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Football談義 サッカーの日

どーも、レオです🦁
11月11日はサッカーの日。
ポッキーの日でもありますが、今回は僕のサッカー人生について語っていきます。

生まれ育った環境によって
自然と始めたサッカー

ボールを蹴り始めたきっかけは、父の影響です。
父がフットサル施設の運営をしていたことで、僕の遊び場はいつもフットサルコートでした。そして僕が物心ついたときには、父もフットサルをプレーしており、その姿を見ていた記憶もあります。父が所属していたチームの人や、施設にくる父の知り合いの人たちとボールを蹴って遊んでいました。
父の勤めていたフットサル施設でやっていたスクールに通い始めたのが、僕がちゃんとボールを蹴り始めたきっかけです。当時は、サッカーとフットサルの違いをわからないままボールを蹴っていました。それでも、小さい体でやるぶんにはちょうどよかったです。

初めてチームに所属した小学生時代

本格的にサッカーをやり始めたのは、小学生になってからです。小学校に入学して新しい友達と出会い、環境がガラッと変わった中で、スクールも小学生クラスに上がり、今までとちょっと違った雰囲気を感じたことを覚えています。
そんな中、小学生になったらチームに入ってやりたいと思っていたので、地元である宮城県仙台市にあったFCクオーレ(以下:クオーレ)というチームに体験に行き、そのまま入団しました。
基本的に週末のみのチーム活動だったので、平日はスクールに通って、土日はクオーレでの練習というような1週間でした。1.2年生のときは、あまり大きな大会はなかったので、クオーレでの練習やスクールを通じてスキルアップしていきました。3年生の時は試合経験が増えていき、4年生では初めて県大会に出場し、ベスト8まで行きました。5年生では1学年上の試合にも関わり、自分の学年でも新人戦県大会に出場しましたが、ベスト16で敗退しました。

6年生での思い出

6年生になると大きな大会がたくさんあり、様々な経験ができました。
そのうちの一つは、全日本少年サッカー大会(以下:全小)の県予選大会です。
小学生年代の日本一を争う全小の県大会。
宮城野区予選→県大会1次予選→県大会2次予選→決勝トーナメントと戦い、2次予選まで全て2位通過という、珍しい形での勝ち上がりでした(全て2位通過は史上初だったそう)。
その結果が物語っている通り、とても厳しい戦いの連続でした。それでも、苦しい試合の経験が小学生年代でできたことは、その後のサッカー人生にも活きたと思います。
中でも、ボールを蹴り始めるきっかけとなったスクールで、一緒にやっていた選手たちとバチバチに試合ができ、しかも決勝ゴールを決めた2次予選の試合は、一番の思い出です。
そしてもう一つは、ベガルタ仙台のホームスタジアムでもあるユアテックスタジアム仙台での試合です。
ベガルタ仙台 vs ガンバ大阪の前座試合として行われたこの試合は、僕がキャプテンマークをつけてプレーした、一番大きな試合でした。
両チームのサポーターの方々が声援を送ってくださり、伸び伸びとプレーできたのを覚えています。その試合はクオーレが2-0で勝利しました。試合後には表彰式があり、キャプテンだった僕の顔はスタジアムの大型ビジョンに映し出され、若干ニヤついていたのを今でも両親にいじられます。笑

色んな経験ができたクオーレでの6年間。
しかしクオーレ以外にも、貴重な経験ができた場所はたくさんあります。
父の職場だった施設でのスクールはもちろん、アバンツァーレ仙台のスクールにも通わせていただきました。当時のコーチと父が非常に仲が良く、練習参加させてもらっていました。
また、宮城県の強豪・聖和学園のグラウンドで練習していたエナブルというチームのスクールにも通っていました。エナブルでは、6年生になるとジュニアユースの選手たちと一緒に練習させてもらいました。しかもその中で、選手権に出ていた高校生たちと一緒に練習することもありました。聖和のスタイルは特殊ですが、僕が聖和をリスペクトしているのは、当時の経験からです。

