
備忘録〈日々更新〉
最終更新日時 2024年3月29日23:40
2013年
この惑星には愛されるという勝ち方もある
人はハッピーエンドの後も
生き続けていかなきゃならないから
大変なのはハッピーエンドの後なのにね
片想いも辛いですけど
一番辛いのは 両思いの人が
離れなきゃならないってことじゃないですか
自分が相手を好きにならないと
両思いにならないんですよ
自分らしくいたいというのはつまり
過去の自分を甘やかして楽をしている
そう 臆病者の考えだ
しかし人間は突如として勇敢になることもある
2014年
アウトを3つ取らずにチェンジする方法は何だ!?
どうでもいいだろ 今自分がどこにいるかなんて
大事なのは今の自分がこれから何をするかだろ?
まともに生きてねぇ奴が
まともに生きてる奴 非難するのはおかしいだろ!
ちゃんと私の足元は世界の果てまで繋がってる
何もない狭い世界で人生を終えなくて済む
そう思うのって生きてくエネルギーだよね
歪んだ場所にずっといると
そこが歪んでいることに気づかなくなる
外に出て 自分が歪んだ場所にいることに
気がついてほしい
人が何かを隠すのは
やましいことがあるからやと思っていました
独りよがりやがなと思わんこともないですが
誰かを守るために無心に嘘をつく人間もおるんですね
誰も悲しませずに死ぬことはできるんでしょうか
それはできないよ
誰も悲しませずに生きるのが難しいのと同じ
1人で生きていくことなんてできないんだから
2016年
東京は夢を叶えるための場所じゃないよ
東京は夢が叶わなかった事に
気付かずに居られる場所だよ
仕事に限らず人生だってなんだって
つまんないって思った時点でもう
つまんなくなっちゃうよ
楽しめるかどうかって
その人の気持ち次第なんじゃないの?
やるだけ無駄なんてこと
人生にいっこもないと思うんだ
たとえ誰にも褒めてもらえなくても
認めてもらえなくても
できる限りのことは全力で全部したって思いたい
当たり前のことを当たり前だって思えるのは
それを陰で守ってる人たちがいるからなんだよね
誰かに 誰かに選んで欲しい
ここに居ていいんだって認めてほしい
それは贅沢なんだろうか?
みんな誰かに必要とされたくて
でも上手くいかなくて
色んな気持ちをちょっとずつ諦めて
泣きたい気持ちを笑い飛ばして
そうやって生きているのかもしれない
これからどうしましょう
なんでもいい気がしてきました
籍を入れても入れなくても
2017年
七夕の短冊 子供の頃は素直に願いを書いた
けれど大人になると書かなくなる なぜだろう
どんなに願ったところで
叶わない事があると知ってしまったからだろうか
ほとんど叶うことのない願い それでも人は願いを託す
切実な願い 無邪気な願い
一人では叶うと信じることすら困難な願いもある
そんな時はどうする?
共に信じてくれる仲間と願えばいい
人は他人の痛みはわからない
医者と患者に限らず
夫婦、親子、友人 どんな間柄でもそれは同じだ
しかし痛みは教えてくれる
自分の側に その痛みを分かち合いたいと
思ってくれる人がいることを
その存在に気付かせてくれる
一秒で出来ることなんか たかが知れてる
でもそれを3600個積み重ねると
1時間になる 1時間あると何が起きるか
人の心ってのはおもしれぇもんで
蓋をすればするほどその感情は溢れたがる
忘れようとすればするほど思い出す
たまーに死にたくなるのがお前が生きてる証拠や
人は素敵な経験があるかないかで
心の汚れとか全然変わってくると思うんですよね
2018年
絶望してる暇があったら
うまいもの食べて寝るかな
死ぬのに良い人も悪い人もない
たまたま命を落とすんです
そして私たちはたまたま生きている
たまたま生きている私たちは
死を忌まわしいものにしてはいけないんです
ご遺体を前にしてあるのは
ただ命を奪ったという
取り返しのつかない事実だけです
犯人の気持ちなんて分かりはしないし
あなたの事を理解する必要なんてない
不幸な生い立ちなんて興味はないし
動機だってどうだっていい
夢なんてそんな大げさなもの
無くてもいいんじゃない?目標程度で
給料入ったらあれ買うとか
休みができたらどっか行くとか
誰かのために働くとか
「無理心中」なんて言うのは日本だけです
正しくは“murder-suicide”
殺人とそれに伴う犯人の自殺
要するに単なる身勝手な人殺しです
遠くの夢を追って 近くの目標を見つめて
今できる足元のことをやれ
この時期に点数が下がるくらい
いろんなことにチャレンジする
学んだことは誰にも奪われないから
見えない心というものを相手に
私たちにできることはあるのか
伝えるしかないんだと思う
想いを言葉にして
でもきっと想いの半分も伝わらない
言葉という道具は曖昧で
その上使いこなすのが難しいから
それでも伝え続ける
今伝わらなくてもいい
いつか心に届く日があれば
そう信じて言葉にし続ける
でもまれに 本当にごくまれに
多くを語らずとも想いが伝わることがある
努力を続けると
そんな幸運なプレゼントがあったりする
慣れない幸運は 恥ずかしさに似た感覚を呼び起こす
だが遠慮することはない
そんな時は幸運に身を任せればいい
普段伝えられない想いを伝えることができるはずだ
明日やろうはバカ野郎
100点よりも100%
しない後悔よりする後悔
出産は あなたの存在意義を
確かめるためにするものではありません
ずっと傷ひとつなく
生きていくなんて無理よ
病気もケガもするけど
手当てしながら
ニコニコくらしていく
健康ってそういうことなんじゃないかな
僕も産科医ですが
妊娠した女性の中で起きていることは
医療的には分かっても 気持ちは分かりません
それが無性に悔しく思うこともあります
でも 分からないぶん
分かりたいって思う気持ちは強いです
女性の医師が
女かだから分かるって流してるところも
僕は勉強して 経験を積んで
分かろうとします
病気って
悪いことばっかりじゃないと思うんです
病気だけど じゃあどうしようって
考えられる人は
案外 前向きなんじゃないかなって
相手の気持ちが分からないって
苦しいですよね
でも 絶対分かんないんですよね
自分じゃない人の気持ちは
だったら 一生懸命考えるしかなくて
それで 自分が出した答えを信じるしかない
2019年
過去の自分が今の自分をつくる
だから過去から逃げてるお前もお前もお前も
極めて幼稚なガキのまま成長が止まってるってわけだ
そんな奴らがいったい何から卒業するっていうんだよ
迷ってもがいて途方に暮れて
それでも正解を求めて前を向く
進んで進んで だめなら傷つきながら引き返す
で、また歯を食いしばって前を向く
みんなみっともないんだよ
でも、それでいい それがいい
恥を繰り返して強くなるんだよ
ていうか 恥もかかずに強くなれると思うな
生徒はモノじゃない 人間だ
俺たちが導いてやらなきゃならない
脆くて未完成な人間なんだよ
三歩先しか見えてない彼らに長いレールを敷いてやる
未来を信じて行く先を案じて
どの道を歩めば
それが彼らにとっての最善なのかを考える
寄り添って 寄り添って一緒に 答えを探す
それが教師の務めだろ
お前も お前も お前も
今まで散々正義感を振りかざしてきたくせに
分が悪くなった途端に
子どものように責任転嫁を始める
自分を正当化するのに必死だな
つまんねぇ生き方してんじゃねーぞ
見苦しいんだよ ふざけてんのはお前らだろうが
お前ら一度だって真剣になったことがあんのか
逃げてんじゃねーぞ
自分の親や友達に面と向かって言えない言葉を
見ず知らずの他人にぶつけんなよ
お前のストレスの発散で他人の心をえぐるなよ
分かるだろだろ俺の言いたいこと
お前らそこまでバカじゃねーだろ
気づいてくれ
いいか マインドボイスは
誰もが気軽に繋がれる便利なツールだ
気の合う友達を見つけて
いつでもどこでもコミュニケーションがとれる
人によっては心のよりどころになるだろう
それも大切だ 否定はしない けどその一方で
恐ろしい暴力装置にもなりうる
だから刻んで欲しいんだよ
相手を深く傷つけるかもしれない
独りよがりに偏った正義感が 束になることで
いとも簡単に人の命を奪えるかもしれないってことを
そこにいる君に これを見ているあなたに
一人ひとりの胸に刻んで欲しいんだよ
他人に同調するより 他人を貶すより
まずは自分を律して
磨いてつくっていくことが大切なんじゃないのか
てかそっちの方が楽しいだろ
その目もその口も手も
誰かを傷つけるためにあるわけじゃない
誰かと喜びを分かち合うために
誰かと幸せを噛み締めるためにあるんじゃないのか
そうだろ もっと人に優しくなろうぜ
もっと自分を大事にしようぜ
俺の言葉がどれだけ届いているのか
きっとほとんどの人間には痛くも痒くもないだろう
でも誰か一人でいい 君一人でいい
感情に任せた言葉が
影山澪奈のような犠牲者をつくるかもしれない
そう思って踏み止まってくれたら
俺が今ここに立っている意味がある
そしていつかきっとその一人が十人になって
百人になって千人になっていく
俺はそう信じてる だからどうか だからどうか
あなたに届いて欲しい 聞いてくれて ありがとう
Let's think
苦悩や苦労は時間じゃなくて密度だと思っている
ここに一本の道がある 一本ならば人は迷わない
だが実際は人生にはさまざまな道がある
先の見えない迷宮の中
だから人は追い求めるのかもしれない
信頼できる誰かの背中を
高すぎる理想は
かえって自分を追い詰めることにもなる
人が威張るのは自信のなさの表れ
大切な人の前では素顔が一番です
完璧になんてできなくていいんじゃないですかね
いるもんですよ ちょっと周りを見渡せば
自分に足りないものを補ってくれる誰かが
半径5m以内の人間が恋仲になる時
たいてい「まさか」って言いながら始まるんだよ
10年後に生きている確率よりも
明日生きている確率の方が
きっと高いじゃないですか
だから明日持つ夢の方がすごく大事です
ちっちゃいことでいいんです
夢というか目標
明日絶対にゴミを捨てるとかでもいいですし
明日絶対この子に会ってこれを話すとかでもいい
「誰を好きか」より
「誰といるときの自分が好きか」が重要らしいよ
自分が心から満足いくものができたら
たとえ失敗しても後悔はしないし
絶対に心は折れないものよ
自分の傷は 心の傷は 自分自身で埋めないと
大抵のことは傷ついて覚えるしかないんだよ
時間が解決してくれることももちろんあるけど
自分が変わらない限り
解決しない問題もたくさんあるよ
望みが叶わない人は悩みが尽きないし
望みが叶った人もその後どうするかで悩み続けんだよ
