【心問書簡】 孤独の顔
都会での初めての一人暮らしは、
想像以上に大変だったことを覚えています。
何もかもが慣れなくて、友達はいても、
独特の寂しさが、いつもそばにありました。
その寂しさを自覚することによって、
社会と向き合い変化していく自分を、
まるまる受け止めるための土台を獲得していくのかもしれませんが、
まだ十代だった当時、そんなことは露ほども知らないのでした。
今から十年以上も前のこと。
その日、行きつけの美容師さんに髪を切ってもらったあと、
遅めの昼食をとりに、近くのラーメン屋さんへ入りました。
カウンターに座り、慣れた手順で注文を済ませます。
何度か来たことのある店でした。
右隣に、若い黒人の男性客がおり、
離れたテーブル席に数人の客がいました。
ふと違和感を感じ、右側を見ると、
全く箸が進んでいません。
口に合わなかったのかな、と一瞬思いましたが、
そういうことではない、とすぐに分かりました。
横顔から、そして全身から、
まるで孤独が滲み出ている様でした。
そしてその瞬間、
自分もその孤独を知っている、と感じたのです。
二十歳過ぎくらいに見える彼は、
日本へ留学にきて、まだ数週間経った頃で、
ちょうどホームシックになっているのかもしれない。
私も海外経験があったので、そんな想像が胸をかすめました。
もしかしたら、ただ友達とけんかしただけかもしれないし、
そもそも、日本生まれの日本育ちかもしれません。
それでも彼の中に、何かしら大きな孤独があることは確かで、
目に見えぬその顔と、私は対峙したのでした。
私は、彼に話しかけるべきだ、と強く感じました。
失礼ですが、何かあったんですか?
とか、
あのう、日本語は話せますか?
とか、
旅行者の方ですか? 僕、英語の勉強してるんです。
とか、どんな言葉でもいいから。
しかし、最初のかすかな躊躇いが、私を離してはくれませんでした。
先日、当時と同じ美容師さんに髪を切ってもらったあと、
ふと、彼のことを思い出しました。
今でも、後悔の気持ちとともに、
ふっと思い出すことがあるのです。
それで思い立って、
久しぶりにあのラーメン屋さんへ寄っていくことにしました。
するとそこにはもう、
別のお店が立っているのでした。
どれだけ孤独を逃れようとしても、
孤独がなければ生きていけないということに、
やがては気づかされます。
孤独は単体で存在するわけではなく、
故郷を離れ、都会で自由に生活する開放感とセットであったり、
他人の中に、自分と同じ孤独を見つけたりすることと、セットであったりするからです。
今となっては、彼がいったいどんな状況だったのか、
確認することはできません。
ただあのとき、私は彼を通して、
自分の中の何かを掬い上げてやることも、できたはずなのです。
そのことに、今になってようやく、気付かされるのでした。
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