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理系INFJが考える「悟りは誰にでもある現象」

なんの経歴もない一般理系大学生が考える「悟り」について。
正直悟りなんてこんなもんじゃね
例えば、
雨が降る。傘をさす。
風が吹く。前髪をおさえる。
日差しが強くなる。日陰に入る。
好きな子ができる。告白する。
算数のテストがある。嫌だけど勉強頑張る。
会社に行きたくない。頑張って起きる。

何かが起こる→覚悟を持つ→行動
世界や私自身が私に対して課題を押し付ける。それを解決する覚悟を持つ。これが悟り
ではないのかと思う。
多分ね、、、😊


↓自分語り
私は、ついこの間自分の嫌いな所を直そうと覚悟した。この時の感覚が以下の動画での発言と似ていて、共有したいと思う。
私が覚悟したときは、心の重心が下がり。頭のなかで流れ続ける思考や妄想がストップされ、「目に見える世界」と「私」が同じ時間を進んでいるような感覚。(書いてて思うが、何言ってるか分からないと思われるかもしれない💦)
これを覚悟=悟りを覚える。ということにした。

簡単に動画の内容をまとめる(この記事に必要な部分のみ)
覚悟とは悟りを覚えること。
・覚悟を持った時、心の重心が腹に下がること。


悟るために必要な認識

世界と自己に対する認識の2つ

無常=「世界は変わり続ける」

生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%B8%B8

無我=「私という自己の本質は、絶対的な言葉で説明できない」

あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%88%91

世界は変わり続ける。
私という自己の本質は、絶対的な言葉で説明できない。
(ここで私、構造主義と現象学を思い出す。)

つまり、世界は無常。その世界で生きる私も無常。故にその私が感じる悟りも無常である。
ということは、悟りとは絶対的な状態を指すモノではなく。流動的で、時間変化的なものである。


(ここで私、ブルーロックの潔世一を思い出す。)
脳にブチ込んで 俺の常識を描き変えろ!!!
勝つためなら俺は・・・自分の全部を壊してもいい
何度でも 生まれ変わってやる

欲しいのは 勝利だ 生まれ変わるのは 今だ。

・変わるってのは 「今までの自分」を壊すコトからしか始まらない。

・・・この状況で そんな子供じみた思考しかできねぇのかよ・・・
こっちだって・・・ お前みたいな自意識自慰(オナニー)野郎と同じ世界で生きたかねぇよ・・・

・一人で気持ち良い夢抱いて 沈んでイッてろ ドロ船が。


つまり

悟りとは、世界や私自身が私に対して課題を押し付ける。それを解決すると覚悟を持つと決める。これが悟りではないのかと思う。(三角関数と三平法の定理の証明みたいになっているが、循環論法)

また仏陀が到達したと言われる、悟りの境地とは
世界に対して常に覚悟すること。
だと考える。

おそらく、仏陀も常に覚悟していたんだとおもふ。

以上の話をMBTI(ユング心理学)と絡めてまとめると、
SeFe→外界の変化チェック
SiFi→自己の変化チェック
NeTe→進める道を探す、並べる
NiTi→進む道を見通す

最終的に決めるのは心理機能じゃなくて意志になる。

学術的には間違ってるかもしれないし、都合のいいように解釈してる節はあると思う🫠

皆さんの覚悟エピソード、感想お待ちしております。✨

それでは皆様、よい悟りライフを👋


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