やりたいことが見つからなくて
何もしないのは良くないから
嫌じゃないことから始めてみたらって
好きなことを仕事にしたいっていう気持ちに
こだわることは全然悪いことじゃないんだけど
動かないと やりたい事に新たに出会う機会が減るから
余計悪循環なんだよね
恋愛が努力次第でどうにかなるんだったら
この世に別れなんてないって
憧れは憧れのままそっとしておくのが
一番だと分かったんだよ
まだ決まってない役職なりポストを
誰にするか選ぶという意味では 恋愛も立派な選挙だぞ
自分と一緒にいるとこんなメリットがあると
マニフェストを掲げて
好きな人の定数1を目指す恋愛は
人間にとって最も重要な選挙と言っても過言ではない
高校に行かなきゃためられない経験が確実にあるから
友達作って恋をして勉強して
楽しんだり傷ついたりしないとたまらない経験が
高校にはあるから
初恋を超えることなんて一生ないんですよ
探し物って
見つけようって思ってる時は全然見つかんないんだよ
先入観が邪魔して
ここにあるはずがないって決めつけるから
探してることを忘れた方が
意外と出てきたりするもんなんだよね
後戻りできないという意味では
ハロウィンもヘロインもおんなじだからね
2020年
お金ってさ 大事な人のために使うんなら
価値は何倍にもなると思うんだよね
簡単に手に入るものに人は執着しないよ
予備校には入学式はあれど卒業式はない
ならば合格発表が終了のホイッスルかな
人よりほんの少し努力するのが辛くなくて
ほんの少し簡単にできること
それがお前の得意なもんだ
それが見つかればしがみつけ 必ず道は開く
頼ることは恥ずかしいことじゃない
自分の才能から逃げるな 一生後悔するぞ
誰か一人に向けて書かれた曲って
不思議と多くの人の心に刺さるもんだよな
歌って心の支えになるだろ?
誰にでも自分にとって大切な曲があるもんだ
われわれには想像力ってもんがあるだろ
膨らせるのも萎ませるのもてめぇ次第だ
感情移入とは違う 記憶を呼び起こす物語でした
やった後悔 やらなかった後悔
あの時ひと声かけていれば もしも飲みに誘っていれば
なくさずに助けられたかもしれない後輩の思い出が
私にはあります
それなりの年数を務めていると
ああしておけば こうしておけば良かった
という悔いとともにいます
でも私たちはそれを表に出さず
いつも強く そして正しくいなくてはならない
それがふっとしんどくなると お酒の力を借りて
失ったものの思い出を共有出来る仲間とだけ
共に語り合うスイッチが 確かに存在します
本編最後のマンションでの数分間は
星野さんご自身の気持ちが入っていたお芝居で
すばらしかったです
それと同時に 同じように実際に棺に語りかけたり
泣きながら怒鳴っていた同僚がいたなと思い出して
辛いシーンでした
志摩のように冷静な人や九重のような若手
そして飲むと愚痴る陣馬さんのような方は
現場に沢山いますよ
あと同業同士の結婚事情も当たっていて
クスリと笑いました
私は伊吹のように どんな相手にもいつも
機微を捉えて寄り添える人間でいたいと思います
俺たち警察は弱いものを守りながら
どこまでも正しく清廉潔白でいなくちゃならない
正義の味方は辛いのー
人にはたくさんのスイッチがあって
いい方にも悪い方にもいく
たどる道はまっすぐじゃない
障害物があったり それをうまくよけたと思ったら
横から押されて違う道に入ったり
そうこうするうちに罪を犯してしまう
何かのスイッチで道を間違える
自分の道は自分で決めるべきだ 俺もそう思う
だけど人によって障害物の数は違う
正しい道に戻れる人もいれば
取り返しがつかなくなる人もいる
誰と出会うか出会わないか
この人の行く先を変えるスイッチは何か
その時が来るまで誰にも分からない
罪を裁くのは司法の仕事
世間が好き勝手に
私的制裁を加えていい理由には ならない
希望を与えるなら責任をとらないといけない
今この国は大きな危機に見舞われています
航空業界だけでなく ありとあらゆる業界が
厳しい不況に苦しんでいる
それでも人々は必死に今を耐え忍ぶ
苦難に負けまいと歯を食いしばり
懸命に日々を過ごしているんです
それは いつかきっとこの国にまた
誰もが笑顔になれるような明るい未来が来るはずだと
信じてるからだ
大企業にいるからいい仕事ができるわけじゃない
どんな会社にいてもどんな仕事をしていても
自分の仕事にプライドを持って日々奮闘し
達成感を得ている人のことを
本当の「勝ち組」というんじゃないかと俺は思う
物事の是非は決断した時に決まるものではない
評価が定まるのは常に後になってからだ
もしかしたら間違っているかもしれない
だからこそ
今自分が正しいと信じる決断をしなければならないと私は思う
決して後悔をしないために
本人の「大丈夫」なんて一番信用できません
そういう人に限ってある日突然心が折れるんです
お前の不器用を武器にしろ
傷つくことから逃げてたら恋なんかできません
私が幸せなのは夫がいるからじゃない
好きになった人に好きになってもらって
一緒に暮らしてるから幸せなの
私が幸せなのは子どもがいるからじゃない
うちの子が世界一素敵で大好きだから幸せなの
何かに属してるから幸せな訳じゃない
2種類の人がいると幸せなんだって 人は
なんか辛いことがあった時に
1人はとにかくなんでも打ち明けられる人
で 怒ったりもしてくれてね
で もう1人は何も聞かずに
馬鹿やって一緒に笑ってくれる人
生きるだけじゃなくて 強く生きるために必要なのは
誰かを大切に思うことだ
誰かを大切に思えば きっと相手も思ってくれる
そういう人がこの世界にいれば強くなれる
その人のために生きようって思えるから
生きるってことは ずっと幸せってやつに
片想いし続けることなのかもしれない
でも片想いは切ないけど 楽しいよね
確かに今 僕らが暮らすこの星は
傷ついて弱ってるのかもしれない
でも今を生きる僕らみんなが
幸せにちゃんと片想いしていれば
きっと大丈夫 この星は壊れない
できないことがあって不幸なわけじゃない
きっとできない他の幸せあるから
ゆっくり進んでいこう
この世界は愛だけで成り立っているわけじゃないし
いい人だけしかいないわけじゃない
一歩道を曲がれば
そこには得体のしれない
悪意とか暴力とかがあって
それはきっとなくなることはなくて
僕らにできることは 誰かにしっかりつかまって
誰かとしっかり手をつないで
自分たちを守るしかないんだ
でないと不幸への落とし穴はそこら中にある
でも 大切な人 守るべき人が一人増えれば
そのぶん世界は良い方向に向かう
そういうことだよね
僕らはどんな嫌なことだって
楽しいことに変えてしまえる力を持ってんだ
それを『強い』っていうんだ
どれだけ世界が変わっても
変わらないものってあると思います
人は元から心にぽっかり穴が空いていて
その穴を家族や恋人や友達や趣味や
色んなもので埋める
その穴から消えていかない ずっと残るもの
それが本当に好きってこと
うまくいかない時にそれでも続ける努力を
底力って言うんだよ
見えないものと闘った1年は
見えないものに支えられた1年だと思う
小さなカイトに 今 時代の風が
容赦なく吹きつけているかのようです
昨年1月に 活動をあと2年だけと発表し
夢を掲げて懸命に走り続けた僕たちも
戸惑いと絶望に襲われました
大事な人を突然失って呆然としたメンバーもいた
そんな僕らのそばで
消えずにいてくれたものがありました
たくさんの熱い声援と 希望を語り続ける歌でした
嵐という奇跡のような場所です
おかげで僕たちは
もっともっと深い悲しみに苦しんでいる人々に
思いを寄せる方へと
舵を切ることができるようになりました
叶わなかった夢も 嵐の21年の歴史の一部です
そこにはこの時間で学んだ
知恵や勇気 慰めや思いやり
すべてしっかり記しておこうと思います
あと2時間余りで年が明けて
僕たちの嵐は一旦止みます
嵐が去った後に虹のかかった美しい空が
どうかみなさんの前に広がりますように
明けない夜はないと信じて
2021年冬ドラマ
一人ひとり どこかで生まれた私たちが
他愛もない話をする
心の中の孤独は きっと誰もが持っていて
いつまでも消えないのかもしれない
だけど いつか再び会えた時 少しだけ優しくなって
元気で助け合えればいい
それぞれの小さな宇宙を抱えて
近くて遠いお隣さんとして生きていければいい
そうすればいつかきっと
夢って覚悟を持った瞬間に目的に変わると思うんです
世界に不幸の量が決まってるとして
私がそれを1つ引き受けることで
世界は救われてる 誰かが救われてる
私は世界をちょっときれいにしてる
2021年春ドラマ
真面目な人ほど簡単に転げ落ちちゃうからね
助けを求めて手を伸ばせばいいのに
周りを巻き添えにしちゃいけないって
我慢しちゃうからね
さみしいんですよね 何かを頑張ろうとする気持ちを
抑える日が来るなんて思ってなかったし
頑張らなくていい方を選択したこともなかったんで
こんなはずじゃなかったのになって
ドアをノックし続けることが大事なの
着信履歴はね 心配してるよっていう
メッセージなんだよ
昨日大丈夫やった人が明日大丈夫やなくなる
世の中そんなんばっかりやわ
人の評価なんか関係ない 自分で自分に胸を張る
それでいいと思うけどね
外の世界でどんなに落ち込んでも
上手くいかないことがあっても
これさえあればいいのよ 空と水と空気
人に手を差し伸べるのは優しさからではない
誰かに頼りにされたり感謝されると
自分の存在意義が簡単に保証されるし
生きてる罪悪感が少しだけ和らぐから
高校を出てから何もやりたいことはなかったけど
何者かにはなりたいと思っている自分がいた
でも何をしていいのか分からなかった
何かを始めようと思っても 努力して
何にも結果が出なかった時のことばかり想像して
一歩も動けなくなった
マクベスの人たちを見ていると不思議に思う
結果が出ないことへの恐怖心はないのだろうか
どうして自分たちの可能性に
そこまでbetし続けられるのだろう
本当に空っぽな人ってさ
誰かを助けたいって頭で思うだけで 動けない人だよ
卒業式前の高揚感と一緒だよ
あとちょっとで終わるって思うから
いろんな記憶が光り輝いて見えるし
離れがたく思うだけでさ
そんなに卒業したくないなら
高校1年からやり直していいよって言われて
喜ぶやついんのかよ
すぐに結果に結びつかなくても
後から遅れて結果が出る努力もあると思います
やめることが
全てネガティブなこととは限りませんから
誰かに何か言われなきゃダメなのかな
誰かに必要だって言われて
役に立ってるって言われて そういうのが幸せ?
