セレンディピティの島 2
大学生の頃になると、わが家にもパソコンがやってきた。
インターネットを通じて、わたしは、自分が持っていた「セレンディピティ」の絵本が、その昔、テレビ東京で放映されていた「ピュア島の仲間たち」というアニメを元にして作られていたことを知った。
(わたしの地元ではテレビ東京は映らないので、そのアニメの存在は知らなかった。)
とは言え、2000年前後にインターネットで得ることのできた情報は微々たるもので、それ以上の詳しいことはわからなかったし、あいかわらず、「セレンディップの三人の王子」についても、どんな物語なのかを知ることはできなかった。
それから時は流れ、2010年の4月、わたしはドイツ人の友人サンドラとともに、スリランカを訪れていた。
スリランカは、かつてセイロン島と呼ばれた、インド洋に浮かぶ島国だ。
それに先立つ数年間というもの、わたしの人生には何かふしぎなことが起こっていた。
詳しい説明はここでは省くが、まあ簡単に言うと、自分の内側に自分の知る由もないことを語り、指示を出してくる声があることに気づき、当初はそれに抵抗して葛藤を感じていたのだが、あるとき抵抗することに疲れて、言われたことを問答無用でただ実行しよう、と決めたのだった。
すると、わたしは A Course in Miracles(奇跡のコース、奇跡講座。以下「コース」)を読むよう導かれ、香咲弥須子さんの個人セッションを受けるよう導かれ、そのセッションで香咲さんから、「あなたはこのあと海外に住むことになっているから、どこの国でもいいから外国で、ヨガの講師の資格を取ってくるように」と伝えられた。
どこの国でもいいから、と香咲さんは言ったのだけれど、しばらくすると、それはインドだということが明らかに示された。
そんなわけでわたしは、仕事を辞めてインドに渡った。
その後どうなるかは、なりゆきに任せよう、と決意していた。
どうやら、わたしの人生には、わたしのあずかり知らぬ計画があるらしいから、と。
そうして、「なりゆき」は、わたしをスリランカへと導いたのだ。
スリランカは、この後、わたしにとってとても繋がりの深い土地となっていくのだが、この初めての滞在で、わたしはサンドラと一緒に、サウス・コースト(南部の沿岸部)を訪れた。
当時、高速道路が整備されていなかったので、コロンボから南へ伸びるゴール・ロードという幹線道路を、長距離路線バスでひたすら南へと向かう旅だった。
そのゴール・ロードは、スリランカ南西部に差し掛かると、海沿いを走るようになる。
突然、車窓の右側に開けた視界に、わたしは目を見張った。
晴れ渡った空の下、青く青く、宝石のように明るく輝く海が、そこには広がっていた。
たぶん、その景色をバスの車窓から見ることを、まったく予期していなかったからだろう。
それはちょっとした衝撃だった。
南国の美しい海の色なら、それまでも沖縄の離島で見たことがあったのに、なぜかそのときとはまったく次元の違う驚きが、わたしを打った。
透きとおる青い海を息を飲んで見つめたが、同時に、別のことにも驚いた。
わたしとサンドラを除いて、バスのなかの乗客の誰も、海を見てはいないのだ。
おしゃべりに興じているか、海など気にも留めず、まっすぐ前を見ている。
わたしがそのことを指摘すると、サンドラは、「彼らにとっては、ありきたりの日常なのよ」と言った。
信じられない思いだった。
たとえ毎日見ていたとて、この楽園のような光景が、まるでそこにないかのように振る舞えるとは。
バスは、ヤシの木立や商店街のなかを通ったり、かと思うとまた海に近づいて、ほとんど波打ち際、と言えそうなところを走ったりした。
車窓を流れていく海の色を見つめながら、わたしは思った。
「これは、セレンディピティの島だわ」と。
わたしはただ本当に、ただ「なりゆき」に任せただけで、「スリランカに行きたい」とはひと言も言わなかったのに、なぜか、ここに来ることになった。
事前にスリランカのことを調べもせず、ガイドブックも見ることなく、どんな国なのか、まるで知らずに来たのだった。
そこで、この海に出会うとは思わなかった。
子どもの頃、あんなに、「セレンディピティの島に行きたい」と夢みていたけれど、いつのまにか、自分でも知らないうちに、たどり着いていたとは。
つづく。