都立高校に通った日々を懐かしむ
私は社内SNS(Viva Engage)で
都立高校卒業生のコミュニティ
を作りました。私の会社はどちらかというと私立高校出身の人が多いような感じですので、都立全体でまとまろうと思ったわけです 笑
都立の歴史というものも共有していきたいと思います。
まだできたばかりのコミュニティなので、私しか書き込んでいませんが 笑
徐々に盛り上げていこうと思っています。
中学校も公立中学だったので、都立高校の雰囲気には特に違和感を感じませんでした。学校とは公(おおやけ)が運営するものだという感覚が小・中の9年間でしみついていますからね。
ただ、入学したての時に驚いたのは私の入った都立立川高校の元の名前が
東京府立第二中学校
だったということです。
府立って何だよ 笑 ?
中学って何だよ 笑 ?
って当時の私は思いました。
明治時代、東京都は東京府、今の特別区(23区)は東京市でした。
そして、旧制高校は今の大学で、旧制中学が今の高校に当たるわけです。
私が通った立川高校は東京の多摩地区にあります。
多摩地区はもともと神奈川県でした。
玉川上水という水源を手に入れたい当時の東京府は神奈川県との交渉の末、玉川上水のある多摩地域を東京府に編入することに成功します。
立川高校は開校したのが正確には東京で4番目であるにも関わらず、
府立二中
という名前になったのは、東京府に編入された多摩地域に対する見返りの意味が込められていると言われています。府立一中があの日比谷高校であることを考えると、府立二中というのはありがたい名前なのかな、と思います。
母校・立川高校は2022年から都立で唯一の
創造理数科
が設置されました。普通科よりも入るのは難しいみたいですね。当時の自分の学力だったら入れないかもしれないですね 笑
また、長い歴史を持つ定時制の廃止が決まり、母校も色々な変化が起きています。ちなみにフワちゃんが立川高校定時制の出身です(後輩がお騒がせしてすみません)。
会社のコミュニティでもそれぞれの都立高校の現状を共有できると楽しいかな、と思っています。
また、都立高校をきっかけとして東京都というもの自体について、もっとよく理解しないといけないと感じています。
『都立』について、またいろいろと書いていきます。
よろしければサポートをお願いします。 経済の記事を書くための資料購入する際に使わせていただきます。