俺は自分で決めたい 自分の価値は自分で決める
誰にも左右されない
変わるのなんて簡単じゃん
大人のふりして
ガキくさいことを全部否定すればいいんだからさ
でも一度ガキくさいことを否定したら
もう二度と戻れないんだよ
昔できてたことって簡単にできなくなるからね
東大受験は集団で目指す方が圧倒的に合格率が高い
例えば地方の公立校
東大を受ける生徒はせいぜい年に1人いるかどうかだ
そういった生徒は地元の期待を一心に背負い
完全アウェーな状態で東大を受けることになる
それに対し有名進学校はどうだ?
毎年何人もの生徒が一斉に東大を受験する
こいつにできるんだったら自分もできる
そういった意識の中で切磋琢磨し
受験当日会場には普段から見知った仲間が大勢いる
どっちが有利か想像しなくても分かるだろ
「分かる」の後に来る言葉は 「別れ」だ
物事を理解したり 誰かを深く分かった後には
別れが来てしまうんですな
そりゃあさあ若いんだもん 失敗だってあるよ
でも歳をとって思い出すのは
何を失敗したかじゃなくて
そのときにまた立ち上がれたか
くじけるもんか まだまだやれる
こんちくしょう!ってね
だから何度でも立ち上がって欲しい
人から与えられたきっかけをいかに大切にするかで
人生って劇的に変わるんだよなぁ
人に優しく接したり
手を差し伸べたりする自分のことが
偽善者に思えてうんざりすることもあったけど
これからは出会う人の人生に躊躇なく寄り添い
喜んでもらうために全力で世話を焼いていく
ズルい女のままでいいのだ
高いハードルに向き合うと
人は弱い部分が浮き彫りになる
自分の弱さを知り それを乗り越えれば強くなれる
合格するためには
そのくらいのハートの強さが必要なんだ
やってきたことを信じる 自分自身を肯定する
それができれば本来の力を取り戻す
大抵の悩みなんてのはな 飯食って寝りゃあ解決すんだ
全部知ろうとしなくてもいいのかなって思えてきた
それでも知ろうとする努力を続けるんだけどね
そういう時期ってあるから 仕事って
何もかも投げ売って
やらなきゃいけない時期ってのがあるから
自分が幸運だと分からない人間は
現状に満足できないからずっと何かを追い求める
だがそこには覚悟がない
だからちょっとつらくなるとやめて
はい次また次と長続きしない
幸運にも次から次へと与えてもらえたことが
お前の覚悟を弱らせてんだ
そんな人間が幸せになれると思うか?
俺みたいに昔っからちやほやされてきた人間が
自分を満足させようとするのは難しいんだよ
こんな仕事じゃかっこ悪いとか
こんな金じゃ満足できないとか
一歩も動けなくなる
まぁだから 周りの大切な人を
満足させてみようって切り替えた
あーもしかしたら
周りを満足させる生き方ができた時に
初めて本当の意味で
自分を満足させられるような気がしてるんだよ
人生休むのもあながち悪いことばっかじゃないぞ
言い訳には2種類ある 勝者の言い訳と敗者の言い訳だ
敗者はよく考えもせず
たまたま間違っただけだと言って片付けたり
人のせいにして自分は悪くなかったと思おうとする
それに対して勝者は ミスした状況を深く自己分析し
改善できる方法を徹底的に考え次に生かす
あとで振り返った時に正解だったと思えるよう
生きていくしかないだろ
まぁそりゃあ100人の人に見てもらえたら
そりゃ嬉しいですけど
1人の人が100回見てくれることも
同じくらい嬉しいことで
もしかしたらそれ以上にありがたいことで
1人の人がちゃんと見てくれてると分かっただけで
俺たちみたいな人間は頑張れるんですよ
やってきた努力が無駄じゃなかったなって
思えるんですよ
「人生はコントだ」なんて
安っぽいことを言うつもりはない
でもあとから振り返った人生が
くだらないコントのように見えたとしたら
それはそんなに悪くない人生だったと
思えるんじゃないか?
やっぱり高校って 生徒たちが大人になった時に
帰れる場所なんですよね
私にとってそれが龍山高校で
なにか辛いことにぶつかった時も
あの時あの場所で頑張ったという記憶が支えてくれる
自分の将来は周りが決めるんじゃねえ
世の中の流れに乗るもんでもねぇ
自分の人生は自分でつくる
人生はどうなるかじゃなく どうするかだ
やりたいことはやれ 見たいものは見るんだよ 行け!
おかえりモネ
空を見て雲が綺麗だと思えた時点で
人は前向きになれていると思います
それは良いことが起きる前兆と言っても
いいんじゃないでしょうか
何もできなかったと思う人は
次はきっと何かできるようになりたいと
強く思うでしょう?
その思いがわたしたちを動かすエンジンです
女性の笑顔はドン引きと表裏一体
恋愛は距離だよ そばにいることがいちばん大事なの
自分の背負ってきたものを仕事に直結させると
大抵ドツボにはまります
人の役に立ちたいとかって
結局自分のためなんじゃん?
「あなたのおかげで助かりました」
っていうあの言葉は麻薬です
気持ちいいでしょう?単純に
全ての不安や疲れが吹き飛ぶ
自分が誰かの役に立った 自分には価値がある
そう思わせてくれる
自分は無力かもしれないと思っている人間にとって
これ以上の快楽はない
脳が言われた時の幸福を強烈に覚えてしまう
麻薬以外の何物でもない
そしてまた言われたいと突っ走ってしまう
その結果 周りが見えなくなる
行き着く先は全部自分のためだ
私が100%自分のためにがんばってることがな
巡り巡ってどっかのだれかを
ちょこっとだけでも元気づけてたら
それはそれで幸せやなって思うんよ
人の気持ちなんかふわふわしたもんなんだよ
自分が大好きで
相手も自分のこと好きでいてくれる瞬間なんてね
ほんと一瞬しかないんだからね
奇跡だからね この一瞬を逃したら次の日には
いろんなことが変わっちゃうかもしれないんだよ
それで変わっちゃったらもう元には戻らない
東京って変なとこな でもなんかいいな
一瞬仲間みたいになるけど
基本誰も興味ないじゃん 俺がどこの誰とか 楽でいい
周りの期待にこたえるってさ 案外楽なんだよ 最初はね
でもだんだん苦しくなる
生きてきて何もなかった人なんていないでしょ
何かしらの痛みはあるでしょ
自覚してるかしてないかは別として
そうだね 毎日笑ってる人も何かしら痛みはあるよね
何も言わないだけなのかもねみんな
言えないですしね
相手の方が辛いんじゃないかって思うと
人は傷つく必要なんかない 絶対にない
何も無くてもいいじゃない?
どんな人も いるだけでいいじゃない?
そこにいてくれるだけで
あなたの痛みは僕には分かりません
でも分かりたいと思っています
まずは「ここが痛い」って
言わせてあげるだけでいいんじゃないですか?