迫られた進路選択
人生を変えた一つの出会い

そして、6年生といえば進路選択が迫られます。もともと、中学→高校と繋がっているようなチームに行きたいと思っていました。そこで、スクールにも通っていたので、中学はエナブルに入って聖和学園に、とぼんやりと思い描いていました。
しかし、ある一つのチーム・ある一人の選手が、僕の人生を大きく変えました。

あれは確か、GWだったと思います。
仙台市内で行われた、プリンスリーグ東北の聖和学園の試合を観に行きました。
対戦相手は青森山田高校
当時の青森山田高校は、前年度の高校サッカー選手権で初の決勝進出を果たし、決勝では敗れてしまったものの、準優勝に輝きました。
国立で行われた決勝をテレビで観戦していた僕はなんとなく「あの時の緑のチームか」「決勝で負けちゃったんだよなー」くらいの認識でした。それでも、普段から見ていた聖和学園の選手たちを応援しに、試合を観にいきました。
しかし僕はこの試合で、人生を大きく変える衝撃を受けました。
テクニックに定評のある聖和学園の選手たちが、球際の激しい青森山田の選手たちにボールを刈り取られ、素早いカウンターやセットプレーで聖和ゴールに迫っていくのです。
同じグラウンドで練習していた聖和学園の選手たちを観にいきましたが、時間が経つにつれて青森山田に目線が移っていったのを覚えています。

その青森山田の中心として輝いていた選手に、僕は一番衝撃を受けました。
キャプテンマークを巻いて10番を背負い、先述した選手権後に、2年生ながら翌年の鹿島アントラーズへの内定を決めていた柴崎岳選手です。
何に一番衝撃を受けたかというと
柴崎選手のキックの精度です。
ショートパスもロングパスもセットプレーも、全くズレることなく受け手にピタッと吸い込まれるようにパスが通っていきます。またその試合では、ミドルシュートも決めていました。
これにはさすがに言葉が出ませんでした。

こんな選手がいるのか。
聖和学園の選手たちとは全く違う上手さ。
これが日本のトップレベルか
あんな選手になりたいと思いました。
その試合後には、僕の気持ちは聖和学園ではなく青森山田に向いていました。

進路選択での葛藤

両親も一緒にその試合を観に行っていたため、両親も凄く衝撃を受けていました。帰宅後、青森山田について調べてくれて、中高一貫校であるということを知り、中学から行きたいと志願しました。
しかし、そんな簡単な話ではありません。
中学から行くとなれば、家を出て寮生活をすることになります。しかも、青森山田ほどの強豪校。たくさんの部員がいる中で全く試合に出られないかもしれない。一度もユニフォームを着ることなく、試合に出られないまま中高という大事な6年を過ごしてしまう可能性だってあります。
特に父は、最初は反対していました。
試合に出られないかもしれないということを危惧していて、近くで成長を見られないことも寂しがっていたそうです。
※卒業してから聞いた話です。
それでも、宮城に青森山田の中学生が遠征に来る予定があるタイミングでその遠征に参加させていただいたり、青森に練習参加しにいったことで、僕の気持ちは固まりました。

もちろん、小学6年生の僕が何か通用した部分があったからとか、やれる自信があったとか、そういう部分で決めたわけではありません。
サッカーの面よりもそれ以外の部分で感じた部分が、僕の進路選択を確実なものにしました。
青森山田の選手たちと初めて接したとき、ハキハキとした挨拶や返事、爽やかな雰囲気で接してくれました。本当に一つ二つ上の人たちなのかな?と感じるくらい、凄く大人びた人たちだと思いました。
青森にいって高校生の練習を見たときには、聖和との試合で衝撃を受けた柴崎岳選手がいて、見ず知らずの僕たちに対して、グラウンドから走ってきて、立ち止まって大きな声で「こんにちは!!」と挨拶してくれました。
あのレベルの選手でさえ挨拶や礼儀が徹底されている環境に、衝撃を受けました。
青森山田にいけば、きっとサッカー以外に人間的にも成長できる。サッカーはもちろん上手くなるだろうけど、それ以外に社会に出たときに活きるようなものが得られると思いました。
それが、青森山田中学・高校に進学を決めた大きな理由です。

中学生のときや高校生のときの話は、また今度機会があったら話せればと思います。

今回はこの辺で。

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