敬語や言葉遣いなど実はどうでもいい【営業職編】
『営業職は常にきちんとした敬語と言葉遣いで丁寧にお客様に接しなければならない』そう思っている人は多い。今回はその事について、私の持論を述べたいと思う。
この問題を語るきっかけ
以前、不振に苦しむ営業職Iさんについて、その上司Y課長との間で交わされた会話である。
Y課長「Iは悪い奴ではないんですが、言葉遣いがどうも営業マンらしくないんですよ。『マジすか』とか平気で言うし・・・たまにお客さんにまで『あざっす』って言っています。敬語もおかしい。そういうところを直さないと今みたいな数字から脱却できないぞって言ったんですけど。何かいい方法はないモンですかね。敬語とか言葉遣いを改めさせるいい方法は・・・」
川端「数字が悪い原因が言葉遣いや敬語の拙さにあるというのは間違いないんですか?」
Y課長「えっ?どういうことですか?まあ確かにお客さんから苦情が来た訳ではないんですが・・・。でもやっぱり営業の基本だと思いますよ。営業は会話のプロですし、敬語や言葉遣いくらいは最低限クリアしてないといけないんじゃないですか?基本が出来ないと結果が出ないのは当然ですよ。」
川端「丁寧な言葉遣いの方が無難であることは私も同意見です。しかし、お客様の中にはフランクに話せる営業職の方が好きだという人も多いと思いますよ。お客様によって使い分けていて、それがそれぞれのお客様との人間関係の構築につながっているのであれば何の問題もありません。むしろ、それがベストだと思います。そのお客様がどう思っているか、どんな営業職に好感を持ちやすいのかという視点を度外視して、丁寧でないというだけで否定するのは本末転倒ではありませんか?」
ここまで読んだ皆さんはどう思われたであろうか?
これは賛否が分かれるところだと思う。
私の話
私の話をしよう。
社会人になりたての私に営業の基本を教えてくれたのは配属先の支店長A次長だった。A次長は「営業は入り込みが9割」が持論であり、私達に繰り返し強調していた。具体的に言えば、【『ごめんください』とお客様の事務所に入ってから、きちんとした敬語・言葉遣いで丁寧にお客様に話し、最後は出口で深々と頭を下げて退出するまでの基本動作こそが契約のカギを握る】という事である。営業テクニックや商談スキルが勝負を決する訳ではないとも教わった。その後、様々な営業職、上司、先輩と出会ったが、これほど基本にシビアな人はついに現れなかった。それくらい基本に厳しい人だった。
正直当時は「うるさいオッサンだ」と思っていたし、その教えに半信半疑だったが、振り返ってみると、半信半疑ながらもその教えを必死に守ろうとしたのは正しかった。また、あそこまで基本にシビアな上司などほとんどいないということは基本を徹底的に教わる営業職もまた少ないとも言える。
そう考えると、最初にA次長に教わった私は好運だったと思う。営業職デビューして真っ先にああいう指導を受けたからこそ、個性豊かな私の営業スタイルが花開いたとその後確信したからである。だからこそ、今もなお感謝し、私に営業という仕事を教えてくれた上司として真っ先に紹介しているのである。
大事なことは「敬語や言葉遣い」でなく、
敬意をもって接する事
そして、今もその根本的なこと、『お客様に敬意を持って接すること』を最も大事にしている。その事は今までもこれからも決して変わることは無いだろう。
しかし、理想はこうした基本動作をきちんとマスターし、いつでもどこでも出来るほどに身に付けた上で、敬意を損なうことなく相手によって意図的に基本を崩せることではないだろうか。
そして、敬意を持ってお客様に接することと、相手によって意図的に崩す(お客様とフランクに話す)ことは何も矛盾しないのではないだろうか?
私はそう思う。
ただし、一般的にはY課長のように「営業職は敬語をはじめとしたきちんとした言葉遣いと丁寧な態度が基本である」と考え、またそう部下に指導している管理職の方が一般的だろうと思う。
その意見自体は至極常識的であり、間違っているとは到底言えない。しかし、営業という仕事をもっと面白く夢のある仕事と信じ、高めていきたい私としては敢えてここで真っ向から反論したい。
例えば、夜店のおじさん
例えば、お祭りなどで活躍する夜店のおじさんやお姉さんは「焼きそば2つでございますか?ありがとうございます。800円です。確かに頂戴いたしました。またのご来店をお待ちしております」などと言っているのだろうか?