「ここが痛い」「まだ痛む」って
口に出させてあげることは 本人の心を軽くします
解決が無理でも
それで糸口が見つかるということもある
認められるってのはね 信用されるってこと
簡単じゃない だからやるんだよ
なんか続けるっつうことはよ
おんなじことを 何でもざーって
やんなきゃいけねえってことじゃねえんだよ
変えなきゃいけねえものはとっとと変えてよ
大事なものを守ってきゃいいんだ
残念ながら僕らは お互いの問題ではなく
全くの不可抗力で
突然大事な人を失ってしまうという可能性を
ゼロにはできません
未来に対して僕らは無力です
でもだから せめて今 目の前にいるその人を
最大限大事にするほかに 恐怖に立ち向かうすべはない
大事な人たちが幸せになる こんなに嬉しいことない
みんなそれぞれの場所で持てる力を発揮すれば
案外全体がうまくいく
2021年秋ドラマ
人間がもっている五感と呼ばれる
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚は
どれも大事な役割があるんですが
視覚は頭抜けて主張が強い
それは 目で見る情報は無意識に入ってくるし
インパクトも大きいからで
味覚が主役のはずの料理だって
8割は見た目で決まると言われるぐらいで
つまり視覚は五感の絶対的王者
「オレ様」だということなんです
何を選ぶにしたって自分で決めないと
いつか必ず後悔すると思うんです
彼には 彼にはこの先 苦しいこと
目を瞑りたくなるようなことが
待ってるのかもしれません
でもそうした時 誰かのせいにしたりしないで
自分の力で乗り越えてくためには
自分の意思で決めてく必要があると思うんです
その人をいつ好きになったのか覚えていない
笑い声が聞こえるとついそっちを見てしまう
話せた日は嬉しい
別の誰かと仲良くしていると気になって仕方ない
会えない日はつまらない
2人になれた時は このままでいたいと願ってしまう
気づいた時には
この世でたった1人の特別な人になっている
もし遠くへ行ったとしても
そばにはいられないとしても
その人が胸の中から消え去ることはない
不都合な真実はいつも蓋をされて
弱い人々が理不尽な犠牲を強いられる
そういうのは大っ嫌いなんだよ
正しいことをした人間や弱い立場の人間が
理不尽な思いをする そういうのが私は許せないんです
でも真実を深追いすればどんどん煙たがられて
敵が増えていく
この国では建前ばかりで
本気でやろうとしてる人間なんかほとんどいない
正しいことをやろうとすれば障害が多すぎる
誰かにとってはいい思い出でも
誰かにとっては違うことってあると思うんです
付き合うってお互い対等な関係じゃないとだめでしょ
好きって1つだけなのかな
信号の赤とポストの赤は同じ赤でも違う赤だよね
いちごとりんごの赤も違う赤
夕焼けの赤もトマトの赤 血の赤もみんな違う
同じ赤は赤でもいろんな種類があるよね
それと同じで好きにもいろんな種類があると思うんだ
恋とか愛とか友情とか
道具を使うのは当たり前のことですよね
ですが白杖や車いすを使うと
「障がい者の器具」みたいに
特別な目で見られることが多いんです
みんな自分にとって便利な道具を
使ってるだけなんですけどね
どんな過去だろうがそっからは逃げらんねぇぞ
向き合うしかねぇんだよ
ここに1枚の10円玉がある
あらゆる物には値段がつけられていて
あらゆる検査にも値段がつけられている
だがその本当の価値を決めるのは
その物を使う「人たち」なのかもしれない
敵とライバルは違う
対峙する敵とは対照的に
ライバルは同じ方向を向いている
お互いを認め合い高め合う
ライバルは同志でもある
勝手にイメージをつくり上げるのも
意外な一面に幻滅するのも
結局はその人のことが好きだからでしょ?
誰かを好きになるって勝手なことなんですよ
ここに1つの時計がある
回り続ける時計の針を見て 人々は時折錯覚をする
その時間は永遠に続くものだと
ここに1つの時計がない
時間は消えていく
永遠に続くと思っていた時間は
ある日突然と姿を消してしまう
だからこそ人は大事にできるのかもしれない
今ここにある時間を
「好き」の形が変わるのに
スイッチが入るのは一瞬だからね
あったものをなくすのと
もともと無いのとは 全然違うから
若気の至りってやつは
多かれ少なかれ誰にだってあるもんだ
その傷を忘れないでずっと背負って生きてるヤツ
俺は嫌いじゃないぞ
気がつくと考えている
もしもあの時違う道を選んでいたとしたら
もしもあの人に会っていなければ
もしもあの時あの場所に行っていなければ
もしも明日この世が終わるとしたら
その瞬間にも私は
「もしも…」を考え続けているんだろうか
「もしも」の話より先を見た方がいいさ
誰かの正義は誰かの悪
もっと もーっと恐れたほうがいい
人間はこの地球があるからこそ生きていられる
みーんなそのことを忘れてしまっている
結局 最後に人を巻き込み動かすのは誰かの熱意
やりたいこととできることは違う
みんな多かれ少なかれ誰かに頼んなきゃ無理だ
誰かと一緒だとできることが増えて世界が広がるだろ
頼れる人がいればいるほど
できることが多くなる気がする
恋愛って ちゃんと気持ちを伝えたって
こじれるもんなんですから
伝えなきゃこじれるどころか手遅れになりますよ
人の気持ちが冷めるのなんて一瞬ですから
年取ると 傷つかないように
リスク回避能力ばっかり高くなるだろ?
でもさ そんなことしたって無駄なんだよな
だって どうしたって生きてたら傷はできるだろ?
傷ついたって 丸ごと全部向き合うしかないんだよ
俺さ 今まで恋愛って楽しいもんだと思ってたんだけど
全然違うんだって最近気づいたんだ
だってホントに好きになったら
しんどいことのほうが多くない?
嫉妬したり不安になったり
自分じゃダメなんだって気づかされたり
でもしんどいって 好きだからなんだね
いいだろ みんなと一緒じゃなくたって
もう一度って素敵なことよ
会えなくなってしまったら
「もう一度」は「もう二度と」になっちゃうからね
後悔しないようにしなくちゃダメよ
趣味って何だか知ってますか?
仕事にできなかった好きなことです
好きなことが職業にならなければ
お金が稼げなければ
もうそれは趣味です
「諦(める)」は「明(らか)」と同じ語源です
「つまびらかにする」
「はっきりさせる」っていう意味です
「やめる」とか「放棄する」とか
そんな意味はもともとはありません
「諦める」っていうのは
ポジティブな言葉だと思います
もう叶わないって自分の実力が明らかになった
だからやめる
それが「諦める」です
何もネガティブなことなんてないと思うんです
私はバレエを諦めたから
教師に戻ってこれました
とても前向きな決断です
「諦めが肝心」その通りです
「夢は必ず叶う」「諦めなければ実現できる」
嘘です 残念だけど嘘です それ全部
夢は叶うこともあれば 叶わないこともあります
それでも 夢を諦めたら
また次に何か 夢と呼べなくても
目標とか 抱負とか そういうの決めて
無理矢理でも 適当でも 意地でもいいから決めて
生きてかなきゃいけない
ただ ただね 夢を追ったことがある人間だけの
特権っていうのがあってね
それは 夢を追いかけたっていう事実です
挑戦したことだけは 褒めてあげられます
次に何か 新しい何かをやろうと思った時
過去の自分が ちょっとだけ
ほんのちょっとだけ
優しく肩を抱いてくれます
背中を押すってほどじゃないです
そんな大それたことはしてくれないけど
でも 肩にポンって手を置いてくれます
それで生きていけるってこともあるから
だから大丈夫
みんな 夢が これはもう無理だな
叶わないなって明らかになった時は
どんどん諦めてこう
諦めて 次に進んでこう
2021年その他
枠にはめられてしまう辛さってあるじゃないですか
自分はそうじゃないんだけど
なんかそう思われて それからはみ出そうとすると
似合わないって言われたり らしくないって言われたり
いや 「らしい」は俺が握ってるんだけど
自分の労力と結果が 全然良い意味で釣り合ってなくて
なんかよく言うじゃないですか
自分がするべき仕事とかって
自分が楽でやってんだけど
すごい返りが多いっていうのが
自分に実は向いてる仕事なんだ
感情ってなんか道になんかこう乗り移ってますよね
歩いてる時っていろんなこと考えたり
なんか仕事で辛かったこととか後悔したことを
考えながら歩いていくじゃないですか
だから全部ね焼きつきますよね道に
ハートって上は丸いくせに下は尖ってる
可愛いのに痛そうで不思議な形だなと思います
本当は歪な関係を表すマークなのかも
こういうすばらしいゲームをやってくれて
やっぱり力は足らなかったけど
それは来年に持ち越してこの悔しさを晴らしてほしい
本当に俺はトリニータを応援してるし
この悔しさを忘れないでほしいし
この舞台というのはなかなか出られるものじゃない
これを成長の糧にしてほしい
この経験を この場を この悔しさを次に生かそうよ
絶対みんなはできる みんなならできる
グッドルーザーでいよう
胸を張って顔を上げて
サポーターにしっかりあいさつしよう
絶対このチームはいいチームだから
俺は自信を持って言う
大分に残ってる選手含めてほんとうに感謝してる
みんなでしっかり顔上げて大分に帰って
悔しい思いのサポーターもいるかもしれないけど
お礼を言って次の糧にしよう
すばらしいピッチだ 見て すばらしいよ
負けたけど リーグ戦も負けたけど
それが自分たちの力なんだよ
それをしっかり真摯に受け止めて
グッドルーザーでしっかり感謝して
みんなで大分に帰って
次に向けて準備してやっていきましょう
お疲れさま ありがとう
2022年
真実は1つなんかじゃない 2つや3つでもない
真実は人の数だけあるんですよ
難しいことは分かんねえけど
とにかく右足出して 次に左足出して
それ続けてりゃ前進むんじゃね?
