34. すべてのことはレッスン / All Things Are Lessons
⭐️バーバラ⭐️
ヴァンに向かって歩いているとき、私は、ヴァンの車内から、ふだん見かけない、キラキラと輝く光が放たれていることに気がついた。
「おかしいわね」と思ったのを覚えている。
それは1981年の1月のことで、私たちは、南カリフォルニアでの奇跡講座の夕べの集いをひとつ、終わらせたばかりだった。
私たちは、楽器やら備品をすべて、ヴァンへと運び込もうとしており、ロバートがドアのロックを外そうと、運転席側へ回り込んだ。
私は彼が、「何だこれは?」と言うのを聞いた。突如として、私たちふたりの目に、ステレオがあったはずの場所に、空っぽの棚が残るばかりとなっているのが見えた。
ヴァンの中を覗き込んだ私たちは、「キラキラと輝く光」が、粉々に砕けたセイフティ・ガラスの欠片から発せられているのを見た。
さらに調べてみると、ドア・ロックがだめになっていること、サイド・ウィンドウをこじ開けたために曲がってしまったフレーム、そして割れたガラスの破片などが見つかった。
「私たちは贈り物をもらったのだわ」というのが、私の心に浮かんだ言葉だった。
「どうやら、聖なる兄弟のひとり(または数人)が、私たちに愛のレッスンを与えてくれたようね。これは、愛への呼びかけ以外の何ものでもないわ」
(私はこの手のできごとを聖霊の「抜き打ちテスト」と呼んでいる。)
私たちは手を取り合い、関係者すべてに愛と無罪性を送り、 私たちには彼らがほんとうは誰なのかーーちょっと変わった趣向の神聖な出会いにおいて出会った兄弟たちだということがーーわかっている、と語りかけた。
また私たちは聖霊に、この件に関わるすべての人びとに、たくさんの良きことを願っています、と伝えた。
警察に行くよう導かれているとは、まったく感じなかった。
私たちはふたりとも、刑務所などよりよほど「矯正的」な何かが起ころうとしている、と感じていた……きっと、彼らの人生における、大きなターニングポイントにさえなるかもしれないようなことが。
今回の一件から私たちにもたらされた良いことのひとつは、奇跡講座の実用性に対する感謝の念が大きくなったことだ。
自分が今回の件を、いとも簡単に、そして自然に、愛のレッスンとして見ることを選んでいたと気づくのは、なんて嬉しいことだろう。ほかの見方、例えば、泥棒とか略奪、不運な出来事として見るのではなくて。
奇跡講座はほんとうに、常に愛を、真に助けとなるすべを、見出そうとし続けることを、私に教えてくれたのだ。
結局のところ、祈りとは、「私はステレオを所有するためにここに居る」ではなく、「私は真に助けとなるためだけにここに居る」なのだから。
さらなる「聖霊からのボーナス」として、翌週私たちに寄せられた愛の献金は、あたらしいステレオ(もちろん、いままでのよりも良い機材だ)を買い替え、ヴァンのドア・ロックと窓を修理するのに充分な、気前の良いものだった。
この物語を聞いたり、または読んだりしている皆が、ステレオを持ち去ることで愛への呼びかけを発した彼(または、彼ら)に、愛を送ってくれることを考えて、私は喜んでいる。
ひょっとすると彼らは、彼らの心の変化を助けるための愛のエールを、いまこの瞬間に必要としているかもしれない。
あなたが誰であるとしても……私たち、あなたを愛してるわ。
「すべてのものごとは、神が私に学ばせようとするレッスンである。」奇跡講座: W-L-193
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