何のために、何を書くのか ~本を出して気づいたこと
こんにちは。フィールドワーク×作家で活動中のさとのです。
小説、ブログ、日記……色々なものを書いてきた私ですが、最近悩んでいます。
「何のために、何を書くのか」
あなたは、何のために書くのか。
その質問の答えに正解はないし、答えはひとつではないと思う。
ただ、その「何のため」の答えによって、何を書くのかは変わる。それを見失うと、苦しむことになる。
そんなテーマについて、現時点で思っていることを記していきたいと思います。
小説が本になった
昨年、ありがたいことに、オンラインで書いていた小説が編集者さんの目にとまり、出版させていただくことになりました。
それがこの本👇
ジャンルとしては、ライトノベルになります。
これは、自分の書いたものがまとまったお金になった、初めての経験でした。
出版までにどんな工程があって、どれだけ手間と費用がかかるかを目の当たりにし、つくづく「ありがたいなぁ」と感じています。
だけど残念なことに、この本は今のところ、「とても売れ行きがよい」という状況ではありません。編集者さん曰く「悪くもないけど、よくもない」とのこと。
一方で、同時に同じレーベルから、同じ「スローライフ系」として出版された他の二冊は、わりと好調だそう。一冊は、コミカライズの話も進んでいるらしい。
商業出版の場合、作家は出版社からお金をもらいます。
その出版社は、読者からお金をもらいます。さらに言えば、単発の本だけでは大きな利益は出ないので、重版してシリーズ化して、その先の漫画化・アニメ化までいって初めて、出版社にもうまみがある、という世界のようです。
売れ行きのよくない本は、即、打ち切り。
なかなかに、厳しい現実です。
お金がほしいなら、読者の求めるものを書く
小説を書いている人なら特に、共感するところがあると思うのですが、私たちはどうしても、「自分の書きたいもの」を書きがちです。
趣味なら、それで構いません。でも、お金がほしいなら、話は別です。
人は、そのモノに価値を感じるから、お金を出す。
他者に評価されないと、お金にはならない。
まあ、当たり前ですよね。
じゃあ、ライトノベルの価値ってなんなのか?
おもしろい、よい小説なら売れる?
でもその「おもしろさ」ってなんなのか。
ラノベや特にオンライン小説の世界でいうと、読者が求める「おもしろさ」というのは、「現実逃避でき」「現実では得られない快感」を味わえるストーリーだと思います。
とあるオンライン小説発のプロ作家さんは「オンライン小説は精神的なポルノだ」とまで言っておられました。
だから、人生をリセットする「異世界転生」や「追放モノ」が流行るし(人生をリセットしたい人が一定数いる)、「特殊能力で無双する」のがすかっとする(現実は平凡で特別な能力もない人が大半)。
さらには「頭を使わずに読める」のも重要な要素かと思います。
魔法やエルフが出てくる中世ヨーロッパ風の世界観であれば、すでに多くのラノベ読者が前提の知識やイメージを持っているので、省エネで物語世界に入れる。
(まったく新しい世界だと、そこに入り込むまでに一定の忍耐と労力がかかるのは、小説を読む人なら共感するところでしょう)
本を売るためには、読者ニーズを満たすものを書かなければいけない。
当たり前だけど、これがなかなか、難しいんですよね。
もっといえば、ラノベは立ち読みできない場合がほとんどなので、買うかどうかは、ほぼ「パッケージ」で決まります。
つまり、読者ニーズを満たしてくれると期待される本、が売れるわけですね。
で、私の本と同時に出版された本を読むと、ちゃんとそうしたニーズを押さえた内容でありつつ、タイトルやあらすじ(つまりパッケージ)で推しだせる、独自の設定やキャラクターもあるわけです。
こんな感じで、書籍化を通した経験から、ラノベとして売り上げを伸ばして収入を得たいならば、もっと読者の求めるものに寄せて書く技術がいる、ということを痛感しました。
求める人がいる場所に出す
ただ同時に、別の考え方もできるなと思いました。