僕は常々思ってるんですが
どうしていじめられてる方が
逃げなきゃならないんでしょう
欧米の一部では
いじめてる方を病んでると判断するそうです
いじめなきゃいられないほど病んでる
だから隔離してカウンセリングを受けさせて
癒やすべきだと考える
でも日本は逆です
いじめられてる子に逃げ場をつくって
何とかしようとする
でも逃げると学校にも行けなくなって
損ばかりすることになる
DVもそうだけど
どうして被害者側に逃げさせるんだろう
病んでたり迷惑だったり 恥ずかしくて問題があるのは
加害者の方なのに
例えば歩いてて知らない人にいきなり殴られたら
すぐ周りに言うでしょう?
それと同じように 先生や親に
「あいつにいじめられたよ」って
「あいつ病んでるかもしれないから
カウンセリング受けさせてやってよ」って
みんなが簡単に言えるようになればいいと思う
そういう考え方にみんながなればいいと思う
苦しいことを薄めるために
より悪いことを望むのはまずいです
邪魔とか妨害ってさ
恋の後押しするだけだって知ってた?
こういう時に
「大丈夫ですか」って聞いちゃ駄目なんですって
相手はたいてい 「大丈夫です」って答えるから
こういう時は
「どうかしましたか?」って聞くといいそうです
僕ずっと疑問に思ってました
どうして「闘病」って言うんだろう
「闘う」と言うから勝ち負けがつく
例えば有名人が亡くなったときに
報道では こう言います
「病には勝てず」「病気に負けて」
「闘病の末 力尽きて」
どうして亡くなった人をむち打つ言葉を
無神経に使うんだろう
負けたから死ぬんですか?
勝とうとしたら勝てたのに
努力が足りず負けたから死ぬんですか?
そんなことない 僕ならそう言われたくない
勝ち負けがあるとしたらお医者さんとか医療ですよ
その時点の医療が負けるんです
患者本人が あなたが負けるんじゃない
患者の本心は担当医だろうと
簡単にはわかるものではありません
心はメスで開いてものぞけませんから
「ガキの頃はよかった」とか言うなバーカ
あるもの壊さないと先になんて進まないよ
自分に苦手なものがあると認識してる教師は
生徒にも苦手なものがあると理解できる
自分ができることは人もできると信じてる教師は
多くを取りこぼすことになる
どこで何をして生きようと
お前が鍛錬し 培い 身につけたものはお前のもの
決して奪われることのないもの
それ常々不思議に思ってるんですけど
どうしてバージンロードは
父親と歩くのが基本なんでしょう
たいてい一番手間と時間をかけて
育ててくれてるだろう母親を
脇に立たせておいて
どうして父親とだけ歩くんだろう
どうして父親のものから夫のものになる
引き渡し式みたいな形で今もするんだろう
巣立ちというなら どうして新郎は
親と歩かないんだろう
新郎は巣立たず親元にいて
新婦だけが移動する
ん…今もそれでいいんだろうか
憧れとかあったらすみません
素朴な疑問なんです
だから一番大事な人と歩いてください
そなたが鍛錬し 培い 身につけたものはそなたのもの
一生の宝となるもの
されどその宝は 分かち与えるほどに
輝きを増すものと心得よ
意味があんのかないんかわからんことをやる
誰かのことを思ってやる
それだけでええんとちゃう?
悲しいときは飲むより食べたほうがいいんですよ
どんな悲しいときでもおいしいって感覚は
ちゃんと残ってるから
それに気が付いたときにちょっとだけ立ち直れる
先輩とは先に入ってきた仲間
後輩とは後に入ってきた仲間
明日は恋なき者にも恋あれ
明日は恋ある者にも恋あれ
何もない1日でも
花を買って飾るだけで
素敵な1日になるでしょう?
そういうささやかな幸せを
この地域の人に少しでも提供したいんです
弱ってる時こそ現実を見つめなきゃ
同じプライドなら
誇りの方を大事にしたいと思っています
自分の仕事に誇りを持っていれば
どんなことでも
やりがいに変わりますから
日本人の多くはな
弁護士に頼むのは最終手段だって思ってるからね
アメリカのさ訴えまくるシステムもさ
銃社会っていう前提はあるけど
直接個人が争って
深刻な関係にならないための方法だと思うんだよ
まあ法律に対する向き合い方が
全然違うっていうのかね
いじめは法律で裁かれるべきです
バカや死ねなどの言葉は侮辱罪
根も葉もない噂を流されれば名誉毀損
何かを強要されれば強要罪
誰かを殴ったら暴行罪です れっきとした
人間関係を円滑にするためにあるルール
それが法律なんです
そのルールにのっとり声を上げる行為は
情けなくもないし少しも間違っていません
憲法第14条で
全ての国民は法の下に平等である
ということが規定されています
法律を知っていれば 守れること 避けられることもある
傷を最小限にとどめることもできる
負けてる人生って
誰かを勝たせてあげてる人生です
最高の人生じゃないですか
僕たちが隅にいるから
真ん中に立てる人がいるんです
前向きなのは結構だが
社会を悪くする前向きさもあるんだよ
この世には知らなくていいことがある
むしろ何も知らないことを人は幸せと呼ぶ
確かに 人生スタートラインで
差がついているのは否めませんよね
しかも本物のガチャガチャは
不良品だった場合 追完請求権で交換できますが
親ガチャに関しては 不良品だと思ったとしても
交換を命ずる法律はありません
でもだからって 生まれ落ちた環境を
受け入れるしかないとは思いません
ひどい親が存在するのは事実ですから
そういう場合は是非 声を上げていただきたい
でも多くの親は頑張って親をしていると思うんです
多くの子供も 期待に応えようと
頑張って子供をしています
そういう親子の関係を
当たりだハズレだっていうのは
何の意味があるんだろ
スーツを着るというのは
相手への敬意でもあるんですよ
時間を手間をかけて
身だしなみを整えるということは
それだけ相手のことを
大切に思っているという証ですから
「普通」という言葉に恐れを抱き
怯えてしまう人間は存在するんだ
目の前にいる人が今にも
「あなた変だよ」「なんか気持ち悪い」
そう言い出すんじゃないかと思って
存在を消してしまいたくなる人がいるんだよ
普通の人とか 特別な人とか 平凡とか異常とか
そんなのないと思う
ただ 誰かと出会った時にそれが変わるんだよ
平凡な人を平凡だと思わない人が現れる
異常な人を異常だと思わない人が現れる
それが 人と人との出会いの
良い 美しいところなんじゃないの?
幸せそうな人を見てどう思うかで
自分が幸せかどうかが決まる
人は人 自分らしくしてれば
いつかきっと未来の自分が 褒めてくれるよ
「僕を守ってくれてありがとう」って
人のこととか 嬉しかったこと 悲しかったこととか
そういうのって 数字なんかには残せないから
人間って 大事な思い出は 体全部で覚えるんだなって
大事なことは 体全部で覚える
それが生きるってことなんだなって思う
言い返せなかったことって残るでしょ?
「あなたのしてることは失礼だよ
私は怒ってるんだよ」
って言えなかったことって
何年たっても残るでしょ
今となっては言い返せないし
そういうのって
シャツの染みみたいに残るんだよ!
根拠のない「大丈夫」は
優しさでできてます
僕は前向きな言葉が好きです
「空を飛ぶには滑走路が必要だ」とか
「雨が降らなければ虹は出ない」とか
そういうのって
キレイ事に思われるかもしれないけど
キレイ事を口にしてきた人って
泣いてきた人だと思うんですよね
必死に生きて なのに転んで傷ついて
それでも もう一度立ち上がろうとした人たちの
言葉だと思うんです
キレイ事は 初めはキレイじゃなかった
たくさんの人が泥を拭いて 涙と血を拭いて
キレイになったんだと思うんです
信じてもいいんじゃないかなって思うんです
思いませんか? だから 大丈夫
途中でやめようとした話こそ
一番話したい話です
風が気持ちいい日に
家に帰ったりしちゃダメだ
そんな夜は 遠回りするんだよ
人生で一番ステキなことは
遠回りすることだよ
だから私たちは悲しくない
遠回りしてる今が
一番ステキな時なんだよ
毎年増えていく法律のほとんどは
力の弱い人の訴えに
寄り添ってできたものです
その方々が声を上げた歴史なんです
力が弱い者も 強い者も
同じ世界で平等に生きていくために必要なルール
法律は そのためにできていくんだと思うんです
そもそも力が弱くちゃいけないんですか?
あなたが弱者と呼ぶ人達の多くは
力が強くなりたいなんて
思ってないんじゃないですかね
彼らは誰にも迷惑をかけず
かけられることもなく
ただ普通に日常を送りたいと願う人達です
そしてそういう人人達こそが
この社会を支えているんです
我々は法律に携わる者として
これからも 真面目に生きる方達に寄り添い
戦って参ります
人生って案外短いんだよ
後悔のない人生なんてないけど
一つでも少ない方がいいんじゃない?
