【Fare&Qe】8.環境を整える身体性
日増しにというか、急に暑くなった。弊学(弊学部?)は、「研究室」は7月からしか冷房を入れてもらえない(しくしく…)。あまりにも、あまりにも…というときは、6月でも入れてくれるけれど、基本的には、7月からの稼働である。温暖化のこのご時世、7月からとか、とち狂っているとしか思えない。ちなみに、「講義室」は6月からでもというか、年中冷暖房の調節が可能である。労働者である我々の環境も整えてほしい。「研究室」に冷房を入れないということは、大学当局、はては文科省(財務省?)は少なくとも研究活動を労働と見なしていないということですよねっ!けっ!
気温というのはダイレクトに体に響くし、どうにかしてこの不快感を解消したくなる。冷房が使えないのであれば、扇風機を、文明の機器が使えないのであれば、窓を開けて風を呼び込む。それほどの風が期待できないのであれば、扇で仰ぐとか、微風に揺れる風鈴の澄んだ音でごまかすとか…。とにかく、肌にまとわりつく「もわ~~~ん」とした熱気を取り払いたい。それは、学生も同じようで、教室に行くと、けっこうキンキンに冷えていたりする。
ところが、電気はついていないということがままある。広い教室に何十人もの人がいて、明かりがついていない部屋に入るとぎょっとする。「(うす)暗さ」は不快感をもたらさないのであろうか。肯定的な解釈をすれば、授業が始まるまで、スマホをいじっている学生からすると、むしろその「(うす)暗さ」は適度な明度なのかもしれない。あるいは、エコ意識か。しかし、冷房は授業前でもきっちり「オン」になっていることを考えると、エコ意識ではないかな。ということで、「(うす)暗さ」は不快感をもたらさないor(スマホを見るのに)適度な明度のいずれか、あるいは両方ということになるのだろう。まぁ、たしかに暗闇にいても「もう耐えられないっ!」てことは(暗闇恐怖症でもない限り)そうそうないだろうし、暑さに比べればすぐに体に不調をもたらす危機感は薄いし。それでも、主張したい。「電気をつけてくれ」。なぜなら、環境を整える身体性は、他者への思いやりということに他ならないと思うから。教室という公共性、まもなく授業がおこなわれるという状況、そして、教室で授業に参加する自身と他者の身体性、これらへの配慮が主体的にできるようになるといいなと思う。そして、いずれは「教室」ではなく、「公共の場」で自然と環境を整えられる身体性をもって、他者を思いやることができているといいな思う。
ということで、弊学も「研究室」の温度管理にもう少し思いやりをもっていただけると…ごにょごにょ…。
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