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アイドルホースぬいぐるみ 13世代

ロゴタイプ

仕様
第73回皐月賞

13年の8月9日にキズナと同時に発売されました。
ローエングリン産駒の唯一のG1ホースで、
先行押切を一貫しているスタイルでしたが晩年は逃げて競馬をしてはかなりしぶとく残る時は残っていました(ここ大事)
皐月賞以降は決して順風満帆な戦績とはいかずG2G3果てはダートとあちこちを回っていましたが中山と東京の1600mとは相性が良く、勝利から遠ざかって3年、遂に安田記念でモーリスを相手に逃げ切りG1を3つ獲得しました。
ロゴタイプの産駒はおっとりしててレースに向いてないという評価なんだそうな。


キズナ

仕様
第80回日本ダービー


13年8月9日にロゴタイプと同時に発売されました。3ヶ月丸々もかからない内に発売に漕ぎ着いています。


とにかく大味な競馬でしたが最後方ぶっこ抜きを可能とする末脚が武器でした、ダービーでもその脚で最後方から全抜きし優勝、その後フランスニエル賞を勝ち切り、凱旋門賞でも4着に敗れましたがその脚は通用しました、その後凱旋門賞再挑戦に臨んでもキャリアを積むも重傷の骨折、その後の復帰では馬の方がトップを抑えてしまうようになり、天皇賞春で初の掲示板を逃しました。その年は天皇賞秋とジャパンカップをダービー以来の東京参戦を決めていましたが、屈腱炎を発症、凱旋門賞、秋古馬3冠の参戦叶わず天皇賞春を最後に引退となりました。
佐藤哲三Jの引退の理由、武豊Jの復活と現役時代にドラマが沢山ある馬でした。
種牡馬になってからはどこでも走れる産駒たちが多くアベレージの化身として活躍しています(トレヴのオーナーに一度は売却の相談もあったそうです。)ただしキズナの関係者やお隣さん達は奇行に難を示しているようで()


エピファネイア

仕様
第74回菊花賞
第34回ジャパンカップ

菊花賞仕様は13年1月19日に発売、
JC仕様はアイドルホース製作10周年記念にて22年11月4日に発売されました。JC仕様が発売されなかった馬達がこのタイミングで発売され、以降JC優勝馬はぬいぐるみの製作がされるようになりました。菊花賞仕様は2年近く発売されていました。
不良馬場の菊花賞で5馬身突き抜けるパワフルな脚の持ち主でしたが関係者が口を揃えてパワーを制御出来ないと言われ、剛腕海外JのムーアJですらガヤから見れば掛かってるように見えると思われる位の出力だったようです。往年は抑えて脚を伸ばす競馬していましたが実はそのムーアJが手綱を握ったJCのように抑えるのではなくパワーを少しずつ放ちながら走るのが正解だったというオチでした(実践できたのは僅か3戦)
現在トップクラスの種牡馬戦績を誇り、母側のBMSはダート血統でなければ関係なく、如何にエピファネイア本人の能力がストレートに受け継がれるかがカギのようです。


メイショウマンボ

仕様
第38回エリザベス女王杯

14年の2月22日発売されました。
とにかくメンコの素材が脆く、恐らく最も管理が難しいアイドルホースぬいぐるみだと思います。
中団から上がり最速を繰り出す脚を持ち、桜花賞ではチグハグな競馬で10着に敗れるもオークス、秋華賞、重馬場のエリザベス女王杯を物ともせず優勝、最優秀3歳牝馬となりました。
しかしヴィクトリアマイル以降、その後の成績がとてもG1を3勝した馬とは思えず、調教は走るのにレースはまるで走らない、レース後いつも疲労感を見せずケロッとしていたので馬が明確にレースを真面目に走っていなかったそうです。
(リアアメリアやドルチェモアとは少し事情が違うようで。)
武幸四郎現調教師とオーナーとは親交が長く、ジョッキー時代の幸四郎調教師とオーナーのオークスでの優勝ドラマ、そして横山典弘Jの叫びはあまりにも有名()


ラブリーデイ

仕様
第152回天皇賞秋

15年の12月26日にストレイトガールとミッキークイーンと同時に発売されました、失礼ながら調べてて一番話題がないアイドルホースぬいぐるみというのも珍しいかもしれません。
クラシック時期の戦績は芳しくありませんでしたが古馬になってからは連勝を飾って宝塚記念、天皇賞秋を制し最優秀4歳以上牡馬にもなりました、上がり最速32.3を繰り出す脚もある、2番手先行で押し切る能力もある、、、のですが、似た境遇のゼンノロブロイよりも地味な扱いで勝っても勝ってもとにかく不遇なことに日の当たらない馬でした、中距離路線が手薄、モーリスの台頭、宝塚120億事件等が重なり、ここまで話題がないというG1ホースも珍しいかもしれません。
弟の方が話題があるくらいには(ボッケリーニ)


コパノリッキー

仕様
第29回かしわ記念

17年の9月8日に発売されました。G1自体は既に15年には2勝していましたがそこからかなり空き、G1級9勝目のかしわ記念仕様というあまり見ないケースでの発売となりました。
最低人気でG1を制し、1番人気で連覇を果たしたそんな馬はこのコパノリッキー以外にいないと思います。当時はホッコータルマエが不動の人気の中に波乱を巻き起こしたのが条件戦上がり(しかもOP戦惨敗)の本馬でした、テスタマッタが引退しお鉢が回ってきてのコレで観客は呆然とするしかなかったとか、1番手2番手で横綱競馬をするスタイルが基本ですが、出遅れるとそのまま沈んでしまうこともしばしば、怪我や体調もあり勝ち続けている時期と負けが込む時期が明確でしたがG1級11勝はもうしばらく撃ち落とせない記録となりました。

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