【心問書簡】 子どものことばのしっぽ
noteには、お題募集の一覧が掲載されているページがあります。
提示されたお題に沿って、文章を書くのです。
まだnoteを使いはじめたばかりの私は、
ああ、こういうのもあるのか、となんとなくそのページを眺めていました。
そこで、あるお題に目が止まりました。それは、
#子供に教えられたこと
すぐに頭に浮かびました。
ある詩集のこと。
私に子供はまだいないから、実戦で教えられた経験はたぶんありません。
もしかすると、どこかのお子さんから、何かを学んだことはあるかもしれないけど、
具体的なエピソードが、すぐには思いつきません。
元々は、川崎洋さんの「ことばの力」という本に感銘を受けて、その流れから、川崎さんが選者の一人として名を連ねておられる、「ことばのしっぽ」という詩集に行き着きました。
「ことばのしっぽ」は、子供の書いた詩を集めたものです。
4、5歳の子のものもあれば、小学生のものもあるけど、2歳や3歳など、自ら意図的に詩を書こうとはしないだろう幼児の、何気なく発したことばなどを、母親が書き留めたメモだったり、そういうものも、たくさん収録されています。
どきり、とさせられる様なことばや、ハッとさせられる様なことばが満載です。
読み手がどの詩に感銘を受けるかで、その人がどういう感性の持ち主かが分かるでしょう。
私はこの本にたくさん付箋してあります。
お気に入りの詩がいっぱいある。
その中の一つにこんなのがあります。
”
何か言うとき 渡辺 葉子(千葉・6歳)
お母さん
かんじとか
かたかなは書けるけど
何か言うときは
ぜんぶ
ひらがななんだね。
”
(ことばのしっぽ、読売新聞生活部監修、2017、p.34)
お母さんが書き留めた言葉だそうです。
これを読んで、そういえば英語の勉強をしてる時など、
英語で考える時と日本語で考える時とでは、
感情や思考が、微妙に変わることを思い出しました。
日本語の話し言葉は、確かにひらがなの印象ですね。
漢字で話している様に感じる時があるとすれば、どんな時でしょうか。
また、カタカナで話していると感じる時があるなら、それはどんな時でしょう。
この作者は、
もっともっとシンプルで深いところを、脚色せずそのまま、言ってるんだと思います。
ちなみに、実際の書籍は縦書きです。
不思議なもので、横書きと縦書きではまた、微妙に印象が違ってきます。
さて、漢字とカタカナとひらがな。
日本人はこれにローマ字を加えて、4種類のアルファベットを使い分けています。
それだけでも、かなりおもしろいことだと私は思いますが、日本語を勉強する方からすると、大変だろうな、とも思います。
同じ言葉だけでも、4通りの書き方があるのです。
「心」という字と、「こころ」。
どちらも好きな字ですが、微妙にニュアンスが違いませんか。
「宇宙」と「うちゅう」。
これはかなり印象が異なります。
そして「Uchu」とだけ書いてあったら、一体何のことだか分からないでしょう。
「嫌い」と「きらい」。
これは、もう別の言葉と言ってもいいかもしれないくらい、違った印象ではないでしょうか。
不思議なもので、その反対の、
「好き」と「すき」と「スキ」。
これは逆に、どれもかなり近いニュアンスがあります。
それこそ、その時の気分でどれを選んでも、似た様な印象を与えることができそうです。
個人的には、ひらがなの「すき」が一番、どきっとします。
友達に「おはよう」と言う時、
あなたは「ひらがな」で話しかけてますか?
それとも「カタカナ」ですか?
「おはよう」
「オハヨウ」
ほとんどの人が、ひらがなですよね。
カタカナだと、日本語を勉強中の、海外から来た方が言ってるみたいですね。
”
太陽 やなぎ たかお(東京・3歳)
ねえ ママ
太陽って いくつあるの
ぼくのおうちでしょ
ほいくえんでしょ
おおさきでしょ
かまがやでしょ
まりちゃんのおうちでしょ
道を歩いてても あるしネ
やっぱり
八こは あるんじゃない
”
(ことばのしっぽ、読売新聞生活部監修、2017、p.42)
選者の川崎洋さんも仰ってますが、不思議と勇気付けられる詩ですね。
太陽は一個じゃないんだ、と思うと、一人一つ太陽があるんだ、と思えます。
お母さんはこのことばを聞いて、嬉しかったんじゃないかな。
その日の夜、寝る前に思い出して、ふ、と微笑んでる。
そんな姿が想像できます。
子供は隣で口を開けて寝ています。
子供も、やがては大人になります。
人は成長するにつれ、何を獲得していくのでしょうか。
その過程で何を、忘れていくのでしょう。
常識やものごとを学んでいくことは、大切なことですが、
その中で、知らず知らずのうちに、
多くのレッテルを、世界に貼っていきます。
このレッテルが多い人ほど、一見まともに見えるので、
人間社会は不思議なものです。
子供のことばに感動し、
ハッとさせられる大人は多いと思います。
それは同じ感性が、自分の中にあることを発見するからです。
その場所が、震えるのです。
それを共鳴と呼ぶのだと思います。