を描いておいたんだな。缶を立てたら、どういうわけか片足を、立てた缶の上に乗せたポーズで10だか30だが忘れたが数えてからみんなを探さないといけない。多分だいたいこんなかんじだったかと思うが。。。?

ワテらが子供の頃は、子供は野放しであった。
親たちが見守るなんてことはない。
子供らは、よそのお宅の敷地に自由に出入りし、
その家の裏だのに隠れる。
今ではありえない光景だ。
家は、いわゆる、昔からある鼠色のブロック塀に囲まれていて
なかなかの高さがある塀なんだが、
子供は身軽なので
ジャンプしてまず塀の上面に両腕で立ち、片足を掛け、もう片方の足も上げ、
なかなかの高さからジャンプして地面に降り立つ。これは今思えばなかなかの運動だ。現在なら体育のお教室にでもお月謝をお支払いしなければこんな運動はできまい。
ブロック塀には、デザイン性を上げるために、
ところどころの下から2.3段目くらいのブロックにだけ、貫通してデザイン装飾が施されていた。
それが子供にとっては格好の覗き窓になる。
そこから覗き込んで、鬼の動向を探ることができるのだ。
あ、そうだ。だから、ブロック塀を越える時も、まずこの覗き穴に足を掛けたんだ。この穴に片足を引っ掛けといてのぼるんだ。

鬼は誰かを捕まえると
捕虜として、
立てた缶のそばに居させて束縛することができる。
そうして全員を捕まえたら
最初に捕まえられた子に鬼は交代だ。
だがそこまで持っていけるのは稀で、

誰かを捕まえたのに
また違う子を探しに行っている間に
まだ捕まえられてない子がこっそり缶のところにやってきて缶をパコ〜ン!と蹴れば
せっかく捕まえた捕虜は
また逃げる権利を得る。
1からやり直しやねん。
缶蹴りはほんとに過酷なゲームである。最初の鬼決めのジャンケンに負けた時点で本日の運勢アウトや。。。

それにしても、
逃げ隠れていても 
いつまで隠れてても鬼が来なかったり、
延々と終わらなくて飽きてしまうと
鬼を放置したまま、友達と黙って帰宅してしまうこともあったなー。
なんてひどいんだ。とても理解できん。
でも子供ってそういうものなんだよね。幼いからハチャメチャなのよ。


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ワテの家は建売住宅で、
周りには密集して同じような形、同じような大きさの家が並んでいた。
ワテらは、2階の窓から屋根の上に出て、
隣の家の屋根にジャンプして遊んだりしていた。
今ではありえない遊びだ。なんて危ないのだろう。
とにかく子供らは野放しであった。
しかし子供というのは
それが危険じゃない、と勘で分かるものであった。実際身軽で、少しも危なっかしくなくジャンプしたものだ。(よい子はまねしてはいけません)。
もし今のこのボテボテの体で飛んだなら体が浮遊せず地面に落下して骨折して救急車や。出来ないことが分かるしやろうとも思わん。その勘も正解だ。


子供の頃はいつも近所の女子と遊んでいた。家の前の道路でも遊んだし、神社にもよく行った。子供らしい体を動かす遊びを促されることもなく普通にしていたから健康的だったよね。


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