喜屋武と匠とPORTOと私
ソーシャルBAR、PORTOの1周年イベント時の寄稿です。私(弊社)が運営する「場」日本橋CONNECTも、2020年9月1日で1周年を迎えます。この1年を思い出しながら、備忘録として本文を残しておきます。
古巣リクルート(以下 R)のお仕事で、当時Rの代理店で働いていた喜屋武の営業同行をしたのはいつ頃だっただろうか。大分昔の記憶がある。
私は独立後、お金に困っていた。助けてくれたのはRだった。営業が得意だった私に、「未成熟な若手代理店営業の指導役」と いう形で仕事をくれたのだ。その何回目かの同行に現れたのが、石垣島出身の喜屋武だっ た。濃い顔、濃い眉毛、人懐っこいコミュニケーション。別れ際に、「サトルさん、今日は 同行ありがとうございました。僕、新宿の BAR で日替わり店⻑やってるんです。良かったら一度遊びに来てください」。帰り際に声を掛けてもらったことを覚えている。
キャラが濃すぎたので結局行くことはなかった。けれどもそれ以来、喜屋武はことあるごとに私に連絡をしてくるようになった。奇妙な縁ができた瞬間だった。
喜屋武と私の縁がどのように深まっていったかは覚えていない。私は私で、起業後戦場のような日々を駆け抜けていたし、喜屋武もいつしか退職をしたらしく、彼は彼で日々色々と悩みながら走っていたのだろう。彼は、いつも、まるで尻尾を振っている子犬のような純真さと裏表のなさで私に近づき、私の時間を奪っていった。
「サトルさん、相談に乗ってください」「仕事がなくて困ってます、仕事ください」「今度、 友人と一緒に PORTOというお店をOPENしたいと考えているんです、アドバイスください」「クラウドファンディング始めることにしました。3 万円応援してください」。
彼は私の時間価値を理解しているのだろうか。アドバイスをする度に、「これってお金もらっていいんじゃないか」と感じ、応援し、出資した際には「いつ恩返ししてくれるのか」と感じたりもした。けれどもその過程で、一度も嫌な気分になることはなかった。
PORTOのコンセプト、そして店舗図面を見させてもらった日のこともよく覚えている。席数、単価、回転率。率直な感想は、「生きていくことはできるかもしれないけれど、私だったら絶対にやらない、決して儲からない商売」だった。けれども彼と、彼の友人である匠はリスクを負い、周囲に「助けてください」と宣言し、実践し、あれから 1 年以上生き⻑らえている。彼らは生き残った。それこそ、日々助けてくださる日替わり店⻑や、笑顔でお金を払ってくれる「つながり」というお客さまのお陰で。
私はその様子を見ていて、いつしか 同志のような感情を抱くようになった。
喜屋武と匠は、仲間と一緒にルビコン川を越えたのだ。誰からも強制されることなく、「やりたいことをやった」のだ。やらされる側からやる側に回った。こうなると私は、ただひたすら、同志として励まし合うしか術がない。
ソーシャルバーという事業モデルは、日々のつながりが全てだ。喜屋武、匠、そしてPORTOを構成する主体者とその周囲のご縁が途絶えない限り、喜屋武と匠は生きていけるし、その過程を見ている友人知人は人生に対するポジティブな勇気が湧くことだろう。喜屋武と匠が周囲の信頼を裏切ったとき、ソーシャルという事業体は崩壊し、きっと、私を含めた仲間、そしてお客さまは離れていくだろう。けれども、そんな日が来ることは、喜屋武や匠がお金持ちになることと同じくらい、イメージができない。
数年後、今度は違う形で、喜屋武や匠は「サトルさん、助けてください」「アドバイスして欲しいです」「お金に困ってます」と言うのだろう。その確信を踏まえて、私は、彼らがそう言ってきたときに受け止めきれる大人になれているのか自答するのだ。そんな未来予想が、今日も明日も、私の成⻑エンジンとなる。
PORTO の皆さん、1 周年おめでとうございます。
株式会社ファイアープレイス 代表取締役 & イグナイター 渡邉知