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9. 神聖な出会い / A Holy Encounter

「誰に出会うときも、それが神聖な
出会いであることを思い出しなさい。」
奇跡講座 T-8.III.4

⭐️バーバラ⭐️

ヒューストンで暮らし始めてすぐの頃、私はさまざな会合に参加していた。
その日曜の晩、私は、あるアパートメントの建物の一室で、あるグループの人びととともに過ごしていた。
その場のエネルギーは、とても愛に満ちた温かいもので、私たちは歌い始めた。
部屋のドアは開いたままになっており、私たちの笑い声や歌声は、外からよく聞きとれたと思う。

私は、とても大柄な男性が、開いたままの玄関に立ち、部屋のなかの私たちをじろじろと見ているのに気づいた。
そのときすでに会合はお開きになるところで、帰る準備をしながら、私たちの何人かは、ハグしたり、どんなに愛しているかをお互いに伝えあったりしていた。
闖入者は玄関に立ったまま見ていたが、そのうち中へと入ってきて、
「よお、どうやらここは、フリーハグやらなんやらに、うってつけの場所みてえだな」
などと、茶化すような発言をしだした。
明らかに酒を飲んでいるようだった。

この日の私の奇跡講座レッスンは、「私が与えるものはすべて、私自身に与えられる」(訳注:レッスン126)だった。

だから私は、祝福と愛と受容をこの男性に送っていたし、彼が私のところに来た際には、彼のハグも受け入れた。
私がアパートメントを出ると、彼が私の後を追ってきたことに気づいた。

沈黙のうちに、私は聖霊に語りかけ始めた。「私はどうすればいいの? 私、安全でしょうか?」

すると私は、「ええ、あなたは安全です。私がついています」という答えを聞いた。
そこで私は、歩き続けた。

男性は立ち止まり、訴えかけるような声で呼びかけてきた。

「待ってください」
突如として、彼の話し方は完全に別人のようだった。
いま私は彼の声に、独特のトーンを聞きとった。それは、助けを求める呼びかけだった。
私は即座に、この紛れもない懇願に耳を傾けた。呼びかけに答えようと私が振り返ると、彼は泣き出し、「とても寂しいんだ」と言った。
「あんたたちが皆あそこで、友だちに囲まれて、ハグしたり、楽しそうに一緒に過ごしてるのを見て、自分がどれだけ孤独か思い知ったんだよ」

私は立ち止まって、何度か深呼吸して、聖霊が私に何をすべきか教えてくれるのを待った。
すると男性が、「俺と来て、しばらく一緒にいてもらえませんか?」と言った。
態度には出さなかったが、私の瞬間的なリアクションは「いやよ!」だった。
もう遅い時間だったし、私は家に帰りたかった。
それに何より、恐かった。
けれども、そうした最初の思考の後で、私は聖霊に話しかけてこう言った。
「私がこれをやりたくないと思っていることを、あなたはご存じですよね。
でもあなたは、私が何にも増して、奇跡講座で学んでいることを愛したいと思っていることも、ご存じですね。
導いてください」

男性が言った。

「俺のアパートは、あなたがいた部屋のちょうど真下なんだ。音がぜんぶ筒抜けで聞こえてきたんで、見に行ったんです。
うちに来て、しばらく俺と一緒にいてもらえませんか?」
またしても、私のなかの何かが、「いやだーーー」という反応をしたが、私のスピリットはその存在すべてで「イエス」と言った。
私が外に表した答えは、
「わかったわ。でも、私はあなたとお友だちになりたいだけで、それ以上ではない、ってこと、わかってくださいね」
彼はそれに納得したようだった。
私が出した条件に、彼は驚きも抵抗も見せなかった。
私は少しほっとした。

