25. 私たちの旅が始まる / Our Travels Begin
⭐️バーバラ⭐️
奇跡講座は、自学自習のためのツールである。
私たちの目的は、奇跡講座を教えようとすることではなく、神の教師となることだ。
私たちは、人びとに奇跡講座について知ってほしいと思っているし、奇跡講座を実践することにより私たちがどのような体験をしたかをシェアし、ほかの人びとが奇跡講座を実践するためのインスピレーションになりたいと思っている。
「セミナー」という言葉は、その語源を「苗床」に持つことから、私たちの意図を完璧に言い表している。
1979年6月、私たちの最初の「公式な」奇跡講座セミナーが、ヒューストンのユニティ教会で実施された。
奇跡講座はまだほとんど知られていなかったので、100人を優に超える人びとがセミナーに参加したのには驚いた。
2日間の体験は、喜びに溢れる時間となった。
私たち皆が、2日めの閉会のときがあまりにも早く訪れたと感じていた。
私たちが最後の祈りを唱え、感謝の意を述べると、女性客のひとりが声を上げた。「終わってほしくないわ!」
実際に、やっとのことで会場がすっかり空になるまで、それから1時間近くもかかった。
続く数日のあいだに、たくさんの人たちが、あのセミナーが議論の的になっているよ、と伝えてきた。
翌週には、教会の事務局員から電話があった。
彼女が、ナッシュビルやテネシーのユニティ教会からの訪問者に私たちの奇跡講座セミナーの話をしたところ、彼らがぜひ私たちに会ってみたいと言っているという。
会いに伺ってもいいだろうか、というのだ。
私たちは彼らをランチに招き、素晴らしい時間をともに過ごした。
ナッシュビルに出向いて、彼らの教会で奇跡講座を紹介してくれないか、と彼らは言った。
私たちは、自分たちが旅行可能な日程を伝え、もし彼らの教会の牧師が私たちに来てほしければ、手紙を書いてもらうようにしてはどうか、と提案した。
そして全員一緒に、このことについて神の意志に従いたい、と祈ったのだった。
お客が帰っていった後、私たちは、そんなことがほんとに実現するかしら、と思ったものだ。
それから数日後、あたらしい友人で、最近私たちのセミナーで音楽を披露してくれたオマーンとシャンティと、ランチをともにすることになった。
オマーンとシャンティはふたりとも、音楽活動とは別に、フルタイムの仕事を持っていた。
昼ごはんを食べている最中、私は自分が、彼らふたりは仕事を辞めて、音楽を通して神と一なる神の子に仕えるために、人生を捧げることになっている、という考えを口にしているのを聞いた。
私には、彼らの生活は保障されるだろうという確信があった!
私は内心、こうした言葉が自分の口から飛び出してきたことに驚いていた。
私ったら、何してるの?
彼らが文無しになったらどうするの?
それでも私は、このことが正しい選択だと信頼するようにと、彼らを励まし続けるよう促されているのを感じた。
その週のうちに、彼らは電話をくれ、仕事をすでに辞めたこと、そして、フルタイムで音楽に献身するつもりだということを話してくれた。
それから数日のうちに、ナッシュビルのユニティ教会にロバートと私を招待する、という手紙が届いた!
ほんとに実現するんだわ!
オマーンとシャンティにこの素晴らしい展開のことを報告していたとき、私は突然の衝動にかられて、一緒に行きましょうよ、と彼らを誘っていた。
ふたりは何度か瞬きして、お互いを見つめ、深呼吸を数回してから、行くことに同意した。
私たちの誰ひとりとして、何が起きているのか、また、どれほど速いスピードで物事が展開しているかについて、現実味を感じられてはいなかったと思う。
ナッシュビルへは車での移動となることから、私たちはその他の地のユニティ教会にも、ナッシュビルでのセミナー開催について知らせ、同じように私たちを招きたくはないかと尋ねてみた。
すると、アーリントン、テキサス、リトル・ロック、アーカンサスから招待したいとの返事があった。
収入について、私たちが受け取ったガイダンスは、料金を設定することなく、すべてを寄付制にて行なう、ということだった。
私たち4人は、受け取った金額がいくらであれ、それを均等に配分することに同意した。
その10日間の旅は、私たち全員にとって喜びの体験となり、人びとはとても気前良く、愛の込もった献金をしてくれた。
ロバートと私はそれ以来、ほとんど休みなく旅を続けている。
私たちの奇跡講座の集まりについて聞きおよび、招待してくれる人びとが増え始めた。
オマーンとシャンティとともに定期的に活動する機会にも、恵まれ続けた。
これまでに出会った何千ものあなたがたのおかげで、私たちは、すべての意味において計り知れないほどの豊かさを享受してきた。
あなたの愛とサポートが、私たちをしてほんとうに多くを、ほんとうにすばやく学ぶことを可能にしてくれたのだ。
奇跡講座において言われるように、「彼(生徒)に学ぶ準備ができたときに、教える機会が彼のために用意される」(訳注:M-2.1.7)のだ。
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