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桑田さんの「画面越しー!」と、有料によるフェアな参加感

サザンオールスターズ、デビュー42周年のライブが、デビュー日6月25日に、無観客&ネット配信で行われた(@横アリ)。

ボクは当日は友人の送別会があり、リアルタイムでは見られなかった。

リアルタイムで見られていたらそれはもう盛り上がっただろうなとちょっと残念に思いながら(とはいえ友人のほうが大切なので後悔はないんだけど)、2日遅れて昨晩、アーカイブ配信で観た。

ライブは当然楽しかった。
去年、全国ツアーに参戦(西武ドーム)したときより、断然わかりやすいセットリストだった。

家で家族と、部屋で独りで、を意識した、みんなが楽しめるセトリだった。
コロナで苦しむ人やストレス溜まった人、そして医療関係者に笑顔を届ける、ということも意識した、みんなが歌えるセトリだった。

こういうとこ、サザンはさすがだ。
考え尽くされたサービス精神。
安心して楽しめる。

↓これは当日のオフィシャルセトリ(spotify)
こういうのをすぐ発表しちゃうのも素晴らしい。



見終わった感想はいろいろあるんだけど、「あ、なにかの境目かも」と感じたことがふたつある。

まず、桑田さんが何度か叫んだ「画面越しー!」という言葉。

スタンドー!  立ち見の方々ー! アリーナー! センター! そして画面越しー!



いや、まぁ誰でも容易に想像つくことだけど、ライブって今後こうなるよね

会場での一体感ももちろん大事なんだけど、会場に行ける人ばかりではない。

そういう「みんなわかってはいたことだけど、なんとなくまぁそういうもんだと思考停止していたこと」が、ようやく顕在化した、というか。

ライブ会場から遠い場所に住む人、子育て中の人、お年寄りの人、病気の人・ケガの人、外出自粛の人、人に会いたくない人、ライブのノリが不得意な人、静かにひとりでライブを楽しみたい人、終演後の電車ラッシュを憎んでいる人(オレw)・・・などなどなど。

そういういろんな事情の人たちがどこからでも参加できるテクノロジーがもうとっくに出来上がっているのに、なぜかあんまり普及しなかったリアルタイム配信。

10年後には「え? リアルタイム配信がない時代ってあったんすか?」って10代の若者に驚かれる気がする。

その端緒が、この6/25のライブだったんじゃないかな。
特に、サザンみたいな大物が大規模にやった、という意味において(BTSとかは先駆けて世界配信したらしいけど)。


もちろんいままでも「ライブの映像」(リアルタイム配信ではなく、コンサートの映像という意味)は配信されていた。

ネットでもテレビ番組でも配信されていた。
パッケージであるDVDなんかも、ある意味配信だ。

でも、それは「すでに行われたライブを後追いして映像で体験するもの」であり、言うなれば「鑑賞」だった。

追体験感やステージそのものの感動はあるけど、「当事者的感動」はあまりないのが、いままでの「ライブの映像」だった。

いや、感動的なライブ配信はいままでもあったよ。
たとえば数年前のローリング・ストーンズの「ハイドパークYouTube配信」なんか凄かった。

この優れた映像は、その撮り方を含めて「その場にいる感」を追体験できる素晴らしいものだったんだけど、それはリアルタイムではなかったし、編集されていた。ミック・ジャガーも、今回の桑田さんみたいに画面越しの我々に話しかけることはなかった。

ストーンズは映像の「被写体」としてそこにいて、それが映像ディレクターの目を通してボクたちに届けられた感じ。「与えられたもの」だった。

今回のサザンは「被写体」ではなかった。
ボクたちも参加している感じがあった。

その象徴が「画面越しー!」という桑田さんの叫びだ。

やっぱリアルタイムってキラーコンテンツだよなぁ。。。


じゃ、ライブの生中継はどうなのか。
たとえばNHK紅白歌合戦のリアルタイムな生中継と何が違うのか。

この国民的番組は、会場で一体感を醸しつつ、全国に(いや全世界に)生中継し、ちゃんと画面越しに語りかけてくる。なんなら新しい技術で参加感をより煽ってくる。リモコンの青いボタン押せだのなんだの、いろいろ参加を求めてくる。

そういう生中継との違い。
ここが「あ、なにかの境目かも」と感じたふたつめ。

「有料だったこと」が大きいと感じた。

そう、有料だったことがなによりの参加感を自分に与えてくれた。

無料ライブ配信や、無料のNHK紅白歌合戦にはない「参加感」だったと思う
(もちろんNHKはタダではなく受信料を払ってる。でも、紅白単体に参加するための参加料ではない)。

