聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇26) 〜「エサウとの和解」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
さて、ヤコブ物語の最終話だ。
(前回のエピソードでイスラエルと改名したけど、ここではヤコブのままで書くことにする)
ヤコブの次は、ヨセフの物語。
覚えてますか? 「アー、イヤヨー」。
つまり、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、の順番。
これで創世記が終わる。創世記が終わると、スーパースター、モーセの登場である。
ということで、アブちゃんからここまでの話を20秒で。
アブラハムはいろいろあって約束の地カナンに住む。
息子のイサクと妻リベカの間にエサウとヤコブという双子が生まれるが、ふたりは似ても似つかない。兄エサウはアウトドア派の単細胞脳筋系。弟ヤコブはインドア派の小ずるい草食系。
で、ヤコブはエサウを何度も欺して、とうとう父イサクの祝福を欺しとってしまう。エサウは激怒し、ヤコブは母の故郷の叔父を頼ってカナンから逃げ出す。
ヤコブはそこで苦労する。結婚詐欺にもあい、長くタダ働きする。
その挙げ句、叔父家族と決裂し、一族郎党を連れてカナンに帰る決心をする(この時点でヨセフを含めて11人の子どもに恵まれている)。
ただ、ヤコブはカナンで待ち受ける兄エサウの怒りが怖い。
「私は昔ひどい仕打ちをした。きっと兄はいまも怒っているに違いない。どうしよう、私だけでなく妻も子どもも殺されてしまうかも・・・」
怖い怖い。ちびるくらい怖い。
怖がって神に祈っているヤコブの姿を、ギュスターヴ・ドレが描いている。
で、エサウにご機嫌伺いの使者を出したら、エサウも400人の部下を連れてヤコブを迎えるべくこっちへ出発した、というではないか。
怖い。怖い怖い。
ヤコブはエサウへの大量の贈り物を先発隊に渡して送ったりする。
で、その途上で「天使と格闘」して勝って、イスラエルと改名する。
この格闘エピソード、前回も書いたが、「神はヤコブの臆病かつビビリな性格を憂い、もっと自信を持たせてイスラエル民族の立派な祖にするために、あえて無理矢理格闘して負けてあげた」とボクは思う。
そうして、ヤコブは勇気を得て、エサウの元に向かうのである。
とはいえ、まだむっちゃビビっている。
ついに遠くに部下を400人連れたエサウが見えたら、ヤコブはそこからなんと7度も地にひれ伏しながら、じわりじわりと牛歩で前に進むのである。
・・・いや、なんというか、卑屈に近いw
ただね。
そんなヤコブを、最初は「またそうやってなんとかこの場をおさめようとする小ずるいヤツ」くらいにボクは思っていたのだが、彼は本当に悔い、猛省しているのかも、と、だんだん思うようになった。
若いとき、母リベカの策略にのって兄を欺してしまったけど、その後いろいろ苦労した。ラバン叔父たちとの人間関係にも苦しんだ。
そういう中で、住んでいた土地を出ることを決断するわけだが、別にエサウがいるカナンに戻らなくてもいいわけだ。他にも行く場所はある。
でも、わざわざカナンを選んで帰る。
ということは「兄エサウにしっかり逃げずに向き合おう。殺されるかもしれないけどしっかり謝って許しを請おう」と心から思ったのではないだろうか。
そういう意味で、7度も地にひれ伏すのは、「心からの悔い」をしっかり伝えるためだったのではないだろうか。
ま、若いときはいろいろする。
「あ!」と叫んでふとんをかぶってジタバタしたくなるような恥ずかしいこともたくさんする。
ヤコブを単に「最後まで(謝ったふりをしてコトを済ませようとする)狡猾なヤツ」と捉えることもできるけど、ここは「恥ずかしい過去にちゃんと向き合おうとする男」として捉えてあげたい。
で、兄エサウがまた颯爽として格好いいのである。
遠くから走ってきて、
「ヤコブ〜! よく帰ってきたなぁ。会いたかったぞ!」
と、ヤコブに抱きつくのである。
ヤコブ「兄さん、ボク、ボク・・・ごめんなさい!」
エサウ「ん? なんのことだ? それより元気だったか!」
いや〜、エサウ、男前!
