サイハテ
今回は、私の全広義VOCALOID楽曲中1選である、もはや「大好き」という言葉では表せない複雑な感情をも持っている、小林オニキス氏の楽曲『サイハテ』について話していきたいと思います。
考察などを含め、個人の解釈が多岐にわたると思われますので、ご了承いただけた方のみご覧ください。
曲の概要
2008年1月16日、小林オニキス氏によってニコニコ動画に投稿された本作は、初音ミクオリジナル曲としては珍しい、人の「生と死」についての楽曲です。
同氏によるアニメPVと、歌詞とは裏腹にポップな曲調が相まって独特な世界観を醸し出す本作は人気に火がつき、2009年3月2日に100万再生を突破し、現在では350万回以上再生されている人気楽曲でもあります。
また、この曲がもたらした影響はそれだけではなく、「歌葬」「ポップ・レクイエム」といった新しい言葉が生み出されました。特に「ポップ・レクイエム」に関してはVOCALOID史の中でも一つの音楽ジャンルとして定着するほど。
(下は代表的なポップ・レクイエムの例)
サイハテとの出会い、その魅力
では、私がなぜ本作をボカロ1選に選ぶのかについて話していきます。
まず、私は本作が投稿された当時初音ミクどころか日本語すら話せない幼児でした。そのため、私がこの楽曲に出会ったのは投稿から随分経ってからになります。
ですから、私がこの楽曲と出会ったのは随分後のことで、どの動画かは定かではありませんが、きっかけはYouTubeにあったサビメドレー動画でした。秒数にして数十秒。決して長い時間ではありませんでしたが、私の記憶に残るには十分な時間でした。
初めて聞いた時の印象は「なんか変わった曲」くらいの感じでしたが、ある日気になって改めて本家動画を視聴したときの燃えるような感動。全身を包む高揚感。胸を迸る衝動———
が、あったかどうかは全く覚えていないので多少の脚色がなされてはいますが、私がサイハテに出会った経緯はこんな感じです。
ですから、なぜこの曲が1選なのかというと
特別な出会い
をしたわけではなく、
この曲を聴くと
あの子のことを思い出す
だとかそんなことは全くなく、純粋にこの曲が私の嗜好にドストレート、みたいなそんな感じの理由です。
ではいよいよ私が思うサイハテの良さ・好きなところ、という核心について話していきます
が…………。本音を言うと、私にとってのそれはサイハテの全てであるため、全てをみなさんに知ってもらわないことには話が進みません。
が…………。正直音楽に関しては私は完全な素人であり、さらに各自の好みがあるため一概には言うことができません。
なので、今回は歌詞と動画に関してメインで話していきたいと思います。
さて、いよいよ本題に入りますが、お時間のある方は是非本作を一度ご覧の上、続きをお読みいただきたいです。
(リンクももう一度貼っておきます)
歌詞・動画の解釈
サイハテには特徴的な歌詞が多く含まれ、その動画にも特徴的な演出がいくつかなされているため、その解釈から私がサイハテをどんな風に捉えているかについて話していきたいと思います。
そこで、わかりやすくこの曲の主人公を仮に「私」とし(むしろ分かりにくくなっているようにも感じますが、ここで突然拙者などに一人称を変える勇気はないため)、もう一人の登場人物は歌詞にも登場するのでそのまま「あなた」とします。
では、いよいよ見ていきたいと思います。
まずは歌い出しからです。
〈むこうはどんな所なんだろうね?〉
「むこう」は死の世界・天国など、定かではありませんがその方面のなにかであることは容易に想像がつきます。
〈無事に着いたら〉〈便りでも欲しいよ〉
この二つの言葉から、私は「私」の幼さと、「あなた」の死を受け止めきれていないことの二つを感じました。死んでいる以上、無事どころではないし便りどころかLINEすら送れません。
これは、天国があると想像して「あなた」がそこで暮らしてほしいという、もはや一種の現実逃避です。しかし、本気でそれを信じているかと考えるとそうかは分かりません。
続きです。
〈扉を開いて 彼方へと向かうあなたへ〉
「扉を開いて」は比喩的な表現であると考えられるかもしれませんが、
こちらを見てわかるように、火葬場の「扉を開いて」でもあると考えられます。
〈この歌声と祈りが 届けばいいなぁ〉
これは、わざわざ「届きますように」ではなく「届けばいいなぁ」にしていることに意味がありそうです。「歌声と祈りが届く」ということを信じたいけれど、本当は届かないことを知っているような表現になっていると感じます。
いよいよサビの前半です。
〈雲ひとつないような 抜けるほど晴天の今日は〉
ここは単なる情景描写なんですが、かなり好きなポイントだったりします。「死」という重すぎるテーマとはあまりにかけ離れたのどかな情景をサビの頭に持ってきてしまうセンス。
〈悲しいくらいに お別れ日和で〉
「お別れ日和」というのは、雲ひとつない晴天であることを言っていそうです。「悲しいくらいに」という言葉も非常にグッときます。
サビの後半です。
〈ありふれた人生を 紅く色付ける様な
たおやかな恋でした たおやかな恋でした〉
ここからいろいろなことがわかります。例えば「私」と「あなた」の関係について。片想いをしているだけなのか恋人同士なのかはわかりませんが、「私」にとっては「ありふれた人生を紅く色付ける様な恋」だったようです。
「たおやかな」は広辞苑によると
だそうなので、かなり意訳ですが「たおやかな恋」というのはまっすぐで一途な、上品な恋のようです。
そして、その「たおやかな恋でした」というフレーズが繰り返されています。これは反復法と言われるものの一種だと考えられますが、文全体でリズム感を出す効果や、繰り返す語句の意味を強調する効果があります。今回の場合はどちらかといえば後者でしょう。