実際のところ、私は「行きなさい。あなたは安全です。私がついています」という声を聞き続けていた。

深呼吸をたくさんして、聖霊に「この人と一緒にいる強さを与えてください」と呼びかけながら、私は彼とともに階段を降り、彼のアパートメントへと向かった。

アパートメントのドアを閉めた瞬間、彼は服を脱ぎ始めた!
私のそのときの衝動としては、叫ぶか、彼がドアの前に立ち塞がってはいたが、できることなら逃げ出したかった。
けれども私の頭のなかで、その日のレッスン「私が与えるものはすべて、私自身に与えられる」が響き続けていた。
私は思った。
「もし私が彼を拒絶すれば、私自身が拒絶を感じるだろう。私はそれがどんなに嫌な気分か知っている。
もし私が彼が恐ろしい人であるかのように振る舞えば、彼は恐ろしい人間がするように私を扱うだろう。私はそれも望まない」
明らかに、彼は酔っているか、クスリをやっていた。
そして、そんな彼がいま、私の目の前に立っていた……巨大な図体をして、こともなげに服を脱ぎ、私に手を伸ばして。

私は彼に語りかけ始めた。私には彼が孤独だってわかっている、彼と一緒に過ごすことで、その寂しさを和らげる手助けをしたいと思っている、と。
そして彼に、背中のマッサージを申し出た。
私が話しているあいだずっと、彼は私の服を脱がせていた。
またしても、「自我」の私は尻込みして、叫ぶか、または、敬意と理解と愛を以って彼に接するのとは、まるっきり違うことをしたがった。だって、本当に、私はレイプされかけているように見えたのだから。
私のなかのスピリットは彼に対して、まるで私が彼のことを、親切で愛情深い、素晴らしい兄弟として経験しているかのように話し続けていた。
そして実際のところ私には、彼は本当にそのような存在なのだとわかっていた。

私はイエスに話しかけた。

「私には、あなたが私とともにここにいらっしゃると、わかっています。
あなたが私に必要なものを与えてくださると、わかっています。
私はただ真に助けとなるためだけにここにいるのだと、わかっています」

自分のリアクションを観察してみるに、これは奇妙な体験だった。

私の一部は不安を感じていて、充足感や信頼、安心感とは正反対の気分で、ただただこの異様な事態を眺めていた。

いまや私は裸だった。彼も裸だった。
そして私は、寝室へと運び込まれようとしていた。
そうしているあいだも、私は、私だってときどき、悲しく寂しい気持ちになることがあるのよ、などと言って話を続けていた。
私は常に、彼に対して、自分のでき得るかぎりやさしく、忍耐強く接していた。
肉体の眼には、自分が大変なトラブルに巻き込まれているように見えていたけれど、それでも私は信頼を捧げた。

私は彼に、試しに私にマッサージさせてくれないか、肩をさすってあげるという形で彼と一緒にいさせてくれないか、と頼んでみた。

「あなたには何の損にもならないわ。
私は争ったり、逆らったりしようとしてるんじゃないの。あなたがすごく気に入ることがあるかもしれない、私がそれをしてあげられるかもしれない、と提案しているだけ」
と説明した。
彼は渋っていたが、少しのあいだ私を解放してくれたので、私は彼に話しかけ続け、心のなかで愛を送りながら、彼の頭を撫で、背中をマッサージし始めた。
すると私は、少しリラックスし始め、裸でこの人のベッドの上にいても大丈夫なのだ、と悟った。
これは、聖霊の癒しのワークなのだ。
そのことを理解すると、私はとてつもない感謝を感じ、自分の体験しているエネルギーと力に、ほんとうに感動し始めた。
実際にこのような状況のなかにいてさえも、自分が愛情深く、また比較的穏やかでいることができる、という気づきに、心は元気づけられた。

彼が寝返りを打ち、私にキスしたり触ったりし始めると、私の穏やかさは揺らいだ。

自分が何を言ったか、ほとんど覚えていない。
私はただただ、自分は正しい言葉を与えてもらえると信頼していた。
そして、私が彼にマッサージを続け、話しかけ続けるうちに、どうやら彼はふたたびリラックスしたようだった。
彼はしばらくのあいだ、私と一緒に、深い呼吸法をやってみることさえした。
このサイクルが、何時間も続いた。
彼は最初くつろいで、眠りに落ちそうにさえなるのだが、突然ふたたび強引な態度に戻るのだった。
奇跡講座のその日のレッスンが、私ができる限り愛情深く穏やかでいられるよう、助け続けてくれた。
私には、自分が彼から受け取りたいものは、愛だけだと、わかっていた。
そのほかの、どんな暴力も、嫌な気分も、欲しくはなかった。
私は彼に、彼が罪悪感を感じるようなことを、させたくはなかった。

