自己紹介させてください
場づくり会社、ファイアープレイス代表の渡邉知(わたなべさとる)と言います。178cm、72kg、宮城県仙台市出身のO型天秤座です。
中学まではピアノと競泳。高校で水球、大学ではアメリカンフットボール。昔は典型的な体育会気質で、順位が付けられるものは全て1番になりたいタイプでした。現在の性格を客観視することは難しいですが、「人の悪口を言わない」「マウントポジショントークをしない」「インプットとアウトプットを止めない」ことは自分と約束し、今のところ守れている気がします。昔からADHDの傾向がありましたが、起業後、その傾向に拍車が掛かりました。せっかちで飽きっぽいです。予定とお金の管理が超絶不得手です。渡りきった後に、橋があったことに気付くタイプです。
東京都と静岡県のまちづくりアドバイザーを拝命し、友人の会社、(株)さとゆめの社外プロデューサーを務めています。掲げているビジョンは「全ての人がビジョンを介して有機的につながり合う社会の実現」。2015年にファイアープレイスを起ち上げ、自らの肩書きを「イグナイター(点火役)」と名付けました。文字通り暑苦しくてすみません。
1999年に電通グループに入社。その後、30歳過ぎまで人事部採用グループの一員として新卒、中途採用に携わりました。人前で話し、人を口説くことが仕事となり、自社の魅力を伝えるための資料を準備することが日常でした。その蓄積があって、プレゼンやドキュメンテーションなどのアウトプット力が磨かれたように思います。先輩が愛情を持って後輩に教育コストを注いでくれる幸せな環境でした。
2008年、縁あって(株)リクルートに中途入社。最初の3年間は現在の(株)リクルートキャリアで、日本を代表する大手企業の採用支援を担当。この時の学びと気付きはこちらのインタビュー記事をご覧いただけると嬉しいです。2011年4月、社内異動を希望し、(株)リクルートライフスタイルのじゃらんリサーチセンターへ。地方創生事業のプロデューサー兼研究員としての活動を開始します。この時期の経験が、私の人生を大きく変えました。
仕事=連続するプロジェクト
じゃらんリサーチセンター時代の私のミッションは、ざっくり言うと「地域の皆さんと協力してその地を訪れる人を増やす(と、周り回って宿泊予約サイトのじゃらんが儲かる)」こと。当然のことながら、地域は1つとして同じではありません。それぞれ「実現したいこと」「解決したいこと」が異なります。よって、全ての仕事が唯一無二の「プロジェクト」でした。
ゴルフ人口を増やすための研究レポートをまとめたり(ゴルフ場が多い市区町村にとって、ゴルフ人口の減少は税収に関わる重要課題。ちなみに私はゴルフができません)、、
新たな地域産品を開発したり(熊本県上天草市は、大型商圏から地理的に遠く、新鮮な食材を新鮮なうちに届けることができません。傷んでしまったり廃棄処分になる前に、”うまみ”が詰まった食材を粉末状にして出汁パックにしてしまおう、と皆で考えました)、、
他にも、エリア全体の体験コンテンツを創る、宿泊プランを磨く、観光周遊パンフレットを作る、世界遺産登録を目指すロビー活動を展開する・・など、本当に数多くの経験を積ませていただきました。こうした仕事が年間20から30。その一つひとつで、通うエリアが異なり、一緒に働くメンバーが異なり、目的と目標が異なります。私の職業人生が「プロジェクト」の連続となったちょうどこの頃、(恐らく)その後の私の人生を決定づける「プロジェクト」に出会います。
キャンプ場作り、そして役割分担
2014年秋から2015年夏。色々なご縁が重なり、私は、長野県小諸市の遊休地を「キャンプ場にするプロジェクト」の発起人(言い出しっぺ)となりました(話したいこと伝えたいことは山ほどあるのですが割愛します。個別にぜひ聞いてやってください)。Facebookで「キャンプ場、一緒に作りませんか?」と仲間を募り、都内で説明会を開きました。以後、ほぼ毎週末、集まってくれた仲間と毎週のようにDIY・BBQ・テントで就寝〜翌朝帰京という生活を1年間、繰り返しました。
延べ200名以上の人たちが、当時つながっていた私の友人知人を通じて個別にメッセージをくださり、ほとんどお互いに「はじめまして」の中で1年という時間を共有しました。「一緒にキャンプ場を作ろう」という発信から始まった、上下間のない「ヨコ」のつながり。このとき私が直面した課題は、集まったメンバー一人ひとりの役割分担です。人が集まっても、「役割」がないと仕事が進まない。けれども皆初対面、それぞれ何ができるかわからない。
指示ができない私をよそに、普段、システムエンジニアとして活躍するメンバーが「スケジュール(工期)とお金の管理、私がやりましょうか」と手を挙げてくれました。BBQ上級インストラクターの資格保有者数名が「僕らが炊事班担当します」と言ってくれました。「じゃあ私はウッドデッキの設計しますね」とプロの大工が三角関数の計算を始め、「残ったメンバーで小屋の壁塗りやりましょう」と誰かが声を上げ・・。