ここで今日の1枚。
巨匠ルーベンスがこの場面をいきいきと描いている。
この絵を見て「あ〜、エサウはこういう風な大人になったのか」と、なんか合点がいった。
エサウは完全に軍人というか、兵を率いている(当時に軍なんかないので、一族の部隊長みたいな感じだったのかも)。ヤコブもこんな部隊が遠くから見えたらそりゃ怖いわ。
でも、男達の長になっているエサウは優しい。さっぱりしてて過去をうじうじ言わない。そんな感じに描かれている。いいな。
ヤコブの背中にいるのはレアだろうか。
ラケルはたぶん手前。左手に抱いているのがヨセフだろう。
この絵は構図がいいなぁ。そしてエサウとヤコブの表情もとてもいい。
ヤン・ファン・デン・ヘッケも、エサウを軍人に描いている。
ただ、ヤコブが駆け寄った風に見えるけど、たぶんヤコブは恐れ入って待っていて、そこにエサウが駆け寄るのだと思うな。
ただね、エサウの表情が見えにくいし、なんかどういう感じの大人になったのか、よくわからない。ルーベンスの絵のほうがずっといろいろ想像できる。
ちなみに一番左にいるのはヨセフだろう。
ラファエリーノ・ボッタラ。
これも軍人風エサウ。
一族と一族が相まみえる感がよく出ている。
左奥でラクダから急いで女性を下ろそうとしているのは、たぶんまだエサウたちを信頼してなくて、「そんなところで目立っていると犯されてしまうぞ」とか言って下ろしているのではないかな(想像)。
ちなみに、一番左端でカメラ目線の彼女、こういうのはたいてい「画家の子ども」とか「画家の親戚」とか「画家の友人の子ども」をモデルにしてたりするよねw いわゆる楽屋落ち。
フランチェスコ・アイエツ。
説明的な絵だけど、ヤコブが一族郎党を連れていること、その現在11人(あとで12人になる)の子どもが全部イスラエル12部族の祖になること。それらがよくわかる絵。エサウは軍人ではない風に描かれている。でもこれじゃあ怖くはないなぁ。
ギュスターヴ・ドレさん。
相変わらず「場面の説明」としてはわかりやすい。
ただ、エサウとヤコブの描き分けがいまひとつ。ドレさんらしくない。
レンブラントはデッサンを。
ヤコブがしゃがみこんでいる感じがなんかとてもいい。ちゃんと絵に仕上げて欲しかったな。
最後はお馴染み、ジャームズ・ティソさん。
この人の場合、素晴らしい切り口のときと普通なときの差が激しいのだけど、なんだろうな、このティソの絵を見ると、「あ、エサウって、颯爽とした男前というより、単なる単細胞のアホで、本当に『欺された過去』を忘れちゃってたんじゃないか」って思う。
だって、母リベカがヤコブを逃がすときのあの言葉。
「どうせエサウは(欺されたことなんか)すぐ忘れちゃうわ」
あれは、あっさりした性格を言ったというより、そのくらいアホよ、と言っている。
つまり、エサウはアホ。
だから、ヤコブはそんなエサウを(一族のことを考えて)追い落とす。
そういう「ヤコブ=ヒーロー説」を、ティソのこの絵を見ると思い出すな。
だってさ、なんかこの絵のエサウ、アホっぽすぎるw
ティソさんは一貫してエサウをこんな風に描いている。
つまり、ティソさんのエサウの捉え方はそうだということ。
うん、これはこれでとてもよくわかる。
ちなみにティソさん、遠くにエサウを見つけたヤコブも描いている。
ここはヤコブに土下座させてほしかったw
さて、再会を喜び合ったあと、エサウはこう言う。
エサウ「弟よ。なんか途中でいろいろ贈り物をもらったが、それには及ばんぞ。もうワシは充分にもっておる」
ヤコブ「兄さん、そんなこと言わずにどうぞ受け取ってください」
エサウ「うむ。そうか。わかった。ま、お互いそれぞれの道を行こうな。元気でな、ヤコブよ!」
サラバァ!
いやー、颯爽とした男前なのか、単細胞なアホなのかw
さて、ヤコブはその後、神の言葉によってベテルからエフラタ(現ベツレヘム)へ向かう。
その途上、妻ラケルは産気づき男子を産むが、難産で命を落としてしまう。
その子をラケルはベン・オニ(私の苦しみの子)と名づけたが、ヤコブはベニヤミンと呼んだ。彼は次の主役ヨセフの弟である。
ラケルはエフラタに向かう道の傍らに葬られた。
なるほど、アブラハムの墓にラケルが葬られていないなぁ、と不思議に思っていたんだけど、旅の途中で亡くなったのね・・・(この回の一番最後の方にお墓については書いている)。
ということで、今回はオシマイ。
ヤコブとエサウの和解を「旧約聖書最大の感動場面」と書いている人もいるけど、そんなに絵は多くなかった。
もっともっと描いている人多いかと思ったよ。
つまり画家たちもそんなにピンと来てないのではないかな。
ヤコブの猛省と逡巡、そしてエサウのバックストーリーなどが見えてるともっと感動的に描けるんだろうけどなぁ。
はい、そういうことで、次回からはヤコブの息子、ヨセフの物語。
頑張り屋というか、ちょっと賢いのが鼻につくタイプの青年だ。
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このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。