午前2時頃、私は彼に、トイレを使いたいと伝えた。

驚いたことに、彼は私を離してくれた。
トイレにいるあいだ、私は祈った。
「お願いです、家に帰らせてほしい。
私は今夜、よくやったと思うし、ほんとうに家に帰りたいの」

トイレから出ると私は、ただ「さあ、もう家に帰るわね」と言ってみようという気になった。

自分でも驚くことに、私は彼に、車まで送ってくれないかと頼んだ。
私は、自分がそう言うのを聞いて仰天した。だって、私はこのアパートメントから、自分ひとりで立ち去りたかったのだから……すぐにでも。

私は言い添えた。

「もう帰る時間よ。
私たち、お互いに対してたくさんのことをしてあげたと思うの。
ご面倒だけど、服を着て、私を車まで送ってくださるとありがたいわ」

彼は、言うとおりにしてくれた!
服を着たのだ。
私は、この男性に、一緒に過ごせたことを私がどんなに感謝しているか、私がどれほど多くを学んだか、彼が私をどんなに親切に扱ってくれたかを伝えながら、神を称賛し、イエスに感謝していた。

私たちは、夜の戸外へと出た。

私は、途方もない安堵と感謝を感じていた。
私が車に乗り込もうとしたとき、彼が、「電話番号を教えてもらえないかな?」と言った。
私のなかのすべてが、恐怖に慄いた。
私は、「いやよ」と言いたかった。
私は、架空の名前と番号を渡そうかとさえ考えたが、心にふたたび、その日のレッスンが浮かんできた。
「私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。」愛と敬意を以って、彼をもてなしなさい。
「もちろんよ。書いてあげるわね」と私は言った。
私は、自分のほんとうの名前と番号を書き記した。
私は彼に、自分がヒーリングや対人関係について、また、思考が私たちの人生にどのような影響を及ぼすかについてのセミナーを開催していることを伝えた。
奇跡講座についてほんの少し説明し、セミナーに参加するようにと彼を誘った。
彼は礼を言うと、私のために車のドアを閉めてくれた。
私はエンジンをかけ、さよならを言い、もう一度、一緒に過ごせたことをどれほど感謝しているか、彼と過ごしたことで私がどれほど多くを学んだかを伝えた。
そして、ついに、走り去った。

当時私が住んでいた場所まで、およそ30分の道のりだったが、そのドライブのあいだ、私は喜びに満たされていた。

私は、真実を生きる機会に恵まれたのだ……完璧に導かれ、完璧に安全に、そして完全に愛されて。

私は自分が、この、助けを必要としていた兄弟の、癒しの役に立てたことを願っているし、感謝を込めて彼のことを思っている。

彼は何度か電話をくれたが、いつでも酔っているか、クスリをやっているようだった。
私はもう一度、セミナーに参加するようにと彼を誘ったが、彼が来ることはなかった。

明らかに、聖霊は私に「実在するものは脅かされない」(訳注:「テキスト」序文)ということを教えるために、彼を遣わしてくれたのだ。

あの夜の奇跡は私に、私は自分が与えるものを受け取る、ということを、完璧な明快さとともに知る機会を与えてくれた。
確信と信頼を捧げるなら、聖霊のガイダンスは、古いリアクションのパターンと幻想を克服してくれる。
真実は、例外なくすべての状況に適用される。
必ず効果を発揮するのだ。

「誰に出会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい。

あなたは、彼を見る通りに自分自身を見る。
彼を扱う通りに自分自身を扱う。
彼について考える通りに自分自身について考える。
このことを決して忘れてはならない。なぜなら、彼の中で、あなたは自分を見失うことにも、自分自身を見出すことにもなるからである。」 奇跡講座 T-8.III.4

追伸、あの夜、聖霊が撒いてくれた愛の種が、いまどのように育っているかなんて、誰に知ることができるだろう?

私たちにできることは、ただ喜んで与え、その結果がどうなるかなど心配せずにいることだ。
私は、私の友も癒されていると知っている。

そうでなければ何のために、私たちがともに過ごしたというのだろう?

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