僕の知る限り 悪いことというのは
何も心配してない時に起きる
悪いことが起きるんじゃないかと思っている時は
たいてい何も起きない
つまり 人間は心配してもしょうがない
誰かが「大丈夫だ」って言ってる時
その人も自分に「大丈夫だ」って言ってるんだ
根拠なんかなくても キレイ事でも
誰かが前向きに話してくれたことは
信じてもいいんじゃないか
世界中 たくさんの暴力はあるし
悲しいことはあって
僕が生きているうちに
それがなくなることはないと思います
でもね 人にできることって
耳かき一杯くらいのことかもしれないけれど
いつか いつかね
暴力や悲しみが消えた時
そこには僕の耳かき一杯も
含まれてると思うんです
大事なことは 世の中は良くなっているって
信じることだって
仲良くなれる人って
いて当たり前じゃないと思うんです
今いなくていいんだと思います
今ここにいなくても
別のところにいるかもしれないしね
その人も1人かもしれない
大事なのは
ちゃんと自分のままでいることだなって
「血も涙もない」と人はよく言うが
そもそも 血液からヘモグロビンなどの成分を
濾過したものが涙なのだから
基本的に血液と涙は同じ成分だ
つまり「血も涙もない」と並列にする必要はない
血液がないと言えばそれで十分だ
今思うと 学校というのは すごい場所だった
嫌でも週5で行く場所で
嫌でも週5で 好きな人に会える場所だった
そういう刷り込みがあるんですよ
偏見っていうか
手話 耳が聞こえない 障がい者
それに携わる仕事 奉仕の心
優しい 思いやりがある
絶対いい人なんだろうなって
勝手に思い込むんですよ
ヘラヘラ生きてる 聴者の皆さんは
無理なことってあるんだよ
無理してやったことって
無理なことなんだよ
無理すると
ホントに全部無理になっちゃうんだよ
やればできるって
やらせるための呪文だよ
期待と圧力は違うよ
「どんな人?」って聞かれたとき
好きな人のことだと
その人の好きなところ言っちゃうんだって
嫌いな人のことだと 嫌いなところ
どちらでもない知り合いとかだと
普通に関係性とか
プロフィール説明しちゃうんだって
周りに合わせんでよか
自分のことば知っちょる人間が
一番強かけん
変わりもんや変わりもんで
堂々と生きたらよか
家族とか 恋人とかって
未来を見据えて一緒にいるじゃないですか
でも友達って 今を一緒にいる人っていうか
瞬間を共有して楽しむ相手だから
たがら 急に未来が変わっちゃうと
受け入れきれないんですよ きっと
ありがとうって使いまわしていいの?
善意は押し付けられたら偽善なの
湊斗君はさ 何に幸せ感じるの?
ーこの前 大きい花束抱えた人 電車で見て
大事そうに持ってたから
たぶん 大切な人にもらったか 渡しに行くか
どっちかだと思うんだけど
そういうの見て ああ いいなって
かわいそうとかって
他人だから言えちゃうんだよ
お別れするときこそね
全部 相手に渡さないと駄目
中途半端にすると
自分の中に残っちゃうから
ー未練?
思い出
思い出 残ると厄介だから 投げつけてきな
ー大切にとっとけとか言わない?
いいの いいの
そのうち美化されて 原形なくなるんだから
投げつけてきな
ーできるかな
できなかったら
お別れしない方がいいってことだから
人それぞれ違う考え方があって
違う生き方してきたんだから
分かり合えないことは絶対ある
他人のこと可哀想に思ったり
間違ってるって否定したくもなる
それでも一緒にいたいと思う人と
一緒にいるために
言葉があるんだと思う
“言葉” 佐倉想
言葉は何のためにあるのか
なぜ生まれ 存在し続けるのか
なぜ この一つの星に
複数の言語が存在するのか
幼少期の僕は 言葉の遅い子で
母は ひどく心配したらしい
そんな僕に 両親やきょうだいは
とにかく言葉を投げかけ続けた
僕がこうして
言葉への考えを 文章にするように
伝えたい相手によって その思いによって
言葉は どんなかたちにも 変わってくれる
言葉が生まれたのは
きっと想いの先にいる誰かと
繋がるためだ
お花は音がなくて
言葉があって
気持ちが乗せられるんだよ
皆生活の中で
何かしら挑戦しているのだと思います
それが大きいことだったり
目に見えることだったり
報道されることだったり
それだけの違いだと僕は思っていて
それが生きるということだと僕は思いますし
守ることだって挑戦なんだと思うんですよね
だって守ることって難しいなと思いますし
大変なんですよ 守るって
家族を守ることだって大変だと思いますし
何かしらの犠牲だったり時間が必要だったりしますし
だから何一つ挑戦じゃないことなんて
存在していないんじゃないか
2023年
多くの人を 遠くの人を楽しませる人は
近くにいる人を悲しませるっとよ
君が行く
新たな道を
照らすよう
千億の星に
頼んでおいた
目を凝らす
見えない星を
見るように
一生かけて
君を知りたい
東京はね
頑張ってる田舎もんがつくった街なんだよ
流行も 頑張ってる田舎者がつくる
ごはんって、明日も生きるために食べるものじゃん。それを誰かが作ってくれて、ナスのお味噌汁と鮭と白いご飯、目の前に初めて運ばれてきて、俺びっくりしたんだから。「この人、俺を明日も生かそうとしてる」って。
おまんは捨てたがじゃ
ほんなら振り返りな
代わりに何をするかじゃろ
人は全てを持つことらあできん
何かを選ぶことは
何かを捨てることじゃ
虐げられたことがあるもんは
恨みを忘れん
何の痛みも知らんもんだけが
呑気でおれる
呑気というのはそれだけで傲慢じゃ
子どもの言葉や行動で
人生が変わることもある
なんか 警戒しちゃうんだ
いい話とか 楽しいこととかね
そんなのがあるから 現実はきついわけで
ないほうが 考えないほうが楽っていうかね
期待とかするからガッカリするし
自分の人生に そんないいことが起きるはずない
って思っちゃうんだよね
母も言ってたけど
どんだけ後ろ向きなんだって話だよね
おだいり様は 後ろ向きなわけじゃないです
現実から逃げてないですから
背を向けてないので
ちゃんと前向きです
ちゃんとしっかり前を見てるから
慎重になったり拒絶したりしてしまうわけで
むしろ それこそが前向きです
前向きだから進まないという選択肢はあると
私は思うのです
ツールが変化しただけで
人は昔から
何も変わってはいません
嫉妬や妬み
いつの時代も
人間が2人以上集まれば
必ずそこに競争が生まれます
誰と会ったか、と、誰と合ったか
もうほとんど人生は
合う人に会うってことで
いいんじゃないかって思った
誰とでも合う自分じゃないから
合った人に会えるように頑張る
それが結論でいいんじゃないかなって思った
つらさに資格なんてないです
どんな立場にいる人にも
つらさはあるわけで
どっちがつらいとかそういうの意味ないです
つらさに順列なんてないです
神様なのか
この世界の偉い人なのか
この国の偉い人なのか分からないけど
言いたいことが私にはある
今 2023年 令和5年に
この世界に生きている人は
みんな 傷だらけで戦ってる
戦士みたいなものだと私は思う
全ての戦士たちの心に休息を
せめて 日曜の夜ぐらいは
みんなが1度 深呼吸できますように
でないと 戦えないよ
どうか よろしくお願いします
戦士代表 岸田サチ
訪ねて行く先があるゆうことも 自分の宝じゃき
私たちにとって「楽しい」は
もう特別なことじゃなくなった
これが日常茶飯事になったのよ
たから楽しむこと もう怖がらなくていいのよ
たとえ悪いことが起こっても
その先で きっとまた笑えるんだから
仕事っつう場所で 勝負してる時の出来事は
友達にこそ 知られたくないこともあるんだよ
でも 友達じゃない 家族にとっては また別の話だな
あなた方を苦しめる原因の大半は
想像です
目に見えない順番もそう
こうしたらこう思われると
配慮する人間関係もそう
そしてその想像に一番苦しむのはいつも
優しい人です
優しいから 人の気持ちを想像する
自分の立場を想像し
嫌なことも我慢する
なぜそんな優しい人ばかりが
損をかぶる世界で
日々を過ごさなければならないんでしょうか
あえて 教師の私から伝えさせてください
優しい人こそ もっとこの世界を
たやすく考えるべきだと
あなた方は一度でも
自分を傷つけ ないがしろにする人間たちと
仲良くしたいと思ったことはあるんですか?
あなた方にとって 彼らに嫌われるということは
そんなに嫌なことなんでしょうか?
それでも 誰かに嫌われるということは
つらい思いをすることも
あるかもしれません
ですが今
大人として伝えることがあります
そんなふうに自分をないがしろにした人間など
今どこで何をしているのか知りもしない
確かな日々が訪れるということです
昔 先生も些細なことがキッカケで
孤立したことがあったって
でもその時に 一番仲のいい友達が
聞いてきたんだって
「あいつらと仲良くしたいって思ってるのか?」って
「もしそう思ってないなら
傷つく必要なんてない
その輪に戻る必要もない
泣きながらあいつらの
自由を守る必要なんてない」
…って言われたって
それで最後にその友達が
「私は何があっても あんたの友達だから
惨めな顔すんのは今すぐやめろ」
って言ったって
その話を聞いて
私はうらやましいと思った
そんなことを言ってくれる友達がいる先生に
自分や 自分の大切な人に
後ろめたく思ってまで
誰かに合わす必要なんてない
その気持ちを分かり合える人と
巡り合いたくて
私は今日 ここに来た
だから… だから… だから…
今日私は 友達になりに来たんです
もちろんこんなこと
一方的に言って そうなれるとも思わない
でも 今更
友達のなり方なんて 正しい方法が分からないから
心のままを伝えに来た
それに 「私なんかが」と嘆いていても
独りの世界が変わることはない って気付いたから
一緒に 後ろめたさに 惨めな顔するのはやめにしない?
