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深夜の日記

さて、ふと気を抜いた時にもう生きてるのがしんどいなぁなどと危なめの事を思ってしまうさとりんです。

そんな事を思いながら割と普通に日々を過ごしていますが、僕はずっと前から何かを間違い続けている気がします。

自分がもっとおかしくなるんじゃないかという事への恐怖、楽になってしまいたい事への憧れ、大切な人たちを置き去りにしてしまう罪悪感、死の恐怖、誰かを救いたい気持ち、まだやれていない事への好奇心、実現したい未来や景色

このあたりで日々感情が揺れ動いたりしています。今日もバッチリ人間やってます。

もうすぐ例の場所の工事が終わる。家から徒歩10分でいける海まで続く道。2年前の夏の台風以来、ずっと閉鎖されていた大好きな道がようやく開通する(あそこの海から見える夕陽は最高だ)

僕には唯一、友達が多い。大切な友人達が色々な言葉や仕草、雰囲気などでメッセージを投げかけてくれるのに、相変わらず脆い自分に嫌気が差してくる。

そんな事を考えながら誰もいない深夜の公園で、少し寒さで震えながらブラックコーヒーを片手にタバコを吸っている。

自ら亡くなってしまった桂枝雀師匠やカートコバーンは僕のような凡人と同じ感覚を持っていたのだろうか。などと無意味な事に想いを馳せてしまう。

昨日のラジオ配信で取り上げたのだけれど、「入院中、全員が苦しんでいる病棟の中で中島さんは周囲の人に生きる希望や活力を分け与えてるように見えた」という年下の男の子が送ってくれた言葉が今日も僕の涙腺と胸を突き刺している。

それと同時に過去に僕が傷つけてきた人たちの、優しい顔が脳裏にこびりついて離れない。胸の中に重苦しい何かがのしかかっている。

「人に生きる希望や活力を分け与える」そんな人間になれたらいいなぁとか思いながら、いつも悪態をついたりイライラしたり、自分を見失っている己の弱さに羞恥心を感じている。

無邪気な大人達の優しさのかけらもない気味の悪いマウンティングや、何の面白味もない雑ないじりに少しばかり疲れているが、

昨日は人と分け与え合う事の楽しさや嬉しさを改めて実感できた日であり、一息ついたらそこをテーマに音声配信を収録するつもりでいる。

人間の本質的な幸せはそこにあるんじゃないか、と思わせてくれた日でした。気が付いたらコーヒーと身体が冷め切ってしまったので帰宅してシャワーでも浴びよう。

そして、何の予定がない今日くらいは心が豊かな1日にしよう。

2020.3.23の日記

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