そうかー、お金払うって視聴者の気持ち的にもとっても大事なんだなぁ。

なんだろう、「ライブを作り上げているスタッフの人件費や美術費、横浜アリーナの賃料、そしてサザンやミュージシャンたちのギャラなんかを、正当に払っている」という、なんというか、フェア・トレード感みたいなものがあった。

ファンはアーティストにお金を使いたいし、なんなら貢ぎたい。
そういう気持ちは実感的にわかっていたつもりだし、CDやグッズを買うことでそれが叶っていたわけだけど、それらは「受け身のコンテンツ」で、ファンはそれらを与えられる存在だった。

でも、ライブ配信においては、与えられる存在から、対等というか、いっしょにライブを作り上げるために「フェア」にお金を払っている感じがあった。

この「有料によるフェアな参加感」が、ボクにはなんか新しかったな。

「あー、ボクたちは与える側でもあるんだ」みたいな実感が、いままで何百回と参加してきたライブ経験の中で、ほぼ初めて「あった」かも。

しかも、高すぎず安すぎず、絶妙な価格感だったのもポイントだ(3600円。ちなみに去年の全国ツアーは9000円)。


リアルタイム配信と、お金を払うことによるフェアな参加感

これって、これからのライブにとって「必」になるんじゃないかと思う。

もちろん、サザンという超大物だからこそのもの、でもあるとは思う。

ただ、たとえば有名じゃないバンドでも、リアルタイム配信の魅力や参加感をもっと上げることで、観客の満足度は爆上がりすると思うし、しっかりお客さんを集めてペイできるとも思う。

たとえば、

● 家からの拍手や歓声をライブに反映させる。

つまり「リモート応援システム」の開発だ。
チャット? うん楽しいけど、それはやはり原始的だろう。
音声として舞台上のアーティストに届くべきで、これはもう技術的にはYAMAHAがつくってJリーグなんかで採用されている。この技術がもっと洗練されると、家からの参加の一体感が変わってくるだろう。


● 応援している人の映像も共有できるようにする。

当然これも上の技術でもう射程距離に入っていることだろうと思う。
「他の客たちがどうノッているか」はライブを観るときの重要な要素だ。それがリアルタイムで見えたい。ZOOMでいろんな人の表情が見えると楽しいわけだけど、そんな感じが必要だ。
なんなら、距離が離れた友人たちと小さなグループで観られる、とか、普通にできるようになってほしい。「今晩サザンのライブ配信、いっしょに観ようぜ」とか、遠く離れた友人を誘いたい。


● グッズを事前に買えるようにする。

サッカー日本代表の応援とかでもそうだけど、ユニ着ると気持ちが上がる。家でライブ配信を観るなら、やはりTシャツとか着て応援したい。Tシャツに限らずそういうグッズをライブ後ではなく、ライブの3日前くらいに家に着くスケジュールで用意してほしい。
そしたら、上の「映像共有」で、全国のホーム・ビューイングしてる人たちとTシャツ姿を共有出来るし、半日前くらいから盛り上がれるじゃん?


● もっと事前から応援しやすい文脈を作る。

今回、ライブ配信の最後にスタッフたちがライブの準備をするメイキング映像が流れた。わかる。とてもいい。
でも、ラストじゃなくて、先にある程度共有されていると、応援する気持ちがより深くなる。そしてより「お金を払いたい」気持ちになる。投げ銭とかもどんどんしたくなる。
「苦労するスタッフたち」や「会場設営の努力」、「アーティストが企画する姿」、「みんなでリハーサルする風景」とかを、事前に(前日とかに)流してくれると、ボクたちの一体感や参加感、そして共感や愛着が全然違ってくる。もっと背景をファンに見せて欲しい。
そして、そういうスタッフ個人個人が見えてくると、より共感は増すだろう(SNSの「中の人」が作り出す共感と同じ方法論)。


なんか、ライブって、リアルタイム配信や参加感の増大によって、年に1回行けるか行けないかの特別なイベントではなく、「アーティストへの共感や熱狂を日々育てるもの」に変わっていく気がするな。もっと身近で、もっと熱いものに。

そんなことを、つらつらと考えてた。

まぁまだまだ考えが浅いので引き続き考え続けるけど、きっと6/25のサザンのライブって、単なる無観客ライブとは違うなにかしらのターニングポイントとして語られるものになるのだろうとは思う。



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さとなお(佐藤尚之)
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。