俺なんかっていう
自分を卑下した言い方で
逃げ道残してるようなヤツに
何を相談できるんだ
この世界さ
「そんなわけない」より
「そうかもしれない」の方が大事なことが多いじゃん
で、たとえ 「やっぱ違った」ってなっても
「そっか」で終わるんだし
私たちは 誰かが何かの危機に瀕した状況が見えた時
「そんなわけがない」よりも
「そうかもしれない」で動くべきではないでしょうか
大切な人が傷つくことに
後悔する可能性があるのなら
この身ひとつぐらい差し出して
根拠のない行動に出てもよいと思いませんか?
ねぇーよ 居場所なんて
どっかの誰かに安住の場所を求めても
嫌われたら終わり
他の誰かに取られたら終わり
それにびびって震えて
いつの間にか居場所と思った場所も
そうじゃなくなっちまう
でもさぁ 別になくたってよくない?
生きて立ってるだけで十分じゃん
てか立ってるだけの自分を誇れよ
だってその場所に誰かが来んかもしんねーし
遠い身内よりも 近くの他人
その絆が大事な時も あるんだよね
「好き」って言うのってさ 難しいじゃん
「嫌い」っていう言葉はさ どんな時でも言えるし
その言葉を使い続けても
自分が何を大切にする人間なのか
何もバレることはないから
傷つくこともない
でも「好き」っていう言葉は
自分や 自分の心の中を 世界にさらけ出すものだから
否定されれば傷つくし すごく怖いよね
「好き」って表に出すことは 勇気だと思うから
プレッシャー 不安を感じたまま
ステージに立つっていうことが
表現者として 一番真摯なんじゃないかなって
思うんですよね
自分の表現をぶつけようと思ったら
必ず批判も1セット 1プレートでついてくる
100人いて100人の期待に応える必要は無い
自分が元気づけたい人をイメージする
ちっちゃい頃から 人から言われた一言とかで
自分ってこういうふうに 見られてるんだとか
こういう役割やんなきゃとか
例えばそれは家族の中で生まれるかもしれないし
学校の中でも生まれるのかもしれないし
それって 人から言われて
「そうしなきゃいけないんだ」って思ったりとか
あとは自分が勝手にそのルールの中に
自分のルールを作っちゃったりする
人って 変化が本当に苦手だなって思うんですよ
見てた人の雰囲気が変わるっていうことに対して
すぐ喜べたり 面白いねって言える人って
本当に少ないなと思うんですよ
イメージって もっと壊していいもの
SNSで言ってることを
本音だって思ってるのが
たぶん間違ってると思うんですよ
SNSで言うことって「表現」じゃないですか
人に見られる可能性があるものって
自分の本音じゃないんだと思うんですよね
自分の本音を本当にそのまま
人前で表現として出せる人って
相当鍛錬が必要だなと思うんですよね
SNSっていうものがあって
本音というか
本当の気持ちをぶつけるっていう機会に
恵まれてないというか
SNS上の最適解のコミュニーケションとかがあって
だから 最適解か間違ってるかっていう
なんか二項対立みたいになっちゃってて
だいたいのことって淡さのところにあるっていうか
だから 淡いままでいることに
耐えられなくなっている感じは受けますよね
「芸が車で 雨が時代」っていう言葉を
結構大事にしていて
晴れてて 高速道路を走ってて
雨が降ってきたら
「雨が降ってきた」って言うけど
そこでずっと雨って降ってて
車が お前らが来たんだよ っていう
雨はずっとそこで降ってるとこに
車は来た時に 雨が降ってきたって言うけど
どこで時代っていう雨にあたるか分からないから
車として芸は 時代にブレずに
続けてそのまま走ってろ
何かに向かってく時に 本気になってる所に
結構お笑いって生まれるなと思うんですよ
本気で悔しかったり 本気で挑んでる時に
おもしろい話って生まれるなと思ってる
今 自分が抱えてる
このどうしようもない
誰にも共感してもらえねぇーだろみたいな
しんどさみたいなものも
人生の伏線として考えると
ちょっと楽しくなってくるんですよね
今しんどいなっていう状態が
試行回数1回の出来事は 結論にはならない
必ずしも 理由を解き明かそうとすること自体が
全て正しいとは言えません
最も避けるべきなのは 彼女を憶測で語ること
あのせいだと思う
あの人が関係してるだろう
あれが原因に違いない
「思う」「だろう」「違いない」
その言葉で彼女を語ることは
言葉を失ってしまった人への冒涜だと思いませんか?
そうならないために 真剣に考えるんです
それぞれの目で見て 感じたことで彼女を考え続ける
それだけが 私たちに今できる唯一のこと
『向き合う』ということ
知識として頭の中に入れることと
「分かる」ことは別なんですよ
「分かる」ってことは
知識として入れることじゃなくて
感覚としてそれを得るっていうことだと思うので
会得するっていうことだと思うので
人気の気ってさ
「気」っていう字使うじゃん
何らかの気が充実してる人って
人気が出ると思ってて
元気とか勇気とか活気とか
何なら殺気でもいいと思ってるんだけど
忙しくて気が滅入ってくると
やっぱ人気なくなるんだよ
人は弱くて 壊れやすくて 倒れることもある
それが当たり前だと 誰もが思えたらいい
寄り添う つまり支えるには
歴史が大事です
安心感となる 長い歴史が
ストレスの9割は対人関係です
でも1割は素敵なことがあるかも
2人というのは難しい
あらゆる人数の中で 2人というのは特殊で
2人である人たちには 理由や意味が必要になる
2人は 1人より残酷
2人は 1人いなくなった途端 1人になる
もともと1人だった時より 確実に孤独な 1人になる
2人は強いに決まってる
1人の人間は 2人の人間がいないと 生まれない
逆に 3人以上の複数人というのは
1人の集合体でしかない
個々の価値は間違いなく 2人の時が一番強い
いろんな「こんなはずじゃなかった」に
折り合いをつけていくのが
年をとるってことだからさ
なんで 格下みたいな言い方されんだろ
恋人のほうが上で 友達は下 みたいな
同じもの見たからって
みんな同じ感情になってたら
気持ち悪いですよ
どこに気持ちが向くかなんて
人それぞれだし
言っちゃ駄目なことはたくさんあるけど
思っちゃ駄目なことはないです
両思いは 好き同士のことだけど
好き同士が 両思いとは限らなくて
好きっていうパッケージに
満足してるだけみたいな
思えてないんだよ
それでいえば 片思いですらなかった
それぞれ身勝手に好きだっただけで
むしろ好きって後付けで
結婚相手にちょうどいいから
好きってことにして
みんながいて いなくなって
ここに1人になった時
不思議と 自分はもう1人にならないって
感覚になるんですよね
1人で大丈夫って思える感じ
あれにちょっと似てます 携帯電話
初めて自分の携帯を持った時の気持ち
人とつながる手段をもらったのに
1人で何でもできる気になる あの感じ
1人で大丈夫って思えるのは
1人じゃないって分かった時なんだなって
やりたいことだけやるのが
自分らしい生き方じゃない
嫌なことを押し付けられても
自分なりの方法で片付けるのが
自分らしく生きるということです
おなか痛い時
「おなか痛い」って言っても治んないけど
痛いのは変わんないけど
紅葉君は今おなか痛いんだって
分かってたい人はいて
分かってる人がいると
ちょっとだけましみたいなことはあるから
奇麗なお花だな〜って うっとりしてる人にさ
「それとげありますよ。毒ありますよ」って
わざわざ言わなくてもいいの
その人がどう見てるかでいいんだよ
子供って 最初はほとんど何もできないでしょ
だから親とか 一番近くにいる大人は心配で
困ったことがあれば 何でも助けてあげて
でも 人が生きてくっていうのは
何か困った時に 助けてもらえる相手を
家族以外に
どんどん増やしていくことじゃないですかね
世界を広げるというか
それに 誰かに助けてもらったことがある人は
きっと誰かを助けることができるんです
消しゴムってさ
間違いを消すものじゃなくて
光を与える道具なんだって
じゃあさ、男同士とか女同士の恋愛って成立すると思う?
ーはい。もちろん。知り合いとかにはいないですけど、当たり前にあると思います。
ーそうなるよね。そうなるんだよ。みんな自分がどうこうじゃなくて、そういう人もいるって考えができる。
ーそうですね。
ーなのにさ、男女の友情は成立するかって質問だと、みんな自分はこうって自己主張ばっかりするでしょ。
ーですね。
ーそれがね、もう、そういうことなんだよ。恋愛より友情の方がなんか扱いが軽い。恋愛の話には慎重なのに、友情のことになると無意識に他人の価値観否定しちゃってる。
ーうん。まあ私もだけど。
ーそうですね。私も。
ー男女の友情は成立しないって人はいるよ。絶対にいる。でも私と赤田は友達だった。成立してた。それだけ。他人は関係ない。2人の間のこと。
ー結局は全部人それぞれですもんね。答えっていうか。
ー何が多様性だよ。
ーすぐ多様性に理解ありますとか言って。
ーそう。理解とかいいよ。他人の価値観に理解なんてできないよ。知ってくれたらいい。干渉しなければいい。
若い頃って
何にも縛られてない時間のことを
自由って思いがちだけど
違うよ?
