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自己紹介
遅ればせながら、自己紹介をさせて頂きます。
新学期の自己紹介タイムで自分の番が回ってきた気分です。久しぶりの感覚。一言目、なんて発したら良いか直前まで悩む。
聡虎と書いて、「さとら」と読みます。本名です。
両親が与えてくれたこの名前、とても気に入っています。賢くて強い子に、というのが由来だそうです。なんとも有難い。
未だ同じ名前の人には出会ったことがありません。同時に「聡虎」という名前の人に出会ったことがあるという人にも出会ったことがありません。
苗字もそこそこ珍しいので、フルネームならば確実に世界に一人だけの名前でしょう。振り返ってみると、「自分は唯一無二で替えの利かない存在である」と幼少期から思えていた1つの理由のような気がします。
出身地は静岡県沼津市です。千本浜という場所からは海と富士山を同時に望むことができて、干物が美味しい大好きな場所です。今でも祖父母とひいおばあちゃんが住んでいるので、年に一度は帰ります。
小学校に上がる前に、父の転職がきっかけで上京しました。それからは東京の西側、多摩地域のとある市に暮らしています。立川によく居ます。
2003年2月生まれです。先日誕生日を迎えて、22歳になりました。早生まれなので、2002年生まれの人達と同学年になります。センター試験が共通テストに切り替わった学年。東日本大震災発生時、小学校2年生だった学年。
小学生のときは、勉強ができる方でした。あのツルツルの紙のテスト、ほぼ満点しか取ったこと無かったです。だからという訳では無いですが、中学受験をしました。無事合格して、都立の某中高一貫校に入学しました。
中学・高校では常に学力ドベでした。そりゃ各小学校で満点無双してた人が集まってた訳です。井の中の蛙、大海を知らず。定期試験の順位はいつも下から数えた方が早かった。いつも大量の課題に追われて、それを試験勉強としてやれなかったです。この時期に自分が課されたタスクをこなすことがとても苦手な人間だと気が付きました。
それでもなんとか高校を卒業して、そのまま大学へ進学することが出来ました。学力ドベだったのに加えて、不器用で極端な人間なので、第一志望の国公立前期のみを見つめて1年間死ぬ気で勉強しました。残念ながら落ちてしまいました。
でも、本気でやった甲斐あって高3にしてやっと自分に合った勉強方法が分かりました。1年間で共テ400点近く上げて(元が低すぎるんですね)、今さら負け惜しみにしかなりませんが、結構惜しかった感じでした。ナイストライ!
当然浪人することも考えましたが、駆け込みで申し込んだ3月の試験で何とか一校だけ合格を頂けました。親も担任も聡虎は浪人向いてないと言ったし、自分でもそう思ったので入学を決意しました。つまり、いま現在私立文系大学4年生です。
正直に言って、大学生活は充実していた、とは言い難いです。1年生のとき、コロナ禍のオンライン授業に全く馴染めなかったのと、自分の進路に心から納得出来ていない部分もあり、以来ずっと学業不振気味で過ごしてきました。そのため、4年生になっても沢山の講義を取っていました。
ということは、卒業できるかはまだ確定していません。3月5日の卒業者発表まで、可能な限りの徳を積みたいと思います。
卒業後は、大学院に進学する予定でした。
しかし、世の中やってみないと分からないことが結構あります。入試対策をしたり、希望する指導教員と面談したりと、実際に大学院進学の準備をしていくうえで、心底「自分には研究の世界が向いていないな」と思ってしまいました。なので最終的に、大学院進学を諦めました。この大学院進学にまつわる話については、いつか別の記事で詳しく書こうと思います。
この進路の悩みや、卒業論文の執筆、自身の自己管理能力の低さ・タスク処理の苦手さへの失望、周囲の人間が自己実現をしていくことへの焦燥感など、言い出したらキリがないほどに色々なことが重なってしまいました。昨年12月からメンタル不調が始まり、卒論の締切が迫るにつれて悪化していきました。
気が付いたら、メンタルクリニックに行く事になっていました。
中程度のうつ状態、またそれに伴う身体化障害ということでした。
この辺りも、いつかきちんと記事にすることが出来たらなと思います。
つまり、春からの進路は一切決まっていない、ということです。ニート?一応バイト先はあるからフリーターになるんでしょうか。まさか自分の人生にそんな時期があるとは思いもしませんでした。ウケます。
高校生の頃から興味を持って、大学院進学を検討した理由でもあった「将来の夢」的なものも、本当にやりたいことなのか今はよく分からないのです。
一度空っぽになってしまった聡虎を、適当な時間をかけて再構築していく必要があります。
そのために、焦らず、先のことは考えず、療養に専念することにしています。毎日1歩ずつですね。
ここまで読んでいただいて、僕が中学から大学までずーっとギリギリで来てる感じ、何となく伝わったでしょうか。ぶっちゃけ軽くADHD入ってんじゃねーかなとか思うこともあります。出来るだけ言わないようにしてきましたが正直、ほんの少しだけ生きにくいと感じる。
だから、このままじゃどのみちいつか潰れてたんだろうな、と。
そう考えると、潰れたのがこのタイミングで良かったですよね。もっと先、例えば働いて家庭を持っている状態まで何とかギリギリでいっちゃってたら、もっと災難なことになってたことでしょう。
いまのこの時間は、自身の得手不得手との付き合い方を考え直す良い機会だと捉えるようにしています。
自己紹介のつもりで始めたはすが、最後は自己分析になってしまっていました。はじめに構成を設定せず書き出す欠点が出ました。
すごく読みにくい自己紹介だったと思いますが、ここまでお付き合い頂きありがとうございます。今後も沢山noteに書きたいことがあるので、ときどき見て頂けると幸いです。