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22歳まで生き延びた
僕は2月1日が誕生日であり、つまり本日から22歳の1年間が始まったわけである。
1年前の自分はこんなことを考えていた。
20歳までの誕生日は待ち遠しく、数が増えるのを幼児のように楽しんだものだった。しかし21歳になった途端、数字が増える喜びは無くなってむしろ嫌な気持ちになる。もしかして、未だ数を20までしか知らない幼児なのかもしれない、と。そんなことを考えていた。
さて、前回の記事を読んでくれた人は知っての通り、2週間ほど前からメンタルクリニックに通院している。
大っぴらにアピールすることでも無いと思うが、こういうことはどうせ広まってしまうし。それに、わざわざ私の文章を読むことに時間を使ってくれている貴方には、知られても問題ないと思っている。
つい数ヶ月前までは、誕生日は待ち遠しいものでもなければ、むしろ21歳何も成し遂げていないし、このまま22歳になってしまうのか、なんて考えていた私だったが、こうした状況になって心持ちが大きく変化した。
22年間もよく生き延びたな。
こういう風に思うのである。
詳しいことはまた別の機会に書くなり、話すなりさせて貰うが、このあいだ、生まれて初めてホームに接近する中央線に強い引力を感じた。
人は簡単には死ねないが、思っているよりも脆い。だからこそ今日を無事生き抜いていることは、何よりも尊いことである。現実的に、毎日そんなことを言ってられないのであれば、やはり誕生日という機を借りて祝福するしかないだろう。
とまあ、格好つけていけしゃあしゃあと書いてはみたが、ここまでは前置きである。
いま現在困っている症状のひとつとして、連絡が返せないことがある。うつの典型的な行動パターンであり、私も例外ではなかった。
とはいえ急性期は乗り越えているし、処方された薬を朝晩言われた通りに服用しているので、少しずつ気力が戻ってきている。そこでこの間滞納していた返信を、1日1人ずつと決めて返している日々である。(改めてすみません。)
一気に返信すると一気に返信が来て困り果てることは、鈍った頭でも想像することが出来た。
ここまで読んで、きっと察しの良すぎる人は話の筋が見えてきたんじゃないだろうか。
そう、ズバリ誕生日おめでとうメッセージ問題である。
誤解のないように予め申し上げさせて頂きますが、誕生日おめでとうメッセージは全て有難いです。こんな私に祝福の言葉を贈って頂いた皆さまには心から感謝申し上げます。
とはいえ今の私にとっては死活問題である。元より交友関係も広くないので、わざわざメッセージをくれる人物は限られている。例年通りであれば、頭で思いつく規模感である(それでも十分有難いのだ)。
しかし、最近、普段は頻繁に更新していたSNSも動かさず、いうなれば音信不通ムーブをカマしていたので、もしかするといつも以上に連絡を頂くかもしれない。前日からそんな予感がしてきた。
だが、何度も述べているようにそういった連絡というのは有難いものである。決して無下にはしたくない。何より、今の私にとってそれらを無視してしまうことは、自分自身の自尊心を虐げることと同じであった。
私は1日掛けて覚悟を決め、めちゃくちゃ気張ることで乗り越えることを選択した。
結果、気張ったほど連絡は来なかった。(終)
追伸
冗談のつもりで書いてます、笑ってください。笑えなかったら僕の技量不足です。
無論、祝いの言葉を贈ってくれた周りの人たちには感謝の気持ちで一杯です。そして、この記事を読んでくれた皆さまもありがとうございます。気が向けば誕生日のお祝いと思ってストーリーやこの記事に♡を押してくださると嬉しいです。
また、昨日キバった分の返信エナジーが少し余っているので、遠慮せずお祝いの言葉をくれても良いですヨ👍