かつて「FMステーション」という雑誌があった。
というタイトルで記事を用意していたところ、以下の書籍を発見してしまった。
で、この本を読み終わるまでは、この雑誌『FMステーション』との出会いについては語れないだろうと思ったまでで、一生懸命にこの本を読んでいた。
まず基本的なこととして、この本は、2009年に単行本として出版されたものを2021年に文庫化したものであること。私は偶然に出会ったのだが、おそらくは、長らく絶版ないしは、入手困難な書籍であったろうことは容易に想像がつく。なので、偶然とはいえ、このタイミングで出会えるのはなにか運命的なものさえ感じる。
著者は、長きにわたり(途中なんどか離れるも)『FMステーション』の編集長を務めた恩蔵さんという方。彼が語る”FM時代”、もとい、”エア・チェック”時代は、まさに音楽の激動の時代だったというほかない。
ラジオのエア・チェックからレンタルCDへと、音楽を聴く文化、いや所有する文化が変化した頃のことで、また、2局割拠のFMラジオ局も増え、FMラジオの黄金期でもあったころのことだ。すでに30年以上も前のことで、ほとんどうっすらとしか思い出せない私の思い出に、はっきりとした輪郭を与えてくれた。しかも現場の人ならではの情報量!非常に助かった。貴重な1冊であった。
さて、そもそも“エア・チェック”がなんなのか、すでに知らない人もいるかもしれない。要は、ラジオで流れてくる音楽をカセットテープに録音することである。なぜ、この行為がそれほどまでに象徴的なのかといえば、いまのようにサブスクがあるわけでもないし、CDが手に入る時代でもない、レコードだって高価な時代だった、そんな時代に音楽を所有するもっとも手軽で、もっとも手間のかかった方法なのである。
ある意味、音楽の青春時代なのである。多くの人が、この手のFM雑誌を手にし、流れてくる曲をチェックして、その曲が流れてくるの瞬間をラジオの前で待っていた。そして曲がかかる時に録音ボタンを押して、音楽を録音したのである。それは、想像以上に熱意のいる行為だった。
時には、朝の5時30分からの番組を録るために早起きをしたり、日曜の昼の3時に家にいるために、夏真っ盛りだというのにどこにも遊びに行かずに籠っていたり。それは、すべてを音楽に捧げていた時代だった。
この雑誌がなかったら私のいまの音楽体験はなかっただろう。それはこの”エア・チェック”を支えていた番組表が掲載されていたからだけではない。記事もまた、まだ世界の広さを知らない中学生には刺激的でたまらなかった。あえて”音楽体験”と言ったのは、Fステの記事が私の音楽的体幹ともいうべき、現在進行形の音楽を聞く姿勢の原点を形作ってくれたからにほかならない。
その話は、次回以降に書くとする。
さて。著者が述べているように、Fステが創刊された当時はNHK-FMと民法ではFM東京しか、関東地区にはFM局は存在しなかった。FMは音がいいという理由で音楽中心の番組を提供し、AMはトークを中心とした番組を流していた。とまあ、このぐらいのことは、当時アクチャルにラジオを聴いていた人なら誰でも知っていることだろう。そんな時代にあって、象徴的なできごとは、FM東京がTokyo FMとなり「しゃべり」と中心とした番組編成に変わったことである。このことは、いよいよラジオ局の多極化と、もう一方で、音楽試聴めぐる状況が変わってことを意味していた。CDの登場である。CDとレンタルCD屋の登場が、”エア・チェック”の時代を終わらせ、FM局の音楽を聴かせる役割を終わらせていく。
いまでも、このFM東京が「しゃべり」を中心とした番組になったときのことを覚えている。ショックだった。もうこの局は聞くまいと思った。当時は、NHK-FMは真面目すぎで長時間聴いていてつまらない。FM東京は適度なおしゃべりがあり、番組も短めのものもあり、飽きずに聴いていられた。
しかし方向転換で、AMラジオによくあった、妙にテンションが高く、白々しい会話ばかりになった。夜だというのに、うるさく話されるのはたまらない。ただ唯一の救いは「ジェット・ストリーム」はそのスタイルを変えずに残ったことだった。
驚くべきことは、この番組は、すでに番組が始まって55年経ったいまでもそのスタイルを変えていないことだ。いまは、私(たち)が慣れ親しんだ城達也の声ではなく、福山雅治の若々しい声ではあるが、テーマ曲の「ミスター・ロンリー」のさわやかな曲は相変わらず(アレンジは当時のものとは同じではないだろう)、0時をまわった夜に響き始めるのである。
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