「さよなら」
この「さよなら」には特別な意味が含まれていて、
このように「さよなら」と同時に先ほどと同じく火葬場の扉が一瞬映ります。よって、この「さよなら」は単なる挨拶ではなく、これから火葬される「あなた」への本当の意味での別れであると考えられます。
そう考えると、このサビでは最後の別れの前に「たおやかな恋でした」と繰り返すことで「あなた」との恋は特別だった、と「私」が叫んでいるようにも感じてきますね。
2番というか、この曲ではラスサビの前ですね。
〈またいつの日にか 出会えると信じられたら〉
「またいつの日にか 出会える」とは、「私」がいつか死んだときに天国で再会できるということでしょうか。しかし、「信じられたら」と言っているので、本当はそんな未来は存在しない・信じられないということを含んだ言い方のように感じます。非常に切ないです。
〈これからの日々も 変わらずやり過ごせるね〉
この歌詞も非常に好きです。たとえ「あなた」との再会を信じられたとしても、「変わらずやり過ごせる」程度なのです。そして、信じられない「私」は「変わらずやり過ごせる」わけではないようです。
一見「あなたがいなくても寂しくない」というような内容にも見えるのですが、よく考えてみると真逆のことを言っているようです。
ついにラスサビ前半です。
〈扉が閉まれば このまま離ればなれだ〉
「扉」は前述の通りでしょう。
そして「このまま」離ればなれ、ということはもう「私」と「あなた」はすでに離ればなれなんですね。
そう考えると、「私」が今まで冷静だったこととも辻褄が合います。死んでしまった当時はとても悲しかったでしょうが、火葬場で「あなた」を想う「私」は感情の整理がある程度ついているのではないでしょうか。
〈あなたの煙は 雲となり雨になるよ〉
私はこの歌詞が一番好きです。まずはなんというかちっともロマンチックではないですよね。
「雲となり雨になる」なんて普通に考えたら当たり前で、センチメンタルな気分なのであれば例えば別に「天国に向かって伸び続ける」とか、「永遠に消えない煙となる」とか妄想してもいいわけです。
それをしない、「私」が「現実を見ている」という事実がとてもとても悲しくて切ないです。このことも先程の考察と辻褄が合います。
また、「雲となり雨となる」ということはその雨がやがて川となり、海となり、新たな生命が生まれるということでもあります。死と生の対比も感じられる非常に美しい歌詞です。
ラスサビ後半、いよいよ最後の歌詞です。
〈ありふれた人生を 紅く色付けるような
たおやかな恋でした たおやかな恋でした〉
1番と全く同じです。込められた想いも変わらないでしょう。
〈さよなら〉
ここも1番と全く同じに見えます。
が…
唯一異なる箇所があります。
そうです。先程までは火葬場の扉が映っていましたが、ここでなにやら一輪の花が小瓶に挿されています。この花は冒頭からミクが持っているものと同じなようです。
そして、私は花にはあまり詳しくないのですがこの花は「アネモネ」の可能性が一番高いと思います。
非常によく似ているのがわかると思います。
さて、花には「花言葉」と呼ばれるものがあります。曲の最後の最後に登場させるということは、なにか曲に関係する深い意味があるのでしょうか。とりあえず伝家の宝刀Googleで検索してみます。
めっちゃぽいやんけ〜〜〜〜〜〜〜と叫びたくなるお気持ちはわかりますが、まだ我慢していてください。とってもこの曲のイメージに沿っているような気がしますよね…!
しかし、
これはアネモネ全体の花言葉です。アネモネには白・赤・青などさまざまな色があり、色によって個別の花言葉もあります。この「はかない恋」などのメッセージを伝えたいだけなら、わざわざ赤い一輪の花のみを登場させる必要はないかもしれません。さっそく調べてみましょう。
うぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜まるで白昼堂々愛の告白を受けたかのような錯覚に陥ります。「私」は「あなた」を愛しているんです。今もなお。その気持ちだけは紅く色づいて残っているんです。
さびしくて、切なくて、不器用で。
それでいてまっすぐな愛の歌なんです。これは。
おわりに〜あなたにとっての最果てとは?〜
さて、あなたの「最果て」への理解の手助けはできたでしょうか?
作者、小林オニキスは自身が書いた小説版『サイハテ』のあとがきにて、この楽曲は「誰しもが必ず経験する、大切な人との永遠の別れの瞬間」を描写しているのだと語っています。
『サイハテ』という楽曲は、人間として生きていく中で絶対に避けられない「最果て」のひとつの形です。人それぞれに愛の形があり、人それぞれに最果ての形があります。あなたにとっての最果てとはどんな形でしょうか。
この作品は
そんなどうしようもなくつらく、悲しく、それでいて心底美しい最果てという場所と、
切なく、むなしく、それでいてまっすぐな恋
を描いていて、
私はこれに魅入られてならないのです。
最後に、「最果て」のもうひとつの形として先程も紹介させていただいた本人による小説版『サイハテ』と、本人によるセルフリミックス版『サイハテ(ver.LOG)』をご紹介させていただき、終わりにしたいと思います。
『サイハテ(ver.LOG)』
本当にここまでお読みいただきありがとうございました。『サイハテ』はもちろん、このnoteがあなたの人生を少しでも豊かにできることを願っています。
それでは!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?