Salmonsの歴史④ アフリカの手
Salmonsの歴史シリーズ第4回。
タンザニアにすっかり魅せられた前回に続き、日本に帰ってきてからの悶々とした日々のお話です。
前回はこちら
一度アフリカに行った者は、アフリカの手に掴まれる
ゼミで読んだ伊集院静さんの『アフリカの王』(講談社文庫)という小説の冒頭の一節です。
小説の筋は忘れてしまっても、頭から離れなかったこの一節は、アフリカ行きを決めた理由のひとつだったように思います。
アフリカに行くためにアルバイトに明け暮れていたときにも、合言葉のように口にしていました。
「アフリカの手に掴まれに行こう!」
そしてついに実際に訪れたはじめてのアフリカ。
すごく楽しかったけど、「アフリカの手」なんて、あったかな?
少し他より遠い国だっていうだけで、そんなに変わるはずないか……。
帰りの飛行機で、中東系航空会社特有の青いライトを眺めながら、ぼんやり考えたのを覚えています。
でも帰国して間もなく、自分たちがすっかり「掴まれた」ことに気付くことになるのです。
来る日も来る日も、大学の近くのモスバーガーでアフリカの話をしていました。飽きもせず延々と。
感動したこと。面白かったこと。これからどうやってアフリカに関わっていけるかということ。
そこには他の旅では感じたことがなかった、なかなか冷めない熱があったように思います。
そして気付いたことがもうひとつありました。
その「掴まれた」感覚が、うまく人に伝わらないということです。
「危なかったでしょ?」
「キリンいた?」
「貧しい人たちのために、どんなことをしてきたの?」
どんなにカンガや村の生活の魅力を伝えようとしても、かえってくるのはだいたいこのリアクション。
治安の話も、動物の話も、貧しい人の話も、1ミリもしていないのに、「アフリカ」というワードをだしただけで、どうしてもそういう話になってしまう。
みんなのなかに根をはるアフリカのイメージは思っていたより強くて。
意外な一面やそこにある暮らしなんて興味がないんだということが、ひしひしと伝わってきました。
こんなに感動しているのに、ちっともうまく伝えられないのが、とてもとても歯がゆくて悔しかった。
上手に伝える方法がわからない自分たちを、不甲斐なくも感じていました。
でもこの悔しさがあったからこそ、私たちはより一層「アフリカの手」にがっしりと掴まれたのだと思います。
そして大学を卒業してばらばらに働くようになってからも、どうしてもアフリカのことが頭から離れなくて、長らくSalmonsを続けることになったのです。