時間の制約がある中で
たまに訪れる解放感のことを
自由って言うんだよ
学校の先生はね
何とかしてくれる人もいるし
してくれない人もいるよ
先生とか クラスメートとか
そういう呼び名じゃ 分かんないんだよ
その人が どうかでしかないから
みんながあの子のこと嫌いだからっていう理由で
みんなにならなかったのはすごいよ
それだけで その子は救われると思うよ
誰にでもできる仕事を
誰もやらなかったら
この世界回んねえじゃねえか!!
一生懸命 考えて生きてたら
色々 中途半端になって
当たり前なんじゃないかなって
人生を決める大事な分岐点って
どっちを選んでも
間違ってるように見える時だからさ
間違い探しの答え見つけた時
違ってるとこ見つけた時
人に言いたくなるじゃん
ここが違うとか
自分が1番に見つけたとか
それと同じ
他人の間違ってるとこ
みんな 好きだから
しんどい時は
自分のことだけ考えていいよ
自分のしんどさが 1番でいいの
それはわがままじゃないから
人の価値観 否定するのは
確かに駄目だけど
でも 受け入れなきゃいけないってことも…
ーないよ ない
そのまま受け入れるのは違う
話し合えば分かり合えるなんて 嘘だし
ー違いは 多様性とか言って
受け入れなきゃいけないくせに
間違いは とことん排除しようとして
ーそう その間違いだって
その人の価値観でしかないんだから
ーそう 決め付けてるだけ
人は 無理すると死ぬ
泊まるのは 寝て起きるってことだけど…
ーあっ 分かる
住むのは
行って帰ってくるってことでしょ?
ーそう!行って帰ってくる
ー行って帰ってくる?
ー分かります!
仕事行って 帰ってくる
買い物行って 帰ってくる
遊び行っても 絶対帰ってくる
負けてもそこで終わりじゃない
必ず次がある
次を目指してる限り
人は終わらない
嫌いって話がちゃんとできるんだよね
何が好きって話ができるのもいいけど
何が嫌いとか 苦手とか
そういうの ちゃんと言えるの
今まで好いてくれてた人たち
みんな当たり前に 好きなもの聞いてくるの
何が好き? これ好き? って
でも 好きな人たちに
自分が何を嫌いなのか知ってもらったら
すっごい生きやすくなった
人の優先順位ってよく分かんないの。
ー誰より誰が大事とか?
ーそう。友達より彼氏とか、彼氏より家族とか。
ーゆくえ、高校の時さ、付き合ってた男の子に…
ーそう!覚えてる?
ー何で俺より友達優先するんだ!って。
ーそう、それ。先に友達と約束してたからデート断っただけなのに、ずーっとねちねち言われて。俺彼氏だよね?とか言われて。
ーそういうの積み重なって、分かんなくなったんだ。
ーうん。順位なんかつけらんないよ。
ーそうだね。
ーだからね、美鳥ちゃんより、あの3人が大事ってことでもないの。4人で会える日だって、このみの誕生日をお祝いしたりもするし。誰がいちばんとかじゃない。
ー男友達より、女友達の方が大事にした方がいいとかね。そういうのよく分からないよね。
ーうん。ねぇ、男女の友情ってさ、成立するの?しないの?
ーうーん。どっちでもいいんじゃない?
ーだよね。どっちでもいいよね。
ー人それぞれだからね。
ーだよね。人それぞれだよね。
勘違いされる人生だったけど
だからこそ 間違いないものがよく見えた
勘違いがあったから
見つかったもの 出会えた人もいる
他人の価値観なんて理解できないけど
理解したいと思える他人と
出会えることはある
みんなみたいに みんなにならなくていい
みんなに嫌われてる子なんて いない
2024年
1つ武器を捨てることだもんね
幸せになるということは
10年前のものってめっちゃ古いんだけど
20年前のものってもう古すぎて新しくなる
今日はみなさん何の日か知ってますか?
年明けから 悲しいニュース続きで
正直 マジで落ち込んでたんですけど
阪神淡路大震災が 1月17日ね、に
29年 経ったんですけど
私は阪神淡路大震災の
1ヶ月半後ごろに生まれたんです
小学校の時とかはなんも思ってなかったけど
やっぱり年々 地震とか災害が起きるたんびに
なぜ自分が生まれてこれたのか?とか
すごく感じることがあって
失われた命と重なるように生まれてきたんです
もしかしたらこれから出会うかもしれない人たちと
入れ違いで生まれてきたんですよね
自分は生まれてきたけど
失われた命があるっていう時代に生まれてきて
あの時お母さんが
1歳のお姉ちゃんと お腹にいる私を
守ってくれなかったら
自分はいなかったかもしれないなと思う日です
年々 考えるかもね
こういう震災のこととか
このソウル・フラワー・ユニオンさんの
「満月の夕」っていう曲は
私が物心ついた時に
父ちゃんがずっと歌ってて
私はその時 父ちゃんの曲だと思ってたんです ずっと
やけど 大人になるたびに
ソウル・フラワー・ユニオンさんの曲や!って知って
なるほど と思って
しかもこの曲が
阪神淡路大震災の時に作られた曲って知って
自分が生まれた年にできた曲で
この曲でどれだけの人が励まされたやろうとか思うと
私もこの曲をやっぱ大事にしたいなって
すごく思ってて
ことあるごとに 歌ってはいるんですが
やっぱり あの年に生まれた人間としては
忘れたくないなと思いながら
いい曲ですよね 「満月の夕」ってね
今自分がいるのも あれを乗り越えて
あの地震を乗り越えて
お母さんがあの時
私がいる自分のお腹を
1ヶ月半後に生まれてくる私を
守ってくれなかったらと思うとね
しかも兵庫県の西宮市出身で
直撃なわけですよ 大地震が
きっと 94年と95年の早生まれの子たち世代で
阪神淡路大震災の経験者が
そこで途絶えてるんですね
私が何を伝えられるかとかないんですけど
なんかこの日になると歌いたくなるな
という気持ちがあります
生活にちゃんと溶け込むメディアって
あんまりないんじゃないかなって
ラジオは仕事しながら聴ける
料理しながら聴ける
生活している中に
溶け込ませることができる
僕がやってる音楽もそうなんですけど
人生に添えるモノ
でもその添えがないと
人生はつまらないかもしれない
その時になったら考えるってことじゃないかな
今 考えても その時考えても
大して変わらないなら
今は日々を楽しく
好きなように生きたらどうだろう
皆さんが夢を持つ時
こんなことを言ってくる人が
いるかもしれません
「君にはできない」
「君には無理だ」
「諦めた方がいい」
何の実績も結果も出していない
今の皆さんを信じてもらうのは
難しいことかもしれません
でもどうか
あなたの夢を否定するその言葉に
耳を貸さないでください
あなたが本当に好きな道を選ぶことで
傷つける誰かがいるかもしれません
でももしも
心にともった情熱があるなら
それに従って生きてほしい
あなたの情熱を
あなた自身が信じてあげてください
たとえいつか
その夢が終わったとしても
自分の心が本当に欲するものに従って
夢中で生きた日々は
あなたの人生の
かけがえのない宝物になります
いつか終わる
ドラマも 人生も
だから そのギリギリ手前まで
とっ散らかってていいんじゃないかね?
最終回が決まってないなんてさ
最高じゃん
俺に言わせりゃ最高だよ
-100が0になったってことは
100点ってことじゃん
子供の背中を見てると
我々はちゃんと生きなきゃいけないと思いますな
彼らは一生懸命ですから
子が親の背中見るのではなく
親が子の背中見て育つのかもしれません
自分のことは自分でやる
やれんことはやってもらう
ほんで やれることはやってあげる
人に生まれてきたからには
みんなに義理があんねん
その義理を果たすんが
人情やとワテは思うねん
せやから この世は義理と人情だらけや
学校なんてさ
自分と気の合わないやつが
この世界には存在するってことを
勉強する場所だけどさ
3年かけて
自分以外は頭おかしいってことを
確認する場所だけどさ
その中で1人か2人
友達が見つかれば
他は死ぬまで会わなくていいやつらだから
一緒にいた人がいなくなるのと
最初からいないのは違うから
いなくなるのは
いたって知ってるから
寂しいんだよ
まあそんなないか
「はい」か「いいえ」でね
答えられることなんて
親から子供への
一番の愛情って
選択肢をあげることだと思う
人は
2人の人から生まれてきます
1人で生きてくなんて
無理なんだよ
人生に命題はないんじゃないかな
乗り越えるのが正しいとか間違ってるとか
忘れるのが正しいとか間違ってるとか
そんなの誰にだって
決める権利ないんじゃないかな
人生の道の途中に
乗り越えられないくらいのものを置いたのは誰って
勝手に置かれたものに
なんで立ち向かわなきゃいけないのかな
人生の歩幅が違う人どうしが
一緒にいられるのは
どっちかが立ち止まってるときだけだよ
2025年
きょうだいだからって 全部言う必要ないでしょ
あんたたちだって
言いたくないことは 言わなくていいの
だけど これからの人生
一緒に歩きたいと思う人がいるなら
曖昧に流さないで きちんと話しなさい
何も言わないで分かってもらおうなんて
ムシがよすぎる
相手は他人なんだよ 家族じゃないんだから