『マジっすか』と言っているお客様に「本当の事でございます」と返す営業職と「マジっすよ!」と返す営業職、どちらが好かれるだろうか?
こうした例は何も極端な例ではない。
営業を含めて、あらゆる接客業に通底する問題である。
いや、むしろ「無難に常識的な行動を取り続ければ勝利に近付くのか」という問いであり、こうした事はあらゆる業界のあらゆる勝負の世界に通底する永遠の課題なのではないだろうか?
今回の話に照らせば、相手やその場の雰囲気に合った接客や言葉遣いがあり、どんな局面でも無難に基本通りやるのが必ずしも正解ではないと思う。
少なくとも、お客様がどんな方で普段どんな言葉遣いをしているのかという確認もせずに、営業職の態度や言葉遣いを頭ごなしに否定するのは乱暴であり、見当違いだと思う。
夜店のおじさんは実際には「焼きそば2つね!800万円。ありがとー。また来てねー」こんなノリで接客をしているはずである。こうした言葉遣いをしているのは、勿論彼ら彼女らが丁寧な言葉遣いができないからではない。長年このような仕事をしていて、こうした言葉遣いの方が祭りや夜店の雰囲気に合っていて、お客さんが楽しめることを経験で知り尽くしているからである。
敬語の目的と考え方
敬語の使い方もそうだ。間違っていても全く構わない。敬語を使う目的はあくまで「お客様に対して敬意を持って接していることを伝える事」であり、それ以上でもそれ以下でもない。故に間違っていても大した問題ではない。
もし、部下がお客様に対して敬意を持って接していないならば管理職は指摘してもいい。
いや、厳しく叱るべきである。
でも、それはお客様に対して敬意を持って接していない事を指摘するべきであり、言葉遣いという細部に関しては各自に任せた方がいいというのが私の考え方である。
むしろ、正しい言葉遣いや敬語にこだわることなく、営業職が何となく「このお客様にはこんな感じで接する方がいいんじゃないかな?」と感じたのならそれが正解に近いはずである。
営業職自身がこのように必死に正解を追い求めているにも関わらず、細かな点を突いて、営業職の成長と活動のエンジンであるモチベーションに水を掛ける方が余程マイナスではないだろうか?
根本的な話
根本的な話をする。
営業職は所詮数字が全てである。
だから、数字という結果でのみ評価してあげればいい。それが一番公平であり、部下が最も納得する方法である。
確かに営業職には営業職らしい話し方、立ち居振る舞いはある。だが、それはあくまで最も無難であり、誰からも嫌われないやり方をまとめたモノに過ぎない。
だから、それが最大の結果を出すとは限らない。
常に無難がベストとは限らないということである。
むしろ無難な決断を積み重ねていくうちに危険に近付くこともあるのが勝負の世界の現実である。
それは勝負の世界には必ず複数のライバルがあり、彼ら彼女らが『常にもっといい方法はないものか』とあなたを出し抜こうとしているからである。
結果として、無難であることにこだわり続けることはより良い方法の探求の足枷になり、また出し抜かれる機会をライバルに無条件に与えてしまうという事は憶えておいた方がいいだろう。
一方で、指導する側に関しては、【どういうやり方が無難か】ということは部下に教えるべきである。しかし、それを教え、それをいつでも使いこなせるほどにマスターしたのなら、あとは自由に解き放った方が営業職は個性と実力を発揮する。
当然、プロセスに自由を与えた方が結果に責任を持てるのが人間だ。
自らの意志で結果に責任を持とうとすれば、自然と結果にこだわることになる。
本来こうした環境を整えることが、営業職の成長にとってもベストのやり方であり、結果を押し出す何よりの原動力になる。
敬語や言葉遣いなどは、それらに比べたら実に些細なことである。
わざわざ指摘するほどの事ではない。
まして、数字が出ない時に根拠なく是正を促すなど逆効果である。
小さなことを気にしては、大きな営業職は育たない。
そう思って、プロセスには大らかに、結果にはシビアに。
それが営業職への理想の接し方であり、
私が「敬語や言葉遣いなどどうでもいい」と断言する理由である。