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人間から、人へ
わたしは、これが最善だというつもりはありません。
一人ひとりの最善があっていいと思うからです。
それを強制しようとするなら、未来の進化した社会への道筋から外れることになります・・・
なぜ、自覚を伝えているか
というと、自覚が一般的になった世界を知っているからです。
自覚によって、成熟した意識があらわす世界は、今の世界からは、想像しにくいものです。
それでも、そこに触れている方はいらっしゃいます。
これを読んでいらっしゃる方はその確率は高いように思います。
しかし、いったん触れて、かすって、その後思考停止されている方々も多くいるように思います。
それは、言動でもわかりますし、その方が放っているものからも感じ取ることができます。
この世のほとんどすべては、思考の内側で語られています。
思考の外側を語る事。想像つきますか?
社会が大きな変貌を遂げようとしている過渡期である今。
思考の外から語るリーダーの育成は急務でもあります。
ライトワーカーとか、その手の話は、思考に囚われた話になりがちです。
それ自体を否定するものではありませんが、結局、自分のエゴを満たそうとしている事に気付き、それを超える方はとても少ないのです。
自分の承認欲求のすり替えが、自己肯定となって、自己肯定を得るために、特別感を求めている方々が、多いように思います。
あなたはいかがですか?
殆どの方がそうですが、そうであることを認めた時、新たな道が開くように思います。
それに気づくことのないまま、高い次元にいると思い込んでいるなら、それは幸せな事でしょうか。
わたしから見ると、地球幼稚園の年長さんの心持ちに見えるのです。
大切なのは、自分の理想を妄想し、追いかけることではありません。
足元にある、自分自身の囚われを自覚していく事です。
すると、理想を超えた「私」自身にいつの間にかなっています。
その時、次世代を担う人材になっているかもしれませんし、それをサポートしているかもしれません。
どうであっても、満足して活きている事でしょう。
人間の所作は、いつも、理からずれているように見えます。
そのずれを強制することなく、無くしていくなら、人間は人に変わっていきます。
すべてから自由である観点で生きることは、迷いなく、自分の足で歩くことができるようになります。
既にそうだと考えている方、それも、思考に影響された考え方だったという事に気付く事でしょう。
ポジティブに生きている方、ポジティブに生きようとすることなく、それを超えた生き方になっています。
自分さえよければいいという生き方は、自分を貶める生き方です。
いずれそれは、現象となって現れるでしょう。
スピリチュアルや、情勢に詳しい方々は、自分を守る為に引っ越しをしている方もいらっしゃると聞きます。
それは、わたしにとって安易な選択のように思います。
ここに書いても、そのような方はこの文章は読まないでしょう(笑)
10年もやれば、そういった方々に縁がない事が良くわかります。
わたしとは全く違う世界で生きているように感じます。
安全なところに住んでいる方々の方が素晴らしいかもしれません。
しかし、わたしに、そんな価値観はありません。
この地球が、そして、そこに住む方々の意識が進化する事に興味があります。
みんながいい顔で生きる社会もその一環です。
すべての方が生きやすい世の中も、その途中です。
意識が進化するなら、何でも良いのかもしれません。
しかし、自覚をするなら、苦しい想いをすることなく、意識は進化し、進化した社会という、新たな機会を迎えます。
今までの、この地球あるあるの社会は、もう、大丈夫、十分です。
そんな風に理解できるのも、自覚を実践するから得られる結果です。
人間の観点で、考えつかないようなアプローチができるのが、自覚人です。
実際、一定の境地に至るためには、人間が考える手法では、時間が膨大にかかりますし、可能性もごくわずかです。
たまたま、インターネットが普及して、そういった方が、目立ちますが、まだまだ、少数ですし、実際、その境地に立っている方はあまり見たことがありません。
来年、3月くらいになると、また、目覚める方が増えるように感じています。
その時、自覚の奥行に気付く方は今よりも増えるでしょう。
その時の準備態勢を今整えています。
自覚人の底上げを急ピッチで進めています。
自覚人と呼べる方は、まだまだ、少数です。
人間あるある・・・
その最たるものが自滅です。
人間のままでは超えられない壁があります。
それを人間の思考で超えることができると考えているなら、人間です。
この意味が伝わるでしょうか。
人間という規定を刷新した時、この意味通じるようになります。
それには、人間を超える視座にいる事が必要十分条件です。
自覚を正しく実践すると、そこに立っています。
自覚した先に触れている方が、自覚を実践しようとし、正しい自覚を知ろうとします。
一人でも、そのような方が増えると、この社会の未来が明るくなる必然になっていくのです。
その必然を感じてみてください。
触れている方は、感じることができるでしょう。
あなた自身の可能性を全開にする・・・あとは、全開にした通りになる。
それが自覚をするという事です。