皆、自分ができること、得意なことで自ら役割を見つけ、1年後、キャンプ場は完成します(私は、取り立てて何もできないので皆の応援をしてました)。共感するから一緒にやる。お互い得意なこと、できることで役割分担を開始する。そして、それら協働はいつしかコミュニティを育んでいく。この時の気付きと経験は、ファイアープレイスという会社を起ち上げる上での原点となっています。
つながりこそが全て
会社とは何か、仕事とは何か。その「意味と意義」と向き合わずとも、日々、時間は何とはなしに流れていきます。それまでの私にとって、会社や仕事はステイタスであり、生きるための手段であり、誰かと何かを比較するためのモノサシでした。けれども、先のキャンプ場づくりは、何故人は働くのか、その根本的な「意味と意義」に向き合うきっかけを私に与えてくれたのです。
会社とは人の集積であり、仕事(ビジネス)とは人と人のコミュニケーションの集積です。よって、「つながりこそが全て」。私の出した結論です。では、つながりとは、つながるとは、何でしょうか。私が考えるつながりとは、「共感」と「協働」です。
つながり(レベル1)とは「共感」です。自身の幸せ(=やりたいこと)を言語化し合い、その重なりから共感が生まれること。共感するから、人は人を応援し、支え合い、時間を共有することができる。先のキャンプ場づくりには共感がありました。
つながり(レベル2)とは「協働」です。ビジョンは大切ですが、ビジョンだけでは何も生まれません。そこに、お互いができること(できること=ファンクション)の価値交換があって始めて、人は誰かと何かを協働できる。先のキャンプ場づくりには、協働がありました。ビジョンがあり、ファンクションがあったから、私たちはそれぞれの意思で集まり、作り、そのアクションとアウトプットの蓄積がコミュニティを育んでくれたのです。
つながりを「言語化」できたこの頃、私は、「ビジョンとビジョンをつなげていくことに人生の時間を使いたい」と願うようになりました。そして、「ビジョンとビジョンがもっとつながりやすくなるための場づくり」を事業化することに決めました。2015年5月、会社設立。社名はファイアープレイス。私にとってファイアープレイスとは、人が自然に集まり、共感を介して緩やかにつながる場の象徴です。
会社の自己紹介をさせてください
前段が長くなりました。事業概要は弊社ホームページをご覧いただくとして、改めて、会社の自己紹介をさせてください。私たちファイアープレイスのビジョンは、「ビジョンをつなぐ、場とコミュニティの創造を通じて社会をより良くする」です。
ビジョンとビジョンが、もっとつながりやすくなるための場づくり。
場づくりとは、「つながりが生まれ、深まるところ」と、今でこそ定義できていますが、この時の私は、場づくりとは何なのか、言語化できていませんでした。ビジネスモデルもありません。「つなぎたい」「場づくりがしたい」という気持ち先行。典型的な勢い起業だったことを改めて告白します。けれども、1つだけ明確に決めていたことがあります。それは、「物理的な場所を保有すること」。
世界中がオンラインでつながった時代だからこそ、先のキャンプ場のような「オフライン」が大切になっていく。「ビジョンを介してつながるためには、ポジティブで、ワクワクできる物理的な場所が必要」という強い確信がありました。場所を所有するには多額のお金が必要です。けれども、保有するリスクと、自分たちの場所で人と人をつなぐ魅力とを天秤に掛けたとき、迷い無く後者を選択しました。
始まりは、ビルの屋上から
「場所が欲しい」と周囲に言い続けていると、縁がやってくるものです。私が手に入れたご縁は、川崎駅徒歩6分、築30年のマンションの最上階と屋上。自分の場所が欲しかった私は、すぐさま絵空事の事業計画を銀行に提出し、2,000万円を借り入れました。自己資金1,000万円を加え、総額3,000万円で室内と屋上のリノベーションを開始。何度思い返しても、この時の私は頭がイカれていたとしか思えません。
空間デザイナーの事業パートナーがパースを描き、大工の皆さんがその図面を形にしていってくれる。恋い焦がれていた場所が日に日に完成に近付いていきます。私はまるで、オモチャを与えられた子供でした。「何故起業したのか」創業当初のビジョンに魂を込めぬまま、自分がワクワクする空間づくりにただ没頭。見晴らしの良い屋上にジャグジーとテントを設置し、室内には大胆な意匠を施しました。綺麗に形を整えるだけの場づくりは残酷なほどに楽しく、かくして、私たちの最初の場所、「ロックヒルズガーデン」が完成します。
起業は妄想と勢い、事業は数字と継続持続
