先生記録 No.4 常勤講師一年目(2)
4月4日。
常勤講師として、正式に初出勤。
休みの間に「サポーター教員」について調べてみたがインターネットからでは情報が得られず、よくわからないまま勤務校へ。
その日は朝から教科会議。国語科教員の私は当然国語の会議へ。
校内の国語科の教員が集まり、さぁなにを話すのかと待っていると、昨年から勤務している先生が進行を開始。
要約すると話の内容は、
・教科代表を誰にするか
・誰がどの学年を担当するか
・学年をまたいだ授業を、誰が行うか
というものだった。
進行役の先生が立候補する形で、簡単に教科代表は決定。
次に所属学年の話し合い。その段になり、一人の教員が「私は生徒指導主任なので、学年には参加できないです」と説明。
なるほどそういうものかと思いつつ、「さぁ誰がどの学年を」という話が始まる中、勇気を出して
「あの、私はサポーター教員ということなんですが」
と伝える。すると周りの先生方は「なら授業担当外だね」と私と生徒指導主任を除いたメンバーで所属学年を割り振って決定した。
結局はサポーターがなるたるかわからないままに教科会議は終了。私の所属学年は未だわからない。というか、どんな仕事をするのかがわからない。
すっきりとしない気持ちのまま、職員室へ。
するとすぐに「先生、サポーターよね?」と先輩教員より声がかかった。
「サポーターの会議をやるから、来てもらっていい?」
良いもの悪いもない。呼ばれるがままに「サポート教室」なる部屋へ。
集まった人数は全部で5名。
経験豊富そうな先生3名と、私と同じで4日付勤務開始の常勤講師の先生、そして私。
優しそうな雰囲気の男性の先生方口を開き、
「昨年度に引き続き、主任をさせてもらいます。私は4学年扱いなので、皆さんの担当学年を決めていきましょう」
と進行を開始する。
4学年?初めて聞く言葉が気になりながらも、希望学年も何も出しようがなく、流れのままに私の担当は、先程私に声をかけてくれた先輩と2人、1年生となった。
所属が決まり、解散となりそうな流れの中で「今しかない」と思い切り、
「すいません、よくわかってなくて。サポーター教員ってなにをしたらいいんですか?」
と質問。
え、説明を受けていなかったの? と少しザワザワする中、ついにサポーター教員とは何なのかが判明した。
「うちの学校では支援の必要な生徒のことをサポート生徒と言って、サポーター教員はその子たちの支援を専属でする、いわゆる支援学級担任だよ」
大学で国文学を学び、中学高校の国語科免許を取得した私が担当することになったのは、支援学級の担任だった。
そしてこの直後、受け持つことになる重度の知的障害をもつ生徒宅へ初の家庭訪問に。