映画と、夢と現実と
久しぶりに映画を見た。パプリカ。
ずっと気になっていて見たかった映画だ。
思えば90分間動画を見続けることが久々だった。
Youtubeはショートや3分程度が心地よい。
10分を超えるものは早く内容や要点を知りたくて飛ばしながら倍速再生で見る。
手持ち無沙汰になるとツイッターを見る。
細切れのインスタントな情報が自由に流れていく。
「情報に溢れている」という表現はよく見るし、なんとなく分かっていた気がしていた。でも映画という一貫した物語を見終えて気がついた。いつも、誰かの物語の一部分や一側面を見ることばかりだったのだと。
ショートやツイートが現れるたびにそこには新しい物語があり、その一部分を見ている。それが次々と切り替わる。多くを知っているようで、深くは知らない。前後のつながりも背景も知らない。そのまま過ぎ去ってまた次の情報が目に入る。
自分が90分の動画を見ることができて少しホッとした。
これを冗長だ、もどかしい、倍速再生で見たいと自分が感じるようになったら悲しい。それでも、今の生活を続けるといつかそうなるんじゃないかと少し怖い。
プロによって作られた構成や筋道立てられたストーリーに見事に引き込まれ、物語に没頭している時間は他のことは考えない。目の前の話にだけ意識が向けられている。それが心地よかった。
読書、特に物語が好きだった感覚を思い出した。
私は読んでいる間大分没入してしまうタイプで、その中の世界・日常を生きている感覚になる。家なら途中で食事を挟むこともあるけど、意識を本の中に置いてきていて、早くあの中に戻らなきゃと思う。
パプリカの中で夢が現実を侵食してくるシーンはファンタジーとして見ていた。でも実際に幻覚や幻聴という現象もあるし、そこまでいかなくとも読書中の没入感は通じるところがあるかもしれない。
はてしない物語を読みたい。詳細は忘れてしまったけれど、物語にこちら側を覗き込まれているようなぞわっとした感覚があった気がする。
頭がとても休まった感じがある。
この時間、結構必要だ。
映画、読書、編み物。現実を頭の脇に一度よけて、ひとつのことに集中・没頭できる時間を折に触れて持つようにしよう。
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