それは、ラノベレーベルから出版されたからといって、ラノベ読者だけをターゲットにする必要はないのでは、ということです。
今回、書籍化した小説は、現実世界をベースにした物語です。
ブラック企業でITエンジニアとして働いていた主人公が、脱サラして田舎にUターンし、家業を継いで兼業神主になり、八百万の神様が見える力で、自然の精霊や神様たちと交流する。
オンライン小説のテンプレを意識はしていますが、現実の世知辛さから完全には抜けられておらず、なんというか、よくも悪くも「リアリティ」がある。キャラ設定や見せ方などに課題があることも、アマゾンのレビューなどを見てわかりました。
とにかく、ラノベ読者の求めるニーズを十分には満たせなかった。
とはいえ、オンラインに連載していたときから、「八百万の神が出てくる物語の中で、トップレベルでお気に入りになった」と言ってくれる読者さんがいたり、小学生の姪っ子が気に入って、一ヶ月の間に三回も読んでくれたりなど、刺さる人には刺さるらしいことも、わかっています。
自然や古いものなど「どこにでも神様は宿る」という感覚を共有する人や、地方出身の人、神様が身近だった人などには、共感してもらえる要素がたくさんあるらしい。
担当編集者さんも、「万人受けはしないけど、刺さる人には刺さる」と思って、お声がけくださったそうです。
それで考えたのが、普段ライトノベルを読まない人にもリーチできたら、興味を持ってくれる人がいるのでは? ということです。
仮説を検証するために、ちょっとした施策をうってみました。
この小説、売れ行きがすごくよくはないものの、ありがたいことに二巻も近々出版していただく予定ですので、もう少しあがいてみたいと思います。結果どうなるかは未知数ですが、もしおもしろい結果が得られたら、後日また記事にするかもです。
もっといえば、今話題の「えんとつ町のプペル」のキングコング西野さんみたいに、売るための戦略を立てて、そのための行動をバシバシとっていければ、また違うのかもしれませんね。
お金にならなくても書く
もうひとつ思うのが、「書きたいものを書く、それでもいいじゃないか」ということ。
「書くのが好き」「書きたい」という人でも、書く理由は様々だと思います。
書いているのが楽しいから。
誰かの役に立つ情報を提供したいから。
自分の経験や感情、思いを昇華させるため。
読んで喜んでくれる人がいると嬉しいから。
お金になるといいなと思うから。
で、前半でも書いたように、「お金にしたい」ならば「評価されるものを書く」のとセットです。
ただ、「書くのが好き」で書いているなら、別にお金にならなくてもいいのではないか。書いて、少数でもそれを読んで喜んでくれる人がいれば、それでもいい。
他に生計を立てるための仕事を持って、そのうえで安心して好きなことを書くというのだって、全然アリだと思います。
その方が、他人の目を気にすることなく自由に思うままに書けます。
無理して、好きなことでお金を得ようと思わなくたっていいのです。趣味だっていいのです。
実際には「人に読んでもらいたい」という気持ちと「好きなことを書きたい」思いが、0か100かではなくて、50:50とか、30:70とか、グラデーションだと思います。
大事なのは、自分は「何のために書きたいのか」を明確にして、それに合わせた書き方や書くものを、選ぶこと。
運がよければ、好きなもの書いていても、それを好きだと言ってくれる人が一定数いたら、お金になることもありますしね。
何のために、何を書くのか
結論、好きにしたらいいのです。
ただ、お金にしたいなら戦略は必要。それはどうしようもない現実。
出版したことで、改めてそのことを考えるきっかけとなりました。
ちなみに私は、読んでくれる人がいるとやっぱり嬉しいので、読んでもらえるものを書くための努力は、続けたいなと思っています。
この記事が、書くのが好きな人の参考になれば、とても嬉しいです。
みなさんのご経験や感想などあれば、コメント大歓迎です!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。