友人や知人を迎えたオープニングパーティーの余韻が覚めやらぬ頃、今更ながらに直面したリアルが「場所の収益化」です。家賃と借金返済で毎月出ていく「100万円(+人件費)」という金額の恐ろしさを、長らくサラリーマンをしていた私は後追いで知ることになります。当初、ふわっと思い描いていたビジネスは、「ゲストハウス兼レンタルスペース」。宿泊者を受け入れ、ポジティブな空間を自由に貸し出し、定期的に「ビジョンをつなぐ仕掛けやイベント」を継続することで収益が計れると信じ切っていました。
最初の躓きは、故あって(詳細は割愛します)「宿泊施設の許可が下りなかった」こと。更に追い打ちを掛けるように、室内と屋上のレンタルスペース貸しに注力していたところ、噂を聞きつけた保健所から「飲食が伴う場所貸しはNG」とご指導いただき、飲食店許可を正式に取得しなければ全ての事業が立ち行かなくなることに。
収益計画を立てること。リスクを事前に抽出すること。お客さまへの提供価値を決めること。いずれも、経営者として「当たり前」のこと。会社を興し、場所を創るという高揚感と比して、数字と向き合い、生きていくための売上を模索する日々は「圧倒的なリアル」を日々私に突きつけます。起業は妄想と勢い。事業は数字と継続持続。
私は、事業から逃げていたのだと思います。
「ビジョンをつなぎたい」「ビジョンとビジョンがもっとつながりやすくなるための場づくりがしたい」。起業前の想いは、銀行口座の現金と共に恐ろしい勢いで消えていきます。後手後手で飲食店許可を取得し、屋上でBBQ事業を開始。室内は、古巣のリクルートを中心に、法人企業の研修会場として利用いただけるよう備品を整えました。けれども、キャッシュが全く回りません。
自宅マンションを担保に入れ、車を売りました。貯金を切り崩し、追加で1,000万円ほど運転資金を投入しました。それでも現金は無くなっていく。眠れず、耳鳴りは止まず、毎日強烈な吐き気と緊張感に襲われました。電話の音が怖くて携帯を路上に投げ捨てたことも覚えています。
お客さまが帰った後の深夜に皿を洗い、ビール樽を洗浄し、「俺は一体何がやりたかったんだろう」と、閉店後の真っ暗な屋上で、数時間ぼーっと座り続けたことが何度もありました。この頃は、お金と自信に加えて、志も枯渇していたように思います。苦しくて、惨めでした。あの時の2年間を支えてくれた友人やパートナーの皆さんには、改めて感謝すると共に、当時の不義理を心からお詫びしたいです。
お金とは、挑戦権
絶望の2年間を経て、開業3年目の2017年から、ロックヒルズガーデンはポジティブな方向に回り始めます。きっかけは、「手ぶらで楽しめるBBQ場」としての価値を、「収益の柱」とすることに決めたこと。それまでの私は、ビジョンをつなげるための場所、という本来の想いから離れられず、「私のやりたかったことは飲食じゃない」と、ひたすら、お金と向き合うことから目を背けていました。「サトルがやりたかった事業ってBBQ場だったんだ」と周囲に言われることも嫌だった。けれども、暗闇の中を彷徨った2年間で、そんな見栄がどうでも良くなったのです。「やりたいことをしっかりやるためにも、まずは収益基盤をしっかり丁寧に創っていこう」と、ようやく、本当にようやく意思決定することができたのです。
「決める」ことで、メンバーがより一層支えてくれるようになりました。恐らく、「何をサポートすれば良いか見えるようになった」からだと思います。一緒にいてくれた仲間と協働できるまで、3年掛かりました。
メンバーと一緒に、使ってくださったお客さまに可能な限りメールをお送りし、感謝の気持ちを個別に伝えました。「話しかけて大丈夫そうだな」と感じたときは、積極的に「今日は何の集まりですか?」「普段は何をされているんですか?」とお声掛けしました。BBQは調理した完成品をお届けする業態ではなく、お客さまと一緒にプロセスを楽しめる「つながりの手段」。「焼き過ぎちゃいましたね」「そろそろ食べ頃ですよ」と、お店とお客さまの垣根を越えた「ヨコ」のコミュケーションを介して、日々コツコツと人間関係を蓄積していくことができました。全て結果論です。
学生と社会をつなぐイベントを企画しました。
ビジョンある生産者と、食べることに意義と意味を見出したい消費者をつなぐことができました。
結婚式で利用してくださるお客さまが現れました。
当初挑戦したかった「ビジョンをつなぐ場づくり」を、少しずつ、少しずつ、積み重ねることができるようになりました。来てくださったお客さまとの会話からつながりが生まれ、そのつながりが仕事になることも増えていく。ビジネス(収益化と継続持続)とビジョン(幸せ)は一対だった。「お金とは、自分が自分であるための、ビジョンを具現化するための挑戦権」。お恥ずかしいほどに今更ながらの、強く心に刻まれた気付きです。
3期目、黒字化
3期目を迎えた2017年。メンバーが飲食事業を支えてくれることで、私は安心して「資金繰り」、「言語化&発信」、そして、「人に会うこと」に注力できるようになります。現金が無くなった時は、古巣のリクルートが仕事を発注してくれて(営業講師やファシリテーター業務です)何とか首の皮一枚つなぎ止めることができました。葛藤、迷い、苦しみ。言葉では言い表せないこの時期の経験は、先輩経営者の皆さんが誰しも経験されている、「殻を破り脱皮する際の生誕儀礼」だったように思います。
「場づくり」「コミュニティ」「つながり」。相変わらず抽象度は高いものの、そうした、「創業以来ブレていない言葉」を発信し続けたことで、やったこともない、考えたこともないお仕事の相談や発注をいただけることも増えていきました。
「自分が活躍し輝ける仕事とは何か」、「自分の職業観に合った企業はどこにあるのか」。都市圏のホワイトカラーの皆さんが、自身のビジョンと向き合うイベントのワークショップ設計&ファシリテーションを任せていただきました。
「社員同士のつながりを深めたい」と、渋谷のIT企業さまより全社総会のプロデュース&運営をお任せいただきました。
「利用し切れていない広場を活用したい」と、江ノ島より場所活用のお仕事をいただき、パートナー企業と一緒に「お客さまとつながる非日常の空間」を演出しました。
駆け抜けた3年間。何度も心肺停止に追い込まれながら、それでもアクションとアウトプットを続けた(続けさせていただいた)ことで、2018年3月末、3期目の決算は黒字化しました。あの時の感慨と魂が抜けたような身体感覚を 、私は生涯忘れません。
全ては幸せになるために
皆さんは何のために生き、何のために仕事をされているでしょうか。暑苦しく面倒くさい問いですみません。しなくても良い起業を経験し、地元仙台が大震災に直面した経験からか、私は私の人生の意味と意義を考える機会が増えました。結論は出ています。言語化することも恥ずかしいのですが、見つかった答えは、「幸せになるため」。
幸せとは何でしょうか。私にとっての幸せとは、信頼・信用できる友人やパートナーと一緒に、心からワクワクする仕事(社会が未来に進む一助を担うこと)に向き合うこと。大好きな友人と、美味しい食事と空間を共有すること。愛情ある家族に囲まれて暮らすこと。即ち、全てが「豊かな人間関係」に起因しています。
ビジョンとビジョンをつなぎたいのは。つながり(共感と協働)を育む事業に挑戦したいのは。それは、私が幸せになりたいから。だから、この先も、自分自身が「幸せになるかどうか」を判断軸に、そのビジョンに共感してくれる仲間の力を借りて、つながりの創出事業に挑戦していきます。
テクノロジー(AI)は、「私たち人間がやらなくても良かった仕事」を社会に突きつけます。私は、そしてファイアープレイスは、「人であることを実感できる事業領域」で勝負する。だからこれからもつながりを尊び、人の幸せ(ビジョン)をつなぐ「場づくり」に挑戦し続けていきます。
これから、やりたいこと
私は恐らく、ファンクションドリブンの世代です。人生に、仕事に、進学に、意味と意義を見出さずとも、「何となくやらなければいけない空気感と、人と同じ価値観でいなければいけない同調・同質圧力に向き合いながら、”与えられた役割と課題に真剣に向き合ってきた” 世代だと思うのです。この世代はこれから、後付けでビジョンを追い求めるはずです。
一方で、これからの若い世代はビジョンドリブン。世界でたった一人の自分に素直になり、「自分は何をしたいのか」「その仕事は何故やらなければいけないか」全ての事象に対して意味と意義を求めます。ビジョンはあるがファンクション不全(まだ)の世代と、ファンクションは担えるがビジョン不在の世代。傲慢かも知れませんが、私は、ファイアープレイスは、その2つをつなぐ架け橋になりたい。その過程において、もし私の強みが役立つのであれば、パズルのピースを埋めるための「言葉探し」をサポートしたい。より良い社会づくりの一端として、担いたい役割です。
以上で自己紹介を終わります。こんな長文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。私も皆さんも、必ず死にます。死ぬのは生きているからで、生きることができたのは誰かが私たちに何らかの愛情と機会を注いでくれたから。意味と意義をバトンパスしていきましょう。死ぬときに、「生きた証」を子供や周囲に言語化して伝えていきましょう。
お金とは挑戦権、と書きました。いつか、この挑戦権を次の世代にバトンパスしたい。最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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