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閉鎖病棟に置いて帰った手紙

今回は閉鎖病棟に入院してた僕が、退院時にスタッフさんへ向けて置いていった手紙の内容を原文ママ公開します。

写真は入院中、一時外出で撮った河川敷の桜。
スマホのメモアプリに手紙の文が残っていたのを思い出して、誰かへのメッセージになる気がしてアップしました。

さて、一旦前置きです。

「前置きはいらないよ」という方は★があるところまでじゃっとスクロールしちゃって下さい。

僕は2019年の1月15日から同年6月29日というかなり長い期間、精神科の閉鎖病棟に入院していました。

病状はざっくり言うと重度のうつ病でした。

そこは入院希望者が多い病院で、危険な状態の人が一旦くる場所。

早い人で1週間、長い人でも基本3ヶ月を目処に退院というプログラムを組んでいます。
僕は3ヶ月経った時に、先生と相談して更に約3ヶ月入院させてもらいました。

というのも、入院してから3ヶ月後に一時帰宅したのですが、
家に帰ると心が壊れるくらいに苦しくなり、とても社会や世間と関われる精神状況ではありませんでした。

毎日顔を合わす患者さんやスタッフさんと家族のような関係になったり、中には気の合わない人がいたり、

自分の生活圏が全て病院で完結し、「ここが1番落ち着く」「外が怖い」という不思議な感覚なっていきました。

当時はたまに自宅に帰るとものすごく違和感があったように思います。

医師、先生、看護師、看護助手、作業療法士、心理カウンセラー、事務員、掃除のおばちゃんまで、(敬称は割愛)

院内にいらっしゃるスタッフさん全員に向けたつもりで書いた手紙です。前置きが長くなってしまいましたが、下記がスタッフの方へ書いた手紙です。

★ここから本文★

スタッフの皆さんへ

長い入院期間、大変お世話になりました。

手紙を置いて去るなんて、少し恥ずかしくてあまりしたくはなかったのですが、

感謝の念を伝えずに去るのはどうしても違和感を感じ、書き置きすることにしました。

私はここに来る前は、もう死のうとしていました。自分の過去と未来、現在もひっくるめて全てに絶望していた状態でした。

ずっと不器用に生き続けることしかできず、自分を許せず、自分自身を恨み、時には社会や他人、家族までも恨んでしまうような極限の精神状況だったように思います。

4月ごろまでは全然楽にならず、常に消えてしまいたい、死んでしまいたいという考えが脳裏にこびりついて仕方がなかったです。

苦しすぎて何度もベットで泣いていた、そしてうずくまっていた記憶があります。

しかし、スタッフの皆さんや患者さんと触れ合ったり、カウンセリングや作業療法をしていく中で少しずつ心境の変化が見えてきました。薬が効いてくれているのもあると思います(※今は飲んでない)

私は皆さんとの会話や、やり取りをしていく中で大きな影響をうけました。入院生活では趣味ができたり新しいことを覚えたり、成功体験を積んだり、まだ知らない自分自身を見つける事までもできました。

この病棟でたくさんの人に助けてもらい、支えて頂きました。皆さんがかけてくださった言葉はずっと忘れません。

そのおかげで、32年間自分のためだけに生きてきた私のような人間でも、誰かの助けになりたい、社会貢献がしたいと強く思うようになりました。

どん底に苦しんだ経験があるからこそ、救える人がいると考えていて、私なりにできる社会貢献をしていこうと思っています。

これからどのような生き方をしていくのかは、はっきり決まってはいませんが、何をしていても正しい姿勢で取り組めば、誰かの助けになる事を念頭において生活をしていこうと決めています。

このような考えは自分の中にあまりなかった感性で、それはやはり関わってくれた皆さんのおかげだと思っています。

私のように苦しんでいる人を救っていく仕事をされているスタッフの皆さんを心から尊敬します。

約半年間の入院期間、たくさん学ばせて頂きました。心から感謝しています。ありがとうございました。

2019